見出し画像

猪-知ることで沸き起こる感謝

 今日は草刈りの予定だった。祖父が亡くなってまだ半年とちょっとしか経っていないのに、手入れされていた山が森に還りそうになっていた。祖父が日々手を入れて、何十年と維持してきた山だったんだということを改めて感じている。
 人が手入れしている山が、自然に返上されゆく様はどこか寂しい気だ。この土地にいた先祖の香りが無くなってしまうようで、なんとも侘びしい気持ちになる。
 というわけで、草刈りをしていた。

 タスクも中盤に差し掛かろうというとき、上から一台の軽トラックが降りてきた。見慣れない車だ。中を見てみると、知り合いの猟師さんだった。
「おー、そういや駐車場の草刈ったじゃぁ。あの上もおめぇが刈ったのけぇ?ありがとうよ。」
と声をかけてくれた。駐車場とは、その猟師さんが管理しているところのことで、駐車場周りの草刈りをする代わりに車を停めさせてもらっている。
 その猟師さんは厳しい面もあるが、とても筋が通っていて男らしく、やることをきっちりこなせばとても良くしてくれる。

 そんな話をしている流れで、「そういやシシが取れたど。もうおれぁかったりぃから、よした。欲しけりゃ持ってけ。」と、取れた猪を持っていかないかと声をかけてくれた。
 私は「ほんとですか!欲しいです!」と、即答した。なんせ、たびたび猪が食いたいと家族で話していたからだ。

 昨今豚コレラが蔓延していて、猪もその餌食となっているため、なかなか獲れないとのことだった。豚コレラはかなり気にはなったが、人には影響がないという話だったため、とりあえず引き取ることにした。

 なにしろ、私は鳥は捌いたことがあるが、哺乳類は初めての経験で、豚や牛の肉を食べてる以上一度は経験すべきだと思っていたのが大きい。とはいえ、命が途絶えるその瞬間に立ち会ったわけではないため、本当の意味で頂くことはまだ出来ないわけだが、いい経験になると予感した。

 さて、そうは言ったものの、どうするか。ひとまず父親に連絡し、二人で山から運び出すことにした。
 さっそく罠が仕掛けてあると聞いた場所に向かうと、周辺には何十羽のカラスが、待ちに待ったご馳走とばかりに集結していた。それを見て急いで現場に向かうと、カラスはまだ手を付けていなかったが、ハエが大量に群がっていた。
 よくみると、死んだのは1〜2時間前のはずにも関わらず、卵が産み付けられていた。かなりゾッとした。さらに、猪の体表には無数のマダニが吸血していた。これもかなりゾッとした。
 全てが初めての経験のため、ショッキングな状況だったが、そうこうしているうちに肉の鮮度も落ちてしまうので、すぐさま二人がかりで道まで巨体を引っ張った。
 スーパーに並んだ食材をゆったり眺めているのとは訳が違う。うかうかしていれば、すぐに他の生き物に取られる。新作ゲームの発売日のように、礼儀正しく並ぶことなどない。
 強いていえば、スーパーで半額シールが貼られるかどうかの瀬戸際で、何食わぬ顔でそのときを見定め、恥じらいを捨て容赦なくわれ先にと商品を手に取る主婦に、この状況に近い野生味を感じる気がする。

 そんなことを考えているうちに、軽トラックの二台に猪を乗せ終え、ひとまず家に帰ることにした。
 その道中、父親が例の猟師さんに連絡したところ、おそらくお前らには無理だという判断のもと、一緒に捌いてくれることになった。
 まずは内臓を出すから川に来いと言われ、指定された場所で合流した。
 全ての流れを熟知しているその猟師さんの指示に従い、以下の手順をこなした。
・川の深いところに猪を運ぶ
・体表を綺麗に洗う(のちのち綺麗に捌ける)
・肛門に切れ込みを入れ、腹を割き、食道を切る
・内臓を体から剥がし取る
・上流からの流れを利用し、体内に残った血や汚れを綺麗に洗う
・地面につけないように車に乗せる

 この工程を経て、猟師さんの家へ運搬し、捌きが始まる。

・猪を支えを使いながら仰向けに立てる
・足から切れ込みを入れ、皮を剥ぐ
・頭、足、胴に切り分ける
・それぞれ骨と肉に切り分ける
・骨は斧でぶつ切りにし、煮込みように処理する

 簡単にまとめると以上のような工程になる。その後、猟師さんに礼を言って家に帰り、さらに保存しやすいように肉を切り分ける。モモ、ロース、バラ、ヒレ、タンが主な部位として取れた。
 骨や筋っぽい部位は大きな鍋に全て入れ、醤油・酒・砂糖・味噌で煮込んだ。その日食べる分以外は肉も煮込みも冷凍した。
 半日かけてやっと、猪の処理は終わった。

 実際自分で捌いて食べてみて感じたのは、とにかく美味しかったこと。しっかりとした処理をして、美味しく調理してあげることで、自己満かもしれないが頂いた命に対する感謝を伝えられたかなと思う。
 猪にとってみれば、命を奪われた時点で、その後どうなろうと知ったこっちゃないのかもしれない。しかしむしろ、リスペクトを持って頂くことは、食す私たちにとってとても必要な事なのかもしれないと感じた。

 日々生きるために食べている食材とその命に思いを馳せて、それらそのものが自分自身を形作っている事実をしっかりと受け止めること。今ここにある事に、自然と内側から感謝できること。他の命を絶ってまで、なぜ自分が生きなければいけないのか、改めて考えること。どうしたら全てのものが調和して、程よい距離感とバランスで歩んでいけるのかということ。
 自分が生きるために必要な物の根源的なルーツやプロセス、背景を知ることは、こんなにも生きるということの輪郭を際立たせてくれるのかと感じる。

 私自身、まだまだ知るべきこと、感謝出来ることがたくさんある。これからも、一番身近なところからフォーカスを当てて、事細やかな部分を拾い上げてゆこうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?