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「ブ・ナロード」人民の中へ!ブサイクのルサンチマンを根絶やしに出来るイケメンの可能性に全てをかけろ

この世界を救えるのはもはやイケメンだけとなりました。
ブ・ナロード!まあまあカッコいい人はイケメンのもとへ結集せよ。
ルサンチマンを生み出すブサイクは世界を破壊へと導く使徒である。

ちょっとこの人なに言ってるか分からない、という方は二つ下の私の記事を読んでください。

ブ・ナロードでもノブレス・オブリージュでもジェントルマンでもなんでもいいんですが、とにかくですね、イケメンには義務が発生します。
世界を導く義務です。

実はイケメンにしか見えないものというものがあります。

先日、一般の方のネット配信を見ていたら、その方、マルクス主義が好きらしいんですけど、先生が子供たちに価値観を押し付けている、というようなことを言っていました。
先生が何かを質問して、出てきた子供の意見を修正してある方向に方向づけしている光景を見たそうで、それはけしからんと言っていました。

わたしは、そうかなあ?とちょっと疑問をもって、じゃあ、ナロードニキ運動も否定するの?と質問したら、??みたいな感じで、ナロードニキ運動をしりませんでした。

つまり、変な人は多いです。
(念のため、私は左翼ゲリラでもなんてもない無党派層の一般人です。)

別にナロードニキ運動は知らなくてもいいと思います。
でも、多様性とアナーキズムを誤解しているのではないかと思います。
方向付けする方向が間違えていたら問題ですけど、先生が方向付けすること自体はおかしくないのではないかな、と思います。
(反対意見あったらコメント欄へどうぞ。ロシア革命自体が仕組まれていたとか、そういうのはテーマではないので無しでお願いします。)

これ、だれが書いたの?
書いた人はわたしをフォローしてください。何かを説明するのに、センを引用する人なんてわたし以外にはじめてみました。おそらく、かなりのイケメンだと思います。イケメンは対価をもとめずに、ボランティアでこういう仕事ができるようですね。

フランス革命の思想的支えとなったルソーによると、国家は「一般意志」の下で形成される「一つの精神的な団体」であり、人間は国家の「政治的な身体」の一部として存在する。国家の名の下に人権は保障されるが、もしも統治者がに「お前が死ぬことが国家の役に立つのだ」というときには市民は死ななければならないという。実際国民国家が成立し、徴兵制が導入されていく歴史は、ルソーが描く国家と個人の関係と符号している。
ポストモダンの思想家ミシェル・フーコーは、「生権力」という概念を使って、多様な生を認めない社会に深く切り込んでいく。以前は、目に見える形で権力者が存在し、権力は、究極的には抵抗者を殺すことを目的として行使されてきた。しかし、国民国家においては、個人の生命を保証し増強させ社会に役立つことを要求する「生かす権力」の行使が行われるようになったとフーコーは主張する。例えば、マイナンバー制度によって国民について政府が保有している情報を一つの数字により一元的に管理することができれば、充実した公共サービスの提供にもつながるが、その便利さと引き換えに、政府が自分たちを数値的に処理することを国民は受け入れるのである。フーコーの議論は人間の生のあり方の多様性を否定する「生権力」への抵抗として理解することができる。
一方アマルティア・センは、平等論を展開する中で人間の多様性の大切さを説き、多様性こそが人間の基本であり、人間の同一性を前提として平等を考察すると重要な点を見落とすことになると主張する。例えば「所得の平等」を取り上げて、それを実現しても、そのことが「機会の不平等」をはじめとする様々な不平等を生んでしまうのである。このような問題意識から、センは「潜在能力(capability)」の平等を主張している[5]。

ウィキぺディア / 多様性より

ウィキぺディアを見るのは好きです。わたしは百科事典というより、誰かの意見の発表の場と捉えてこのサイトを見ます。参考になる事、面白い事、良い事、アホな事、バカな事、腹の立つ事、いろんな意見が見れるので、そこそこ楽しめます。

つまり、意見は沢山あっていいと思います。
だって、面白いじゃないですか。

でも、社会というものを考えるとき、社会というのは極めて人工的な組織なわけで、その社会の内部では人間の営みがあり、実は社会の外にあるものとは色々と対立しながら存在しています。

なので、社会を操縦する、操縦できる、ということ自体は大切です。
問われるべきは、操縦者であって、操縦して向かおうとする場所です。

社会が操縦されている、操縦できるということが、そもそも見えてない人ばかりです。
そして、操縦されること、操縦できること自体は間違ってない、ということも分かってない。
なので、当然、向かうべき場所も見えてない。
イケメンにはこれらがすべて見えているのです。

話しが変わります。
わたしはギンギンにとがった新卒の新入社員かつイケメンだったので、卒後に入った職場でアホなこと言ったり嘘を言うオバちゃんやらに平気で抗議したり文句を言ったりしていました。

でもエコノミックアニマルが生息するコンクリートジャングル日本では、そういう若者が嫌われて叩かれてしまします。

「でもそんな時僕のことを支えてくれたのは 僕の親父でもなく、そして、お袋でもなく、そう、リーでした。」

ではなく、そんな時にわたしのことを支えてくれたのは、労働組合で委員長されていた私と同じレベルのイケメンのオッサンでした。
この方、何かにつけて、自分が若い頃どれほどモテたか、どれほど天才だったか、というエピソードをすぐに披露してしまう方で、わたしは、この方が大好きでした。

本物が本当のことを惜しげもなく披露することは、神が真理を語ることと同じです。
つまり、素直に受け入れられる。

こういうことが、実は、ブサイクには出来ません。
今思えば、その方も、天才かつイケメンであるわたしにどこか共感できるものがあったのかもしれません。

そういえば中川昭一さんもイケメンでしたね。
つまり、そういうことなんですよ。心にルサンチマンがないんです。
芥川龍之介もです。イケメンでした。オルテガも西部邁さんも。

じつは、本物のオッサンは若い連中を下に見ません。
無論、わたしもです。若い連中が、困ったり、道に迷ったりしていれば、とうぜん手を差し伸べるし、ヒントを与える。

でも、コンクリートジャングルのエコノミックアニマル日本人のオッサンの多くは、おれも苦労してきたんだからお前も苦労しろ!(戦時中のように)このネズミもこのミミズも生で食えるだろ!俺も食ってきた!に近いようなへんてこりんなブシドー精神を披露する人ばかりです。

つまりジジイになってもルサンチマン丸出しのブサイク野郎だらけです。

結局、わたしは経験的にも直感的にも、そして論理的にも、ルサンチマンを超える可能性はイケメンにあると思っています。

世界は、ルサンチマン丸出しの弱者が強者を超えてきて今に至り、社会は、ず、滅びの道程にあります。
しかし、ルサンチマンが絶対超えることができない本当のイケメンというのはいます。重要なことは、そのイケメンのもとに集う事です。

多くのブサイクがルサンチマンまるだしで、極めて厳しい状況に置かれている現代社会ですが、わたしはこの可能性に賭けたい。

だから今日も酔っぱらいながら筆を執っています。
ブ・ナロード!ブサイクの中へダイブしよう。

あなたにもしイケメンの自覚があるなら、このことを肝に銘じてほしい。

おわり

わたしがどれだけイケメンかについて語った記事



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