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教会の問題

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キリスト教会はとても居心地のよいところです。でも、満点を期待してはいけないでしょう。たくさんの問題を抱えています。とくに内側にいると見えないものを、なんとか見ようとするひねた者が…
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#言葉

知らないことに気づくために

知らないことに気づくために

坂本真綾さんのラジオ番組で聞いた。お店で瓶ビールを注文したとき、店員に「おちょこはいくつお持ちしますか?」と尋ねられたという。偶々何か言い間違えたのかと思っていたが、もちろん届いたのはジョッキであった。当の店員は、別のテーブルでも同じように言っていたそうだ。無粋だろうから敢えて説明はしないが、ビールを飲むために「お猪口」を使う人は、まずいないだろうと思う。
 
毎月テーマを決めて話題を募る番組で、

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説教と礼拝

説教と礼拝

たしかに、「説教」という語を聞くと、日本人なら普通十人が十人、叱られる情景を頭に浮かべ、「お説教」を思い描くだろう。しかも、あまりまともに聞くべきものではない、というニュアンスがそこには漂うことと思う。
 
キリスト教会で「説教」があるよ、などと告げると、その瞬間に伝道が終わってしまうかもしれない。信徒にとっては、大切な「説教」。あるいは教団によっては、「宣教」の方を好む場合もある。「説教」は教え

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思い込み

思い込み

今月8万円小遣いをもらった。気が大きくなってどんどん使ったら、最初よりも4万円減ってしまっていた。いくら使ったのだろうか。
 
もうすぐ五年生になる、勉強好きな面々。分からない。大きな声で4万円、などという。後にもうすぐ中三生となる生徒たちに同じ質問をしたが、これも4万円という返答。私は驚いた。
 
進学塾に勤め始めたころの勢いから、年々言語能力が落ちていることは分かっていた。だが、この数年、それ

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ハッピー・クリスマス

ハッピー・クリスマス

12月8日は、真珠湾攻撃を以て太平洋戦争が始まった日。細かな事情はさておき、日付としてはこの日を、覚えておきたいと考えている。だが、中学生は、殆どこの日付を知らない。日本国憲法の公布と施行については、日付を正確に覚えないとテストに出るから覚えるが、テストに出ない日付については、知る由もないらしい。アメリカにとり、国内を初めて外部から攻撃された、屈辱の日であるために、いまなお憎しみを抱く人もいる。そ

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あなたの居場所ではない教会

あなたの居場所ではない教会

言葉としては同じものであるにしても、その概念というか、それが指している内容については、使う人により意味は様々であるだろう、というのが私の持論である。いつでもそれを前提にして考え始める必要があると思っている。そうでないて、同じことをその言葉で考えているように錯覚して決定したことが、後で、そんなはずではなかった、ということにきっとなるからである。
 
聖書は二千年以上昔の本である。新約聖書は新しいが、

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高校受験のための国語

高校受験のための国語

訳あって、昨2022年の後半から、中三生の国語を担当することとなった。もちろん経験はあるが、受験生にとり、受験間際に担当者が変わるというのは、不安になるのではないかと懸念された。私の配慮は、そこに置かれた。受験生の、メンタルヘルスである。
 
その上で、受験のテクニックを、存分に伝えなければならない。しかしこれもまた、ここまでやってきた彼らのやり方を否定して、このようにしろ、と命ずるわけにはゆかな

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説教の違いと救い

説教の違いと救い

この2月に、礼拝のレスポンスとして「要石なるキリスト」のことを綴った。そのときの説教は、「家を建てる者の退けた石が/隅の親石となった」は、ルカによる福音書と、その根拠となる詩編とが引かれていた。そのとき、「隅の親石」に関して私が聴いたことから、次のように記していた。
 
★エルサレムのような中東の町は、城壁で囲んで身を守ることが多いであろう。内外の出入りのためには門が必要であり、厳重に管理されてい

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耳ざわりのよい言葉

耳ざわりのよい言葉

耳ざわりのよい言葉について考えてみる。
 
などと言うと、クレームの嵐が襲ってきそうである。「流れに棹さす」とか「気の置けない」とか、正反対の意味に勘違いして使われる言葉が、毎年言葉の調査で報道されるが、「耳ざわり」もその部類であるかもしれない。推測するに「耳触り」だと思い込んでの誤用であり、「耳障り」という意味を思いつかない人たちの使い方ではないか、という気がするが、的を外しているかもしれない。

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言葉を考えたりとかしませんか

言葉を考えたりとかしませんか

作文を小中学生に教えることがある。中学生となると、いろいろな大人の文章に国語で触れるものだから、さすがに感得できるようになるが、小学生だと、どうにも直らない性質がある。それは、話し言葉をそのままに文字にする、ということである。
 
耳で聞いて言葉を覚える幼児の段階では、文字で書いたときに発覚することがある。宿題を「しくだい」、体育を「たいく」、言うを「ゆう」のように書いてしまうのだが、これも話し言

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恵まれる礼拝説教がある

恵まれる礼拝説教がある

「この説教を、ぜひほかの人に聞かせたい」などと言うと、少し高慢に聞こえるだろうか。「あの人に、聞いてほしい」と素直に思うような説教がある。「この」というのが、ある日の特定の説教である場合もあるが、同じひとの次の説教を信頼している場合には、「この人の説教を聞いて戴きたい」という言い方にもなる。どういうシチュエーションであってもいい。
 
教会の礼拝に参加している方は、そうした礼拝生活を送っているだろ

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「私たち」という言葉(続)

「私たち」という言葉(続)

難しい言葉で説明されると、理解するのも難しくなるだろう。前回の「私たち」という言葉について、もう少し具体的に改めてお伝えできたらと願いつつ、触れることにする。
 
1.自分と共通項をもつ人々と、語る自分とを含む「私たち」
 
誰かほかの人がいて、その人たちと、私とが、皆該当しますよ、ということを言いたいときに、私が使う言葉が、この「私たち」である。至って普通の感覚だと往っていと思う。説教者が、「私

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たしかにA、しかしB

たしかにA、しかしB

中学入試の作文を指導している。その中で、便利なフレーズとして「たしかにA、しかしB」の形を覚えてもらうことにしている。「別の意見のよいところを認めた上で、それでも自分はこちらがよいと思う」という場合の常套句である。
 
日本語だと「たしかに」の代わりに「なるほど」もよく使うだろう。小学生には似合わないので「たしかに」で教えている。これが英語だと、かなりいろいろな表現が取れるらしい。ドイツ語では、z

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言葉の通じない相手

言葉の通じない相手

事細かに描写はしないことにするが、電車や駅で、ひどく不愉快に感じる事態に出会うことがある。小さな不愉快は日常茶飯事だが、これほどは、というものだ。若い人だと、絡んでくることはまずないが、年配の人のほうが、より鈍感で、厚かましいことがある。口で言ってくるからだ。
 
いや、それはおかしいですよ。私も、昔ならば言ったかもしれない。だが現実には、逆ギレされたという報道が頭を過り、口論はしないほうがいい、

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何が言いたいのか

何が言いたいのか

この人は、要するに何が言いたいのか。京都人は、それを察知する文化をもつため、その能力を身に着けている。素朴に、ひとの言うことを表面の意味で受け取りはしない。
 
さすがにぶぶ漬けをいま言う京都人はいないかもしれない。でももしもあれば、それは単なる「帰れ」では済まされない嫌みをこめて言われている、という覚悟でいる必要があるだろう。箒を逆さに立てもしないだろう。だが、日常の様々な場面で、本音を直接言わ

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