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○○から見たトランスジェンダーの私その④職場の上司のO元園長から見た私
「男でありたい自分をどう周囲に見せたらいいのか、田崎さんは迷っていました」(O元園長)田崎さんのことを知るずいぶん前のことです。私の子どもの幼馴染に、保育所に通っている時期から、自分のことを「オレ」と言い、髪もお兄ちゃんよりも短くしている、活発な女の子がいました。周囲の大人は「この子、男の子みたい」と言っていましたが、保育所のほかの子どもたちはそんな彼女を素直に行け入れ、野球ごっこやドッチボールに
もっとみる○○から見たトランスジェンダーの私その③男友達のふっちゃんから見た私
「ちーとはバカ話、下ネタ、何でも話したし、女の子のいる店にも一緒に行きました」(ふっちゃん)ちーのことを知ったのは10年以上前。ちーと自分の嫁さんが児童発達支援センターの同僚職員でした。嫁さんから「身体は女性だけど、心は男なんだよ」と、そんな感じで聞いていました。
嫁さんは、障害のある子どもたちの療育に携わる仕事をしていたこともあって、当時からLGBTQに関して知識もあったと思います。でも、その
【○○から見たトランスジェンダーの私その②】職場の同僚だったトモコ夫婦から見た私
「男になるためにたくさん苦労してきたけど、今、笑顔でいられてよかったね」(トモコ)「カミングアウトも、へえそうなんだという感じでした」(トモコ)
私が田崎と出会ったのは、児童発達支援センター・B園で保育士として働き始めた時です。障害のある子どもたちを支援する仕事に就いて、すでに5年ほど経っていましたが、私は別の社会福祉法人で働いていましたから、同じ法人から異動してきた田﨑を職場の先輩のように頼り
性と生を考える仲間との出会い⑦対話を通して築きたい、多様性を尊重できる社会
性的マイノリティとしての苦労を語り、「田崎さんはかわいそう」と同情してもらっていた講演会から、私の話をもとに参加者と一緒に性と生について語り合い、「多様な性と生を尊重できる社会」を考える講演会へ。私は、「対話」によるまちづくりに取り組む山口覚さんとともに、対話型の講演会に挑戦しました。2019年2月のことです。
私は、福岡県で開かれた、山口さんがファシリテーション(対話の進行)を務める対話の場に
性と生を考える仲間との出会い④性と生の尊厳の守り方は人それぞれ
性的マイノリティの当事者をはじめ、様々な人が集まって性と生について考える会合に参加したことがきっかけで、私は、性的マイノリティの当事者として講演活動を行うようになりました。
その頃、私は、障害のある人たちが自立した日常生活や社会生活を営むことができるよう支援する通所事業所を運営するNPO法人に保育士として働き始めていました。このNPO法人は、障害のある子どもの保護者たちが、親亡き後のために子ども
性と生を考える仲間との出会い③命を守るために、性と生について語る
27歳になった頃から、性的マイノリティの当事者など様々な人が集まり、性と生について考える会合に参加するようになりました。
会は2か月に1回くらいの頻度で開催されました。そこではいろいろなテーマで話し合いが行われました。エイズや性同一性障害などがテーマになるときもあれば、「高齢になった同性愛カップルはグループホームに同居できるのか」「トランスジェンダー女性がDV被害者となった場合、女性用シェルタ
性と生を考える仲間との出会い②特別な人はいないけれど、だれもが特別な存在になる場
性的マイノリティの当事者をはじめ、様々な人が集まって性と生について考える会合に足を運んだのは27歳のときです。それまでは、性的マイノリティの当事者が参加する会合などには参加したことはありませんでした。
当時の私は、自分がトランスジェンダーであること、つまり性的にマジョリティではないことに罪悪感のようなものを持っていました。普通じゃなくてすみません、男なのか女なのかわかりにくくてすみません……そん
性と生を考える仲間との出会い①「マイノリティ」である自分自身に向き合う
27歳になった頃、性的マイノリティの当事者など様々な人が集まり、性と生について考える会合に足を運びました。今から13年ほど前のことです。女性として生まれ、育ち、しかし自分の心が男性であることに気づき、悩み、苦しみながら、性別適合手術を目標に、男性ホルモンの注射を始めたころでした。
中学、高校と進んで、身体と心の性の違和感に気づいたころから、そして、自分の恋愛の対象が男性ではなく女性だと気づいたこ