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性と生を考える仲間との出会い④性と生の尊厳の守り方は人それぞれ

このnoteでは、女の子として生まれ、「ちいちゃん」と呼ばれて育ってきたかつての自分。男性として生き、「たっくん」と呼ばれ、福祉の専門家として働いている今の自分。LGBTQ当事者として、福祉の現場に立つ者として、「生」「性」そして「私らしさ」について思いを綴ります。(自己紹介はこちら)
前回に引き続き、性を人権の視点で考える会合に初めて足を運んだときのこと、私自身が自分の言葉で「性」の問題を講演会などで語り始めるようになったこと、そして、ただ私が一方的に語るだけではなく、1人ひとりが「自分らしさ」について性と生から考える「対話型講演会」を始めるに至るまでのことをお話しします。

性的マイノリティの当事者をはじめ、様々な人が集まって性と生について考える会合に参加したことがきっかけで、私は、性的マイノリティの当事者として講演活動を行うようになりました。

その頃、私は、障害のある人たちが自立した日常生活や社会生活を営むことができるよう支援する通所事業所を運営するNPO法人に保育士として働き始めていました。このNPO法人は、障害のある子どもの保護者たちが、親亡き後のために子どもたちの養護学校卒業後の進路の選択肢を増やそうと立ち上げたものでした。

私は後に、その法人で、相談支援専門員として働くようになります。障害のある人やその家族が必要な支援を適切に受けられるよう支援する専門職で、障害者本人からどう生きたいか、どう働きたいかを聞き、教育、福祉、医療等の関係機関と連携してその人が自分の人生を歩いて行くことを支えていく仕事です。今、相談支援専門員として働く私のキャリアは、ここでスタートしたのです。

また、この法人は、私が「男性」として働くようになった初めての職場でもありました。管理職も同僚たちも、みんな私を男性として受け入れてくれました。

障害者施設では、同性介助が基本です。男性介助者の私は、男の子、そして成人男性を介助します。おむつ替え、陰部洗浄など、「女性の私」であれば担当することがなかった仕事も、「田崎さん、お願い!」と任されるようになって、自分は男になったんだと実感しました。

一方で、介助の場面では、自分にはない「陰茎」を頻繁に目にすることになります。同じ男性だけど自分には……と自分が女性の身体で生まれてきた事実を思い出しましたし、自分自身の尊厳を守るという意味では、私にとっての同性介助はつらい行為なのだと気づきました。

もしも私が、将来、介助を受ける立場になった時は、同性の介助者に陰茎のない身体を見られたくない自分の尊厳を守るためにだれにどんな介助を受けたいのか、そして、介助者はどのようなかかわりで相手の尊厳を守るのか。ひとくちに支援と言ってもいろんなあり方があるのだとこの法人で働き始めて考えるようになりました。

法人の理事長は、仕事と講演活動を両立したいと申し出た私に、「それは田崎さんにしかできないことだ」という言葉で応援してくれました。性的マイノリティとして生きてきたあなただから、話せることがきっとあるはず、と。

職場の理解もあって、私はさまざまな自治体、特に教育委員会や学校等から講師として呼ばれるようになりました。学校の先生に、そして生徒たちに、自分の経験をもとに性と生について話しをしてきました。

私は、生まれてから今までのどんなふうに育ってきたのか、何に悩み、苦しんできたのか、自分の悲しみや怒りといった感情も隠すことなく聴衆にぶつけました。回を重ねるにつれて、私の話に涙する人も増えてきました。そして、話しを聞いた人たちが口々に「感動した!」と言うようになったころ、私は自分の講演のスタイルに疑問を感じるようになりました。

次回の投稿は、3月15日の予定です。


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