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性と生を考える仲間との出会い③命を守るために、性と生について語る

このnoteでは、女の子として生まれ、「ちいちゃん」と呼ばれて育ってきたかつての自分。男性として生き、「たっくん」と呼ばれ、福祉の専門家として働いている今の自分。LGBTQ当事者として、福祉の現場に立つ者として、「生」「性」そして「私らしさ」について思いを綴ります。(自己紹介はこちら)
ここでは、性を人権の視点で考える会合に初めて足を運んだときのこと、私自身が自分の言葉で「性」の問題を講演会などで語り始めるようになったこと、そして、ただ私が一方的に語るだけではなく、1人ひとりが「自分らしさ」について性と生から考える「対話型講演会」を始めるに至るまでのことをお話しします。

27歳になった頃から、性的マイノリティの当事者など様々な人が集まり、性と生について考える会合に参加するようになりました。
 
会は2か月に1回くらいの頻度で開催されました。そこではいろいろなテーマで話し合いが行われました。エイズや性同一性障害などがテーマになるときもあれば、「高齢になった同性愛カップルはグループホームに同居できるのか」「トランスジェンダー女性がDV被害者となった場合、女性用シェルターを利用できるのか」といった、一般にはまだ可視化されていない、しかしまさに生き方や命にかかわる大切な問題を語り合うこともありました。
 
参加を続けているうちに、仲の良い友人もできました。お惣菜屋で働いている人が余った食べ物を持ってきて、みんなに分けてくれることもありました。マイノリティとして抱えている深刻な問題を話すだけでなく、生活の中であった出来事も話しました。
 
そうして、1人ひとりの生活の一端も見えてくると、だれがマイノリティでだれがマジョリティかなんて気にならなくなってきました。自分はマイノリティの1人だけど、自分がマイノリティであることを意識しなくてよい、心地よい場所でした。
 
私が、人権について人前で話をするようになったのは、この会の主宰者に勧められたからです。ある県の教育委員会が主催した人権教育啓発講座で、会の主宰者、大学教授、行政職員などと語り合うシンポジウムのゲストの1人として初めて登壇しました。
 
誘われたときは「私なんかに何が話せるのだろうか」と思いましたし、実際にステージの上に立ったときはとても緊張しました。私は、当事者として生きるつらさ、自分らしい人生を生きることのすばらしさ、学校での性教育の大切さなどを話しました。本当にめちゃくちゃ緊張しましたが、シンポジウム終了時には大きな達成感を味わい、「自分はみんなの前で話をするのが好きなんだな」と思っていました。自分だから話せることがあるのならば、声がかかる限り、これからも講演をやっていこうと思いました。
 
ただ、講演を続けるうちに、達成感だけでなく、人の前で話をすることの責任の大きさ、そして、性と生の多様性と言うテーマの重さも思い知らされました。
 
講演後の質疑応答などでは、「田崎さんのお話しはわかるのですが、LGBTQなんて、私は正直受け入れられないですね」などと、性的マイノリティを拒絶する感情をあらわにする人もいました。あるとき、そうした声を曖昧な言葉で私が受け流したことを知った会の主宰者は、私にこう言いました。
 
「その人の言ったことは差別そのものです。なぜ、差別に直面したのに、それが悪いことだと言わずに帰ってくるのですか? それは差別ですと説明できないなら講演はしないでください」
 
たくさんの人が見ている前で、「それは差別です。なぜならば…」などと自分に説明できるのか?…私は、主宰者の言葉をすぐに受け入れることはできませんでした。しかし、性と生について考える会合に参加を続け、性的マイノリティの置かれている状況を知る中で、差別を見逃す今の社会では、苦しみのあまり自ら命を絶つ人がたくさんいることも知りました。
 
事実、性的マイノリティの人たちは、自殺念慮を抱えやすいことが知られています。例えば、宝塚大学看護学部の日高庸晴教授らの調査(※)では、異性愛でない男性の自殺未遂率(自殺未遂経験がある割合)は異性愛男性の約6倍であることが示されています。自分が何者かわからず、誰かを好きになることを悪いことのように思ってしまう…私自身、こんな自分がこの世にいてよいのかと悩んだことがありました。
 
差別を見過ごすと人が死ぬ。性的マイノリティの1人として発信する以上、命を守る覚悟を持って性と生を語りなさい。あなたが甘いことをしていると、そのあいだに人が死んでいくのだから。主宰者が命、本当の意味の人権を守ろうとしていることが私にも分かってきました。
 
人権の大切さ、命の大切さを伝える…目的はわかったけれども、講演を通じてそれを実現する決して簡単なことではありません。私は、よい講演とはどんなものか、そもそも自分は何のために過去を語っているのか、悩むようになります。次回の投稿は3月1日の予定です。
 

※「わが国における都会の若者の自殺未遂経験割合とその関連要因に関する研究−大阪の繁華街での街頭調査の結果から−」

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