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【○○から見たトランスジェンダーの私その②】職場の同僚だったトモコ夫婦から見た私

女性の身体と男性の心を持って生まれた私・田崎智咲斗は、32歳のときに子宮・卵巣を摘出し、戸籍の性別を女性から男性に変更しました。少女から大人の女性へと成長する中で、私は自分の性自認や性的指向を自覚し、「自分は何者なのだろうか」と悩み、苦しむこともありました。身体と心の性が一致しない私を、周囲の人たちはどう見ていたのでしょうか。
友達や同僚、先輩に昔の私を思い出してもらいました。2組目は身体障害、知的障害、精神障害などさまざまな障害のある子どもたちが通う児童発達支援センター・B園で同僚職員だったトモコと、その夫のマサノリです。

「男になるためにたくさん苦労してきたけど、今、笑顔でいられてよかったね」(トモコ)

「カミングアウトも、へえそうなんだという感じでした」(トモコ)

私が田崎と出会ったのは、児童発達支援センター・B園で保育士として働き始めた時です。障害のある子どもたちを支援する仕事に就いて、すでに5年ほど経っていましたが、私は別の社会福祉法人で働いていましたから、同じ法人から異動してきた田﨑を職場の先輩のように頼りにしていました。
 
B園の同期は田崎、私のほかに3人いました。5人は経験も年齢も様々でしたが、とても仲が良くて、みんなでよく飲みに行って、仕事の悩みや愚痴を打ち明けたものです。

私の田崎に対する印象は、そのころから変わりません。いつも明るく、賑やかで、笑顔。私以外のほかの同期も、きっとそう思っていたはずです。

プール遊びが始まる夏、田崎が女子更衣室で、「自分は女性用の水着を着たくない。胸をつぶしてバストを目立たなくするナベシャツとTシャツを着て子どもの世話をする」と私たちに言いました。私たちの仕事では子どものことが第一で、仕事の妨げにならなければ保育士がどんな格好をしていても誰も気にしません。だからその場ではみんな、「別にいいんじゃないの?」という感じでした。

みんな福祉にかかわる仕事をしていますから、「もしかして田崎は……」と薄々気づいていたかもしれません。でも、そのことをあえて話題にする必要がないくらい、私たちは仲が良く、そしてとても忙しく仕事をしていました。

それから、何日かして、田崎は女子更衣室で「性別適合手術をしたいと考えている」「ナベシャツを着ているのも女性に見られたくないから」「お金を貯めて、○歳くらいまでには手術をしたい」と私たちに自分ことを、自ら詳しく話してくれました。

田崎のカミングアウトを私たちは、「へえ、そうなんだ」と、特に驚くこともなく、落ち着いて受け止めました。すでに同僚としてよい関係ができていたので、田崎が男でも女でも私たちにとってはどちらでも構いませんでした。

田崎はB園在職中、ホルモン療法を始めました。田崎の顔つき、体つきは徐々に変わっていきました。ホルモン療法は体への負担が大きいと聞いていたので、同期からも「体調はだいじょうぶ?」「ご飯は食べられているの?」と田崎のことを気遣う言葉が自然と多く出るようになりました。

ニキビが一気に増えた田崎の顔を見て、「苦しい思いをしてまで、性別を変えなければいけないのかな」「これまで通りでも田崎は田崎なのに」と思うことはありました。でも、それを実際に言葉にすることはできませんでした。ずっと前から田崎が「男になりたい」と願っていたわけですし、そもそも私が何を言っても後戻りはしないことはわかっていたからです。田崎が自分で選んだことだから、見守るしかありませんでした。

「大変だなとは思うけど、かわいそうとは思いません」(トモコ)

ホルモン療法を始めた田崎を見て、つらそうだな、大変だなと思うことはありました。男性の心を持っているのに女性の体で生まれ、育ってきたことできっといろんな苦労をしてきただろうとも思います。でも、田崎を「かわいそう」と思ったことは一度もありません。

私は、田崎と一緒に働いたB園をはじめ、さまざまな施設で障害のある人たちと接してきました。私自身も、右耳が聞こえないという障害を持っています。私を含めて、この社会には様々な障害や困りごとを抱えている人がたくさんいます。田崎も私も、その中の1人です。

自分で寝返りができない重度の障害のある子どもを預かる施設で働いた時、我が子に会うために、毎日、施設に足を運ぶ親たちと出会いました。親たちはベッドに寝たきりの我が子に触れながら「かわいい」と言います。私は、親たちがなぜ、「かわいそう」ではなく「かわいい」と言うのかを考えました。

私は、きっと親たちは、目の前の子どものそのままを受容した上で、我が子にどう生きてもらいたいのか、どうあってほしいのかを考えているのだろうと思いました。寝たきりで、言葉を発することもできないけれど、それでもきょう1日を一生懸命生きている我が子だから、「かわいい」という言葉が心からこぼれてくるのではないでしょうか。

目の前の人のそのままの有り様を受容すること。それは、福祉の仕事の基本であるだけでなく、多様な人が幸せに暮らせる社会に欠かせないことだと思います。相手のことを受け止め、知ったとき、相手の立場で考えられるようになります。
 
私は、自分の子どもたちをよく職場のイベントなどに連れて行きました。しゃべることができない人、歩くことができない子ども……さまざまな人と接する中で、私の子どもたちは、目の前の人そのままを受け止め、社会にはさまざまな人たちがいることを理解していきました。
 
私の子どもたちは、田崎ともとても仲良しです。子どもたちに、『田崎は、心が男、身体は女で生まれてきた。だから、手術して、身体も男になった』と伝えた時、子どもたちはただ『そうなんだ』と返事をしました。田崎とたくさんの時間を過ごしてきた子どもたちにとって、それは特段大きな問題ではなかったのかもしれませんし、小さな頃から障害の有無も含めて、多様な人たちと接してきたから、「そういう人もいるだろう」とそのまま受け止めたのかもしれません。
 
もしかすると、子どもの方が「それはおかしい」「そんなはずはない」などと思い込まず、「そういうこともある」「そういう人もいる」とすっと受け止めるのかもしれません。
 
出会ってからこれまでずっと、田崎は明るく、元気に生きています。大変だな、苦労してきたんだなと思うことはありますが、田崎を「かわいそう」とは思うことはやはりありません。笑顔の田崎に会うと、「田崎、よかったね」と私は思うのです。

「お風呂や着替えは? 知りたいことを聞くと、いろいろわかってきました」(マサノリ)

妻が、田崎を自宅に食事に呼んだ時、初めて田崎と会いました。妻からは「心が男で、身体が女性のまま生まれてきた人がくるよ」と言われ、「ああ、そう!」と返事をしました。そんな人と実際に会うのは初めてだったから、ちょっと興味はありました。

食卓で田崎と向き合ったときの様子は今も覚えています。心の性と身体の性が違うってどういうことか、本当はいろいろ聞きたかったんです。銭湯ではどっちに入っているの?とか。でも、さすがに初対面では聞けないなあとその時はあきらめました。

ところが、それから田崎は毎週のようにうちに遊びにくるようになりました。私もすぐに田崎と仲良くなりましたから、知りたいなと思ったことは遠慮しないで聞くようになりました。

トモコ・マサノリファミリーと(本人の許可を得て掲載)

実際に田崎から話を聞いてみると、いろいろなことがわかりました。例えば、職場では女子更衣室で着替えているというので、「女の子と一緒に着替えられるなんて、ラッキーだなぁ」と言いました。すると田崎は、「違うよ。自分が、心の性とは違う身体を割り当てられていることを実感させられるから、すごくつらいんだよ。全然ラッキーじゃないよ」と教えてくれました。そうか、田崎は本当は1人で着替えたいんだと、田崎と話して初めてわかりました。

田崎とはよく遊びました。筋トレしたり、フットサルしたり。一緒に出かけることも多かったです。あるとき、うちの子どもを連れてデイキャンプに行くことになり、田崎に、そしてもう1人、妻の知り合いの女の子に声をかけました。

その子が、田崎に会ったときに、「この人、男なの?それとも女なの?」と思ったらどうしようと思って、デイキャンプの前日に「身体は女の子だけど、男の子になりたい人がくる」と話しました。あとで、田崎からは「本人の了解を得ないで、プライベートのことを話すのは、アウティングといってやってはいけないことなんだよ」と叱られました。その時は、その方が何かとスムーズかなと思ってしまって……田崎、ごめんなさい。

デイキャンプでは、田崎たちはずっとおしゃべりしていました。初対面だなんて思えないくらい。2人の共通の知り合いは自分なのに……と思ったほどでした。

その後、しばらくして、2人が結婚することを聞きました。付き合っているのは知っていたけど、結婚とは! その時の正直な気持ちは、奥さんとなる彼女に対して「そうか、構わないんだ!」と思いました。「2人ともやるなー」と。そして、「田崎、よかったなー!」と思いました。

【前回のnoteはこちらから】

【妻の思いについてのnoteもよかったらご一緒に】


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