スーザン

イラスト・日本語教師・日本児童文学者協会員・俳句。「にほんごをまなぶえほん」シリーズ(…

スーザン

イラスト・日本語教師・日本児童文学者協会員・俳句。「にほんごをまなぶえほん」シリーズ(岩崎書店)https://www.iwasakishoten.co.jp/author/a252252.html・『みっちゃんのみずたまパジャマ』(すずき出版)

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はじめまして

日本語を まなぶときに つかう イラストを 描いています。

スーザン
2年前
18

白いカーネーション・11「またまた、涙と笑い。母にしてあげた最期のネイルとメイク」

お通夜の日。 15時頃、納棺の予定でした。 仏間に敷かれた布団にいる母は、 ほんとうに眠っているようでした。 施設に面会に行っても ねてしまっていたときのように………

スーザン
1日前
2

白いカーネーション10・「義姉への感謝」

母は今年の四月、 まるで私たち家族の予定を 把握していたかのように、 ものすごいタイミングで、 すっと逝ってしまいました。 他のエピソードにも書いたように 本当に見…

スーザン
2日前
4

白いカーネーション:9「Who are you?」

母が最後にお世話になった施設では、 本当によくしていただきました。 古い自宅にいたら 暑い、寒いときは温度が一定ではないため 体調管理もむずかしかったとおもいます…

スーザン
3日前
2

白いカーネーション:8「明日、いっちゃうかもよ」

母は、心の強い人で、竹を割ったようなところもありましたがが、 実は寂しがりで、情に厚い人でした。 そして、面白い人でもありました。 「なにか、おつまみ他にないかね…

スーザン
4日前
1

白いカーネーション・7「遺影はこれにしてほしい」

今まで何人かのご葬儀に参列してきましたが、 斎場にはいった瞬間、 パッと目に入ってくる「遺影」は その方が亡くなってしまった事実を つきつけられます。 その笑顔が、…

スーザン
5日前
7

白いカーネーション・6「ばばシャツの義母に」

この記事を書くまえに、 主人にお義母さんの、「こういうこと」をnoteに書いてもいいか と聞きましたら、「いいよ」と笑って許可をいただいたので、 書いちゃいます。 お…

スーザン
6日前
4

白いカーネーション・5「母とズッコケの対面」

母の知らせを受けて、急いで準備をし新幹線に乗りました。 いつも母の面会に行くときの、新幹線の中の時間は、爆睡することもあれば仕事の作業をしたり、創作を楽しんだり…

スーザン
7日前
3

白いカーネーション・4「忘れられない最後のお花見」

母が亡くなる十日ほど前、偶然、姉と予定が合って一緒に面会に行けました。それが最後でした。 いつもは、時々かみ合わないこともありながら、部屋でおしゃべりして帰って…

スーザン
8日前
8

白いカーネーション・3「母の最期」

母が亡くなったのは4月の晴れた金曜日。その日はひさしぶりに全く予定がなく、ゆっくりと街に出かけたところでした。施設からの着信に次のホームへおりてかけなおしました…

スーザン
9日前
6

白いカーネーション・2「母のことを書いてみる前に」

母はこの二年あまり、もしかしたら……ということが幾度かありました。そのたびに、どこか少しずつ覚悟をしていたものの、もし本当にそうなったら、私は泣き暮らしてしまっ…

スーザン
11日前
5

白いカーネーション:1「母が亡くなって」

すっかり投稿をしておらず 前の投稿が1年前でびっくりしました。 4月に母が亡くなりました。 まだ1ヶ月もたっていないのに 不思議なほど、落ち着いて 変わらない日々を…

スーザン
12日前
5

わすれないよ!

少しだけしか関われなかったのですが、ウクライナの児童からこんな手紙と宝物をもらいました。諸事情で転校してしまったのですが、新しい土地で幸せなことがふえるのを祈っ…

スーザン
1年前
4

彼らの 幸せを ねがっています。

縁あって、ウクライナの兄弟がいる小学校へいっています。 休み時間に 一緒に絵をかいたりもしていますが、 かれらは諸事情から、来年度、転校することになったそうです。…

スーザン
1年前
3

これはもはや「葉書き病」なのでしょう。

美術展へよく行きます。 友人といったりもしますが、 基本的に一人で行きます。 今日はゆっくり、と思っていく日と、 出たついでに、 沿線の気になっていた展覧会へ いくこ…

スーザン
1年前
7

「どんな授業がいちばんいいとおもいますか」と聞かれたとき

 まだ授業を担当するまえのこと。 尊敬するベテランの先生に 「どんな授業がいちばんいいとおもいますか」ときかれたとき、 楽しい授業?面白い授業?? というような言葉…

スーザン
1年前
4
はじめまして

はじめまして

日本語を まなぶときに つかう イラストを 描いています。

白いカーネーション・11「またまた、涙と笑い。母にしてあげた最期のネイルとメイク」

白いカーネーション・11「またまた、涙と笑い。母にしてあげた最期のネイルとメイク」

お通夜の日。
15時頃、納棺の予定でした。

仏間に敷かれた布団にいる母は、
ほんとうに眠っているようでした。
施設に面会に行っても
ねてしまっていたときのように……。

もともとお肌も
キレイだったのですが、
油分をぬってもらっているようで、
ほんとにツルツル。

すると、姪っ子が
ネイルをやってくれるとのこと。

彼女は昔から、お菓子をつくったりとても器用で、
今や、ネイルの仕事も受けているほ

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白いカーネーション10・「義姉への感謝」

白いカーネーション10・「義姉への感謝」

母は今年の四月、
まるで私たち家族の予定を
把握していたかのように、
ものすごいタイミングで、
すっと逝ってしまいました。

他のエピソードにも書いたように
本当に見事なほど
あっぱれでもありました。

しかし、実は母は17年前に、
くも膜下出血で、半身が不自由だったのです。

父を見送ったあと、
まだまだこれからという時期でもありました。

当時同居をはじめていた次兄一家が
その異変に気がついて

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白いカーネーション:9「Who are you?」

白いカーネーション:9「Who are you?」

母が最後にお世話になった施設では、
本当によくしていただきました。

古い自宅にいたら
暑い、寒いときは温度が一定ではないため
体調管理もむずかしかったとおもいます。

食欲がおちてきたときは、
ゼリーや飲み物でカバーしてくださって
母も命を伸ばしてもらえたとおもいます。

ケアマネジャーさんも
とてもいい方で、
認知がすすんだときも、
母に尊厳をもって接してくださったと感じています。

母が「子

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白いカーネーション:8「明日、いっちゃうかもよ」

白いカーネーション:8「明日、いっちゃうかもよ」

母は、心の強い人で、竹を割ったようなところもありましたがが、
実は寂しがりで、情に厚い人でした。
そして、面白い人でもありました。

「なにか、おつまみ他にないかね」と言う父に
「あとは、鼻しかないわねえ」という
コテコテ漫才みたいな会話も覚えています。

認知も進んだころ、
面会にいったら寝ていたので、
「お母さんー、オーイ、お母さん!」と
何度も呼んだら、
「うるさい」
と言われてしまいました

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白いカーネーション・7「遺影はこれにしてほしい」

白いカーネーション・7「遺影はこれにしてほしい」

今まで何人かのご葬儀に参列してきましたが、
斎場にはいった瞬間、
パッと目に入ってくる「遺影」は
その方が亡くなってしまった事実を
つきつけられます。

その笑顔が、優しければ優しいほど、
思い出がよみがえるようで切ないものです。

母の遺影は70代のものを使いました。
それは母の指定だったものなのです。

母を誘って、
私の一家とホテルに泊まったときのもので
実はとなりには私が一緒に写っているの

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白いカーネーション・6「ばばシャツの義母に」

白いカーネーション・6「ばばシャツの義母に」

この記事を書くまえに、
主人にお義母さんの、「こういうこと」をnoteに書いてもいいか
と聞きましたら、「いいよ」と笑って許可をいただいたので、
書いちゃいます。

お義母さんは、おかげさまでとてもお元気。
母よりも4つ下ですが、なかなか遠方へいくのは負担なので、
最後に母とあったのは、数年前に母が我が家へ来たときかな。

でも私が実家や母のところへ行くときは、
コロナ後、母の施設の面会時間が15

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白いカーネーション・5「母とズッコケの対面」

白いカーネーション・5「母とズッコケの対面」

母の知らせを受けて、急いで準備をし新幹線に乗りました。

いつも母の面会に行くときの、新幹線の中の時間は、爆睡することもあれば仕事の作業をしたり、創作を楽しんだり、とても貴重でした。

新幹線に乗った安堵感か、急に涙もでてきたですが、その日も、そうだ、泣いてばかりはいられないと、レンタカーの予約まで済ませました。

特に今回はあわただしいので、誰かに載せていってもらうより、自分で動けて正解でした。

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白いカーネーション・4「忘れられない最後のお花見」

白いカーネーション・4「忘れられない最後のお花見」

母が亡くなる十日ほど前、偶然、姉と予定が合って一緒に面会に行けました。それが最後でした。

いつもは、時々かみ合わないこともありながら、部屋でおしゃべりして帰ってくるだけでした。
その日施設につくと、ちょうど母が車いすで、すぐ近くの公園へ散歩に連れて行ってもらうところでした。

すると、スタッフさんが、「よかったら、ご一緒にお散歩、行かれますか」といって、私たちに譲ってくれたのです。

コロナ以降

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白いカーネーション・3「母の最期」

白いカーネーション・3「母の最期」

母が亡くなったのは4月の晴れた金曜日。その日はひさしぶりに全く予定がなく、ゆっくりと街に出かけたところでした。施設からの着信に次のホームへおりてかけなおしました。

母はその日の朝、ご飯もしっかりと食べて、スタッフさんと会話もし、"出すものもだして" きれいにしてもらって……。お昼ご飯に呼びにいったらもう逝ってしまっていたそうです。

最後にそばにいてあげられなかった……、頭の中が一瞬真っ白になり

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白いカーネーション・2「母のことを書いてみる前に」

白いカーネーション・2「母のことを書いてみる前に」

母はこの二年あまり、もしかしたら……ということが幾度かありました。そのたびに、どこか少しずつ覚悟をしていたものの、もし本当にそうなったら、私は泣き暮らしてしまったり、見る世界が変わってしまうのではないかと自分でも不安でした。

でも今は不思議なほど普段通り。いやもしかしたら、なにか、大げさにいえば、「力」さえもらったような気もしています。

もちろん、ふと思い出した瞬間に一気に涙があふれてくること

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白いカーネーション:1「母が亡くなって」

白いカーネーション:1「母が亡くなって」

すっかり投稿をしておらず
前の投稿が1年前でびっくりしました。

4月に母が亡くなりました。
まだ1ヶ月もたっていないのに
不思議なほど、落ち着いて
変わらない日々をすごしている自分に驚きながら
今の気持ちや、母の思い出を
文字にしながら受け入れていきたいとおもって、
noteを思い出しました。

今日は母の日。
義母には深い紅色のカーネーションをあげました。

母に白いカーネーションを買ってお供

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わすれないよ!

わすれないよ!

少しだけしか関われなかったのですが、ウクライナの児童からこんな手紙と宝物をもらいました。諸事情で転校してしまったのですが、新しい土地で幸せなことがふえるのを祈っています。わすれないよ。ありがとう!

彼らの 幸せを ねがっています。

彼らの 幸せを ねがっています。

縁あって、ウクライナの兄弟がいる小学校へいっています。
休み時間に 一緒に絵をかいたりもしていますが、
かれらは諸事情から、来年度、転校することになったそうです。

最後に会った時に、絵を描いている彼らの横顔をかいて
わたしました。

想像を超える恐怖の中で、たどり着いた日本。
いろいろな不安、悲しみ、喜びと、現実の葛藤もあっただろうと思いますが、この日は歌をうたいながら絵を描いていたのが印象的で

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これはもはや「葉書き病」なのでしょう。

これはもはや「葉書き病」なのでしょう。

美術展へよく行きます。
友人といったりもしますが、
基本的に一人で行きます。
今日はゆっくり、と思っていく日と、
出たついでに、
沿線の気になっていた展覧会へ
いくこともたびたび。

自分のペースで、さっと回ってしまうこともあるし、
何度もみたり、堪能したりする日もあります。

でも最後は、わたしの「葉書き病」。
ついshopで「葉書」を
買ってしまうんです。

いままで、
わたしは筆まめなほうで

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「どんな授業がいちばんいいとおもいますか」と聞かれたとき

「どんな授業がいちばんいいとおもいますか」と聞かれたとき

 まだ授業を担当するまえのこと。
尊敬するベテランの先生に
「どんな授業がいちばんいいとおもいますか」ときかれたとき、
楽しい授業?面白い授業??
というような言葉がうかびました。

 先生曰く
「おもしろい、たのしい、それもいいですが、
わかりやすい授業が一番いいと思います」

はっとしました。
学習者に人気のある面白い先生が
たくさんいましたが、その先生も
わかりやすく、そのうえで楽しい授業を

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