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白いカーネーション・3「母の最期」

母が亡くなったのは4月の晴れた金曜日。その日はひさしぶりに全く予定がなく、ゆっくりと街に出かけたところでした。施設からの着信に次のホームへおりてかけなおしました。

母はその日の朝、ご飯もしっかりと食べて、スタッフさんと会話もし、"出すものもだして" きれいにしてもらって……。お昼ご飯に呼びにいったらもう逝ってしまっていたそうです。

最後にそばにいてあげられなかった……、頭の中が一瞬真っ白になりました。やっと、気を落ち着けてみんなに連絡をとり、家へ戻り、実家へ行く準備をしました。

何度か、いつ駆けつけなければいけないかもと、ある程度すぐに準備できるようにしておいたものの、やはり動転しているのか要領の悪い動きをしつつ、「これが仕事もなにもない、今日でよかった」と思いました。

やっと新幹線にのりいつもと同じ車窓に目をやりながら、「ああ、面会に行くんじゃないんだ」とおもったら急に泣けてきました。

兄から土曜日がお通夜、日曜日が葬儀との連絡がきました。

実は、主人も遠出していたのですが、なんと実家から1時間ほどのところでしたし、週末の仕事も他の人に頼んでいたことや、猛烈に忙しい姉も、ちょうどその週末だけ予定がなかった、とも。
金曜の夜にみんなが集まり、仕事に穴をあけずに初七日まで、済ませられました。

今年になって、母が一番会いたかっただろう人も面会に来てくれたし、3月に生まれた一番下のひ孫も、1週間前にあいにきてくれて、甥っ子の自撮りの家族写真にしっかり写っていました。

母は「じゃ、行くわよ……」と、すっと息を引き取ったような気もします。
いかにも母らしいと思い、また泣けました。







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