スーザン

イラスト・日本語教師・日本児童文学者協会員・俳句。「にほんごをまなぶえほん」シリーズ(…

スーザン

イラスト・日本語教師・日本児童文学者協会員・俳句。「にほんごをまなぶえほん」シリーズ(岩崎書店)https://www.iwasakishoten.co.jp/author/a252252.html・『みっちゃんのみずたまパジャマ』(すずき出版)

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はじめまして

日本語を まなぶときに つかう イラストを 描いています。

    • 白いカーネーション・16「千の風になった母」

      先日、とうとう、母の納骨がすみました。 お葬式のときはバタバタして お骨を祭壇に安置して 帰ってきてしまったのですが 納骨する前に、 兄弟で順番に母をハグして それぞれ「ツーショット」をとりました。 こんな季節に、台風が発生したり お天気も心配されていたのですが 朝に降っていた雨も、ポツポツ……になり、 納骨のお墓についたころには、 日差しがでて暑いほどでした。 とうとう、母は空へいったのです。 「空」といえば、 母が17年前に くも膜下出血で大手術をしたあと、

      • 白いカーネーション・15「母の逝去と皆さんからの言葉」

        最期のお花見エピソード4にもかいたように 本当に母は、私たちが悲しくないように すべて計算したように逝ってしまいました。 実際のところ、亡くなった実感がない気もしています。 それでも。母が亡くなりました。と伝えると、 皆さん本当に言葉を選んでお声をかけてくださいます。 その言葉ひとつひとつが、暖かく、 時に涙をながささせます。 拙著『みっちゃんとみずたまぱじゃま』すずき出版は偶然母との思い出がベースにありました。 あとがきには母との思い出がかいていあります お月様が

        • 白いカーネーション・14「お花いっぱいの棺」

          母はほんとうに きれいな顔で眠っていました。 いつしか、お化粧もしなくなってしまったけれど、 自分の親に言うのも変ですが、 こんなにきれいだったのかと見とれてしまいました。 祭壇も今は、白ばかりではなく、 ピンク色もまぜてもらいました。 近しい人だけで 静かに葬儀がおわろうとしていて 棺に順にお花をいれていきました。 顔のそばにもっとおいてあげてとか カーネーションを手元にもってあげようとか、 ゆっくりとゆっくりと。 1歳のひ孫がお花を一つ入れては パチパチと手をた

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        はじめまして

        マガジン

        • 白いカーネーション「母との思い出」
          16本

        記事

          白いカーネーション・13「天国へのお土産」

          母は私が絵をかいたり、 文を書いたりすることを とても喜んでくれました。 けっして器用ではないのですが、 「創ること」が好きなことを 応援してくれていました。 そしてひとつずつ、 本に掲載されたり、賞をとったり、出版したりするたびに 本当に喜んでくれました。 認知が進んでからも、 そんな報告をすれば 「そう。よかったわね」と涙ぐみ 「しっかりやりなさい。 どんどんやるといいわ」と 言ってくれて。 最後に母にあったときに、 わたしの新しく出版された本 『みっちゃんのみず

          白いカーネーション・13「天国へのお土産」

          白いカーネーション・12「納棺師さんへの感謝。湯かんと納棺の儀式」

          15時になり いよいよ母が納棺される時間が来ました。 男女ふたりの納棺師さんが、 丁寧に準備をはじめてくれました。 「最後に着せたい洋服や着物があるか」 「宗派によって装束のちがいがあるが」 「メイクはご家族がするか」など きいてくださいました。 エピソード11の 焦った素人メイクがあったので、 もちろん全部お任せになりました。 昼下がりの仏間は、 日がさして明るく、 お風呂にいれてもらいながら 母は気持ちよさそうでした。 シャンプーもしてくださり 丁寧に体もあらっ

          白いカーネーション・12「納棺師さんへの感謝。湯かんと納棺の儀式」

          白いカーネーション・11「またまた、涙と笑い。母にしてあげた最期のネイルとメイク」

          お通夜の日。 15時頃、納棺の予定でした。 仏間に敷かれた布団にいる母は、 ほんとうに眠っているようでした。 施設に面会に行っても ねてしまっていたときのように……。 もともとお肌も キレイだったのですが、 油分をぬってもらっているようで、 ほんとにツルツル。 すると、姪っ子が ネイルをやってくれるとのこと。 彼女は昔から、お菓子をつくったりとても器用で、 今や、ネイルの仕事も受けているほど。 母の手はお布団の中で 組まれていましたが、 ちょうど葬儀屋さんがいらした

          白いカーネーション・11「またまた、涙と笑い。母にしてあげた最期のネイルとメイク」

          白いカーネーション10・「義姉への感謝」

          母は今年の四月、 まるで私たち家族の予定を 把握していたかのように、 ものすごいタイミングで、 すっと逝ってしまいました。 他のエピソードにも書いたように 本当に見事なほど あっぱれでもありました。 しかし、実は母は17年前に、 くも膜下出血で、半身が不自由だったのです。 父を見送ったあと、 まだまだこれからという時期でもありました。 当時同居をはじめていた次兄一家が その異変に気がついてくれて、 手術をうけることができたのですが やはり大きな手術のあと、 歩行も難

          白いカーネーション10・「義姉への感謝」

          白いカーネーション:9「Who are you?」

          母が最後にお世話になった施設では、 本当によくしていただきました。 古い自宅にいたら 暑い、寒いときは温度が一定ではないため 体調管理もむずかしかったとおもいます。 食欲がおちてきたときは、 ゼリーや飲み物でカバーしてくださって 母も命を伸ばしてもらえたとおもいます。 ケアマネジャーさんも とてもいい方で、 認知がすすんだときも、 母に尊厳をもって接してくださったと感じています。 母が「子供自慢?」をしていたそうですが、 「○○さんの(母)子育てを本当に尊敬しています

          白いカーネーション:9「Who are you?」

          白いカーネーション:8「明日、いっちゃうかもよ」

          母は、心の強い人で、竹を割ったようなところもありましたがが、 実は寂しがりで、情に厚い人でした。 そして、面白い人でもありました。 「なにか、おつまみ他にないかね」と言う父に 「あとは、鼻しかないわねえ」という コテコテ漫才みたいな会話も覚えています。 認知も進んだころ、 面会にいったら寝ていたので、 「お母さんー、オーイ、お母さん!」と 何度も呼んだら、 「うるさい」 と言われてしまいました。 こちらとしては、 予定をやりくりして、新幹線にのって わずかな時間(当時1

          白いカーネーション:8「明日、いっちゃうかもよ」

          白いカーネーション・7「遺影はこれにしてほしい」

          今まで何人かのご葬儀に参列してきましたが、 斎場にはいった瞬間、 パッと目に入ってくる「遺影」は その方が亡くなってしまった事実を つきつけられます。 その笑顔が、優しければ優しいほど、 思い出がよみがえるようで切ないものです。 母の遺影は70代のものを使いました。 それは母の指定だったものなのです。 母を誘って、 私の一家とホテルに泊まったときのもので 実はとなりには私が一緒に写っているのです。 母は、その写真を 「いい顔で撮れてるわー」と、 とても喜んでいて 「遺

          白いカーネーション・7「遺影はこれにしてほしい」

          白いカーネーション・6「ばばシャツの義母に」

          この記事を書くまえに、 主人にお義母さんの、「こういうこと」をnoteに書いてもいいか と聞きましたら、「いいよ」と笑って許可をいただいたので、 書いちゃいます。 お義母さんは、おかげさまでとてもお元気。 母よりも4つ下ですが、なかなか遠方へいくのは負担なので、 最後に母とあったのは、数年前に母が我が家へ来たときかな。 でも私が実家や母のところへ行くときは、 コロナ後、母の施設の面会時間が15分だけのときもあって、 新幹線往復を考えると、正直安くはありませんが 「ぬくもり

          白いカーネーション・6「ばばシャツの義母に」

          白いカーネーション・5「母とズッコケの対面」

          母の知らせを受けて、急いで準備をし新幹線に乗りました。 いつも母の面会に行くときの、新幹線の中の時間は、爆睡することもあれば仕事の作業をしたり、創作を楽しんだり、とても貴重でした。 新幹線に乗った安堵感か、急に涙もでてきたですが、その日も、そうだ、泣いてばかりはいられないと、レンタカーの予約まで済ませました。 特に今回はあわただしいので、誰かに載せていってもらうより、自分で動けて正解でした。 新幹線も、レンタカーもケータイで予約できる世の中、便利です。 そんなことをし

          白いカーネーション・5「母とズッコケの対面」

          白いカーネーション・4「忘れられない最後のお花見」

          母が亡くなる十日ほど前、偶然、姉と予定が合って一緒に面会に行けました。それが最後でした。 いつもは、時々かみ合わないこともありながら、部屋でおしゃべりして帰ってくるだけでした。 その日施設につくと、ちょうど母が車いすで、すぐ近くの公園へ散歩に連れて行ってもらうところでした。 すると、スタッフさんが、「よかったら、ご一緒にお散歩、行かれますか」といって、私たちに譲ってくれたのです。 コロナ以降の流れや、このところ母の体力のこともあり、一緒に外へいけることは、ほとんどありま

          白いカーネーション・4「忘れられない最後のお花見」

          白いカーネーション・3「母の最期」

          母が亡くなったのは4月の晴れた金曜日。その日はひさしぶりに全く予定がなく、ゆっくりと街に出かけたところでした。施設からの着信に次のホームへおりてかけなおしました。 母はその日の朝、ご飯もしっかりと食べて、スタッフさんと会話もし、"出すものもだして" きれいにしてもらって……。お昼ご飯に呼びにいったらもう逝ってしまっていたそうです。 最後にそばにいてあげられなかった……、頭の中が一瞬真っ白になりました。やっと、気を落ち着けてみんなに連絡をとり、家へ戻り、実家へ行く準備をしま

          白いカーネーション・3「母の最期」

          白いカーネーション・2「母のことを書いてみる前に」

          母はこの二年あまり、もしかしたら……ということが幾度かありました。そのたびに、どこか少しずつ覚悟をしていたものの、もし本当にそうなったら、私は泣き暮らしてしまったり、見る世界が変わってしまうのではないかと自分でも不安でした。 でも今は不思議なほど普段通り。いやもしかしたら、なにか、大げさにいえば、「力」さえもらったような気もしています。 もちろん、ふと思い出した瞬間に一気に涙があふれてくることもありますし、これから号泣することもあるでしょう。 どうしてそうおもうのか、母

          白いカーネーション・2「母のことを書いてみる前に」