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白いカーネーション10・「義姉への感謝」

母は今年の四月、
まるで私たち家族の予定を
把握していたかのように、
ものすごいタイミングで、
すっと逝ってしまいました。

他のエピソードにも書いたように
本当に見事なほど
あっぱれでもありました。

しかし、実は母は17年前に、
くも膜下出血で、半身が不自由だったのです。

父を見送ったあと、
まだまだこれからという時期でもありました。

当時同居をはじめていた次兄一家が
その異変に気がついてくれて、
手術をうけることができたのですが

やはり大きな手術のあと、
歩行も難しく、
視野も欠けてしまったようで
車も乗れない、
上手だった料理もできなくなりました。

麻痺も残り、字も書けない。
口もまわらない。

活発に活動していた母の生活は
激変してしまいました。

その時から、兄夫婦、
特に義姉にとって
本当に厳しい年月だったと思います。

術後できなかったことが、リハビリを重ねて
会話もよくできるようになりましたし、
前ほど達筆には書けませんが、
好きだった「筆」もてるようになりました。

体のリハビリもがんばって
杖になったり、杖なしで歩いてみたり。
歩行器にも挑戦するようになれば
それはそれで危険もあるし。

その後また転んで骨折して
車いすになったり。

良くも悪くも母の変化によって
それに対処してくのは
相当に、大変だったとおもいます。

デイサービスも利用するようになったのですが、
仕事の往復に送迎もしてくれて、
本当によくやってくださいました。

しかも、脳の術後の後遺症もあったり
まだらに認知も進んでいくため、
何度も電話で呼んだり、
今まで言わなかったことも
口にするようになっていたようです。

娘なら、きつい言いかたで言われても
言い返しせるし、それでケロリなのですが、
そうはいかなかったと思いますし

ときどききては、
「娘が来てくれた」と喜ぶ母と
おしゃべりだけして帰っていく娘たち。
よくある介護の現状です。

それまでは、なんとか、
自分でトイレへいっていたのですが、
やはり、最後にはできなくなり
下の世話の問題が
更に負担をかけてしまいました。

母が亡くなって、
眠る母のそばで夜を過ごしていた時、
義姉に、そのことに感謝をつたえました。

義姉は、最後に施設に入れたことを
「わたしも、最後に放棄してしまって……」と。
「でも、今となればいい思い出」ともいってくれました。

それは眠る母の耳にも
確かに届いていたと思います。

本当にありがとうございました。








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