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白いカーネーション・4「忘れられない最後のお花見」

母が亡くなる十日ほど前、偶然、姉と予定が合って一緒に面会に行けました。それが最後でした。

いつもは、時々かみ合わないこともありながら、部屋でおしゃべりして帰ってくるだけでした。
その日施設につくと、ちょうど母が車いすで、すぐ近くの公園へ散歩に連れて行ってもらうところでした。

すると、スタッフさんが、「よかったら、ご一緒にお散歩、行かれますか」といって、私たちに譲ってくれたのです。

コロナ以降の流れや、このところ母の体力のこともあり、一緒に外へいけることは、ほとんどありませんでしたが、

母の体調もそれなりに安定していたので、
特別な配慮というより、
スタッフさんの自然な心配りの流れだったのも、今考えたら不思議です。

それが本当にありがたい時間をくれたのです。

外は快晴。風もない穏やかな春の日です。
姉と私で、
車いすをおしてゆっくりとすすんでいきました。

田舎の道にはレンゲや、タンポポ、
ヨモギ、ぺんぺん草、ホトケノザ……
野の花がいっぱい咲いていました。

車いすを止めては野の花をつんで、
小さなブーケにして
母に見せたり載せたりしながら
公園へつきました。

野花のブーケ

小さな公園ですが、
囲むように植えられた桜の木は、
ひとひらもちっていないほどの満開でした。

一つ花を頂戴し、
母に見せて、白い髪にかざってあげました。

田のあぜ道に降りる私をみて、
「あぶないわよ」と母がいったり、
「きれいねえ」「満開ねえ」といいながら、
ほんの10分、15分だったとおもいますが、
今考えたら夢のような時間でした。

母の髪に野花を

ほかの方の付き添いできていた
別のスタッフさんが、
私たち三人を満開の桜の下で撮ってくれました。

その写真は今、
私のケータイの画面に入れてあります。

母は満開の桜を、
最後に娘二人と一緒に見てくれたのです。

最後に一緒にみおくれなかったけれど、
この時間があったから、
これからがんばれそうな気さえします。

母のことを報告したときに、
みなさん言葉を選んで、
「お寂しくなりましたね」と
いってくれるのですが、

この話をすると「よかったですね」となり、
私も、おもわず「はい、本当によかったです……」と、答えてしまうのです。

母が4月になくなったばかりなのに、
ぐうっと胸が苦しくなるような気持ちになったり、ふふっと思い出し笑いしたりしながら、
「ああ、母のあんなことこんなことも、文にしておきたい」、こんなにも書きたいことが次々とあるなんて。

まるで母がそうすることで気持ちが落ち着くだろうと励ましてくれているでは、と思います。文を書くことをずっと応援してくれていた母だから。

「いいわよ。あんたなら書きたいでしょう。書きなさい、書きなさい」と笑って読んでいるとおもいます。

母には、大学時代からよく手紙を送ったなあ。
そんなことも、ゆっくり思い出しながら、また書いてみたいです。


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