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捨てきれなかった恥 生活保護申請

怖かった。生活保護の相談に行くのが怖かった。
「まだ働けるのでしょう」「若いのだから他を頼ったら」「親族との関係を修復しては」「心の病でも頑張ってる人もいる他に行きなさい」「書類が膨大だから無理だ」「あなたは無理です」この言葉を聞くのが怖かった。

私の両親も当時それだった、そのことを思い出すと私など門前払いされると諦めていた。事実、ネットではそのように申請させない水際作戦が展開されていると方々に載っている。傷病手当金も期間を終えて数ヶ月、年始に役所に電話で相談した。詳しい話を伺うと職員は言うものも、水際作戦の攻撃で殴り付けられるのに怯えた。

1月21日、精も根も尽き果てるよりも先に、何より現金が月末に控えた電気代と携帯の支払いで尽きることになり役所へ向かった。

午前中だからなのだろうか、窓口は閑散としている。半個室のような場所へ案内され座ったはものの何も喋らない私に、二人の職員は淡々と私の出自からここまでの経緯を質問する。ただ私はそれに機械的に答え続けた。自殺未遂と精神疾患が効いたのだろう。職員の顔が曇っていく、しかめっ面ではなく溜息に近いような表情だった。

そして生活保護とはの説明が始まった。ここまで精神的にすでに疲労困憊の私には何も耳に入るはずもなく聞き流すだけ。当然職員も私が理解していることなど思ってもいないだろう、それでも説明は続く。記帳した預金通帳の残高、パスポート、財布の現金など身ぐるみ剥がされていく。

申請の書類がテーブルに置かれた、そしてそれに記載するように促された。新型コロナの影響で申請は受けて認可は下さないつもりだろうかと考えながら名前や住所を多くの書類に書いていく。その間に担当者が変わった、近日中に家庭訪問するケースワーカーだった。

全ての書類に記載し終わった後に、健康保険証が没収され、次回その代わりとなるものを頂いた。完全に医療費が無料になるらしい。認可が降りる予定日や、保護費の支給日の説明を受ける。これも形式的なものだろう、暴力は受けずにこの日は手続きを終えた。

1月25日、ケースワーカーが自宅へ訪問。同じ出自や経歴などの聴取だが非常に親身なのだ、私の自室ということもあるのだろうか。私は決して声など荒げるわけがないのだが。きっと横暴な申請者もいるのだろう、怖いのはお互い様ということか。しかし認可はほぼ通すとお言葉を頂く。壊れた炊飯器も新しいものを出すなどいうが、反射的に私は断ってしまった。

まとめ
生活保護が通りそうです。門前払いも、蔑みの言葉もありませんでした。弱い私自身が不安を大きくしてしまっていた、これに尽きるのでしょう。そして支給家賃がオーバーしているので、いずれ転居をする必要があるそうです。その費用も負担してくれるということで甘ったれた考えかも知れませんが、引き籠るなら駅近よりもスーパーの近くなどに引っ込もうと思っています。

1月28日、私らしい失態を犯しました。12月分の携帯とネット料金の滞納で止まったわけですが取り乱した私は1月分を支払ってしまい携帯とネットが開通せず。怒り狂いながら万が一の、最後の砦のお金を充てて開通させました、あぁなんてこった。数千円であと20日強。食糧は読者様から頂いたカップ麺やパスタでなんとか食い繋げそうですが、、怖いねぇ。

欲しいものリストを更新しています。もし宜しかったら助けて下さい、切にお願いします。特にパスタソースに困っています、現状ではクレイジーソルトをぶっ掛けて食べるほかなく、、泣
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最後に
note運営を通じて69社の出版社に営業を掛けてもらい書籍出版を目指します。Kindle出版ではなく書籍に拘る理由は国会図書館に私の虎としての皮を保管して頂くこと。これのみに人生を捧げます。

草も断ちます、どうせ食費を浮かせて草を買うんでしょうと思われるのが私自身が最も嫌うからです。これは江戸っ子の意地に似てるかも知れません、皆様にもお約束します。医師にも告知済みで自助グループを紹介を受け社会にも約束をしました。なので今更で恐縮ですが、応援を宜しくお願いします。

ではまた!

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お金について考える

メンヘラで引きこもり生活困窮者です、生活保護を申請中です。ガスも止めてスポーツジムで最低限の筋トレとお風呂生活をしています。少しでも食費の足しにしたいのが本音です。生恥を重ねるようで情けないのですがお慰みを切にお願いします。