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風をあつめて

弟に養われている。もしくは。
弟に飼いならされている。ならば。
 
両親が残した実家はだだっ広い、オートロックのマンションの一室。エントランス付き、エレベータは静音式、インターホンは画像付きだ。このマンションのとある一室には有名なフィギアスケーターがいたり、高名な作家がいたりするらしい。俺には何も関係がない。
 
引きこもりの元音楽家、34歳、体毛の薄い中年野郎。対する弟は編集者、29歳、端正な顔の好青年。随分モテそうな遍歴を送ってるが、未だこいつの彼女とやらを拝んだことがない。毎日きっちり決まった時間に帰宅し、決まった時間に眠り、決まった時間に起きる…はず。俺は就寝時間にラグがあるので、そこのところ良く分からない。「一体いつどこで逢引してんだ?」そんな質問が出来るほど、俺達の間柄は砕けちゃいない。が、その夜は違った。
 
「なあ、彼女いんの?」
「いない」
 
弟は洗い物をしながらぞんざいに答える。
 
「嘘つけよ、いるだろ」
「いないんだなこれが」
 
俺はその晩、ストロングゼロを煽ってた。新調したBOSEのスピーカーの性能が存外によく、浮かれていたのだ。部屋には『はっぴいえんど』が心地よく流れてる…その音質は、弟の金で。そして俺は良い気になっていた。
 
「何で隠すんだよ」
「しつこいなあ」
「お前が隠すからだろ」
「いないって。通じろよ」
 
俺は黙る。「通じろよ」は弟にとっての「黙れ」と解釈していい。俺は黙って、スピーカーを自室に持ち帰り、ふて寝した。流れる曲は『風をあつめて』
 
蒼空を翔けたいんです、俺も。
街のはずれの背伸びした路地で、風を集めたいんです。俺だって。

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