- 運営しているクリエイター
#自己肯定感
ずっと憧れていて、ずっと追い求めてきたものの正体が今ようやくわかった
図書館で感じた、毒親育ち的な揺らぎと欠落感。
しかし真に追求すべきものとは何か。ずっと憧れていた人たちが本当に表現していたものとは何だったのか。
前回の記事(大学時代の友人のツイッターを数年ぶりに見て覚えた劣等感と、前に進む意志)からの流れを汲んでいるので、未読の方はそちらから読むことをおすすめします。面倒だったら読まなくてもたぶん大丈夫です。
図書館にて
なんだかんだ言っても未だ活路が見え
憎悪と上昇志向から、再会と和解へ
2016年~2018年、この二十代の三年間の自分を二つの言葉で言い表すとするならば、それは「憎悪」と「上昇志向」だろう。
――今まで自分を苦しめていた存在にやっと復讐できる。
僕にとって文章を書くということ、ネットで発信するということは、そんな武器を手に入れたような気持ちだった。
初めのうちは、一つ書く度にその武器は強化されていった。
「ひのきのぼう」から「どうのつるぎ」、そして「てつのつ
血沸き肉躍る反撃は、自分という存在がよみがえるかのよう
大事なものや人を侮辱されて、黙ってるわけないだろ。
PM6時。A市の喫茶店。僕は計画の最終確認をしていた。今から実行する「反撃」の計画だ。
詳しい経緯は複雑なので省くけど、要は学校とか職場とか趣味の場所とか、そういう場所に依存した人間関係って、持続した小規模な友人グループと比べて、悪い人が紛れ込みやすい。
そういう人は、だいたい他の人にも迷惑をかけている。
この前読んだ「僕たちはガンダムの
「ダメ人間」にずっと救われてきた。彼らは、働かずに好き勝手していることで一つの重要な役割を全うしている。そんなダメ人間の良さを徹底考察する。
この前の投稿では、前向きな人とかやさしい人を肯定するようなニュアンスで書いたし、それは実際そうだと思ってる。
でも、ダメ人間(言い方悪いけど他に思い浮かばなかった)も好きだし、とても救われてきたなと書いた後に思いました。ならこちらにも触れないわけにはいかない。
// この前の投稿 → noteに真剣に取り組むということは、青春だ。
諦めと不満が場を支配している、匿名掲示板や配信サイトをどうし
自分が通った高校を再び訪れて感じた、複雑な気持ちと過去
久々に母校を訪れた。見覚えのある制服を着た高校生たちの楽しげな声が聴こえた。
……ちくり、と胸が痛んだ。
その辺りはなかなか景観の良い場所で、しかも土の地面があるのでジョギングに向いている。近所の人たちがよく走っているようなところだ。観光客はめったに来ないので、程よい静けさがある。
(少し話が逸れるけど、フラットで同じ景色が続いているように見えるところにも、道を一本逸れるだけで意外と違う景色
人の名前を呼ぶのが苦手だった。そういう人いません? ……あと一人称についての戸惑い。
大学生くらいの頃まで、人の名前を呼ぶことに抵抗感があった。人の呼び方には、距離感が表れているから。
「○○さん」「○○くん」「○○!」(名字や下の名前)
「(ニックネーム)」「(ふざけた感じでごまかした呼び方)」
「(他の人と同じ呼び方?それでもどこか不自然さがある)」
最近はそれほどでもない。自信がなかったのかな。
これは興味があるテーマだけど、はっきりとした理由がよくわからない。
その