マガジンのカバー画像

奇妙な味のショートストーリーズ

33
これまでに書いた掌編、短編、ショートショートをまとめています。奇妙な味の作品が多いです。
運営しているクリエイター

#家族小説

故郷に海ができる【掌編小説】

 あなたゴルフする? あたしはしない。でも穴のことなら分かる。ほらグリーンに空いているまあるい穴。あれって不思議な大きさよね。大きすぎもせず、小さすぎもせず。他の何にも似ていない穴。すごく的確な空洞。

 パパが開けた穴もちょうどそれと同じくらいの大きさの穴だった。
園芸用のスコップを持っていきなり庭の畑を掘り始めたの。畑っていっても趣味(というかパパの暇つぶし)の家庭菜園用だから、全然猫の額みた

もっとみる

大晦日の夜【掌編小説】

大晦日の夜。

こたつに大人達が集まって年を越そうとしている。

まだ子供だった、兄、私、弟は、除夜の鐘を聞こうと意気込んでいたものの、早々に寝床で布団をかぶってしまった。

眠い目をこすりながら小便に立った私は、障子の向こうで親戚の誰かが父と母にこう言ったのを聞いた。

「子供の内で、誰が一番かわいいか?」

父は田舎のオヤジらしく「長男だ」と言った。

母は優しい声で「やはり末の子がかわいい」

もっとみる

ポラロイド【掌編小説】

 ベッドの上にはまだ男の跡が残っていた。シーツの皺や、汗の湿り気が朝方までここにいた男の存在を示していた。起き上がって下着を身につけ、窓から無遠慮に入ってくる夏の光線を鈍い頭でずっと見ていた。
 床には憶えの無いポラロイドカメラが転がっていた。きっと男が忘れていったのだった。手に取ってシャッターを切るとフラッシュが焚かれた。薄暗い部屋が写真一枚分の時間、白くなった。吐き出されたフィルムに、昨夜の名

もっとみる

『故郷に海ができる』序【掌編小説】

 あなたゴルフする? あたしはしない。でも穴のことなら分かる。ほらグリーンに空いているまあるい穴。あれって不思議な大きさよね。大きすぎもせず、小さすぎもせず。他の何にも似ていない穴。すごく的確な空洞。

 パパが開けた穴もちょうどそれと同じくらいの大きさの穴だった。園芸用のスコップを持っていきなり庭の畑を掘り始めたの。畑っていっても趣味(というかパパの暇つぶし)の家庭菜園用だから、ぜんぜん猫の額み

もっとみる

アジサイは自分がいつから「アジサイ」と呼ばれるようになったのか、思い出そうとしていた。【掌編小説】

 アジサイは自分がいつから「アジサイ」と呼ばれるようになったのか、思い出そうとしていた。糸を引くような六月の雨は今日も街を濡らしている。もっとも、アジサイにとっては雨降り以外の天候など存在しないのだが。

 Chronic rainy syndrome。慢性雨降り症候群と呼ばれる、生きているかぎり雨に降られ続ける病。主治医が真っ白なカルテにその病名を書き込んだ日から、少女の名前は「アジサイ」になっ

もっとみる

クリスマスでもハロウィンでもないけれど【掌編小説】

 兄ちゃん久しぶり。山の冬は長いよ。長いけど作業所の中は石油ストーブを焚いているから暖かいよ。今まであまり言わなかったけど、俺は石油の匂いが好きなんだ。

 ホームで暮らしていると刺激はないけど、心が落ち着いていられるからいいよ。風邪? 引いてないよ。発作も起こしていないし、体はすこぶる順調だね。

 そうそう、このあいだ知らない人がホームに来たんだ。五十代くらいの男の人で、あまり顔色が良くなかっ

もっとみる

とん津【掌編小説】

 最近、学食には滅多に行かなくなった。大学裏の商店街にあるトンカツ屋に通っているからだ。「とん津」と書いてトンシンと読む店で、少なく見積もっても七十は超えようかという深い皺の主人が一人で切り盛りしている。
 友達は誰も知らなかったが、ゼミの先生に「とん津」の名前を出すと「ああ、あそこ。へえ、まだやっとんのか」といつもの関西訛りで感心したように言った。随分昔からある店らしかった。
 店内は狭い。テー

もっとみる

センチメンタル・ツベルクリン【掌編小説】

 あの注射器の細い針を相楽ユウコは今でも鮮烈に覚えている。

 特定の記憶というのは、目の奥の網膜に焼き付いて離れないものだ。そして油絵の具を塗り重ねるように、思い出す度にゴテゴテと不細工に盛り上がっていく。頭の中にはひねくれた小さな画家が棲んでいる。相楽ユウコは冗談のようにそう思う。
 木枯らしが吹き始め、風景からいよいよ生命の躍動感が消失していく。もの悲しい季節だと人は言う。相楽ユウコは決して

もっとみる

風船売り【掌編小説】

 ペンキで塗ったような青い空をした日曜日。こんな日には、もしかしたら〈風船売り〉がやってくるかもしれない。

 風船売りはもちろん風船を売るのが仕事だ。でもそれは表向きの話。風船売りの風船には、街中で囁かれた言葉が詰まっている。良い言葉も悪い言葉も、真実も嘘も噂話も。

 僕の弟は風船売りの風船につかまったまま、どこかへ行ってしまった。お父さんもお母さんも早く手を離しなさいって大声で叫んだけど、弟

もっとみる

女郎花【掌編小説】

 家を出て そろそろひと月 経つのかな。

 ぼうっとしてたら、そんな言葉が五七五のリズムにのって浮かんできた。家出といってもそんなに大層なものじゃなくて、お母さんとあんなにも派手にケンカして、転がり込んだ先がお母さんの妹、つまり叔母である智香子さんの家なんだから、あたしの箱入り具合もスジガネ入りだ。われながら感心する。

 智香子さんは東京の駒沢でお店をやってる。家の近くで、リサイクルショップ。

もっとみる