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いろいろなHSP本から感じる、いろいろなHSP ② part.4
みなさん、こんばんは。禧螺です。
今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。
最近、Twitterのほうでの、あいさつツイートをやめていたのですが、誰かの反応を待つものではなく、自分がそのツイートをしないと、気持ち悪い感覚がすると分かりました。
「おはようございます」でも「こんにちは」でも「こんばんは」でも、パラレルワールドに住む自分自身に言う感覚で、声をかけたいです。
さてさて、次の章に参ります
「いろいろなHSP本から感じる、いろいろなHSP」
の日です。
みなさんが、どんな情報媒体から、HSPの情報を得られているのかは分かりませんが、この本の感想を記事にすることで、誰かにとって、少しでも支えになれたらいいなと思います。
それでは、参ります。
読み進めていく書籍は、
長沼睦雄
「敏感すぎる自分を好きになれる本」
です。
「前回って、どんな話題だったっけ?」な方に向けて、前回の記事を貼っておきます。
前回の記事↓
また「バックナンバーが見たいです!」な方に向けても、マガジンを貼り付けますので、好きな記事をご覧ください。
ナンバリングが続いていますが、原則1記事完結で読めるように書いていますので、よろしければご覧ください。
「HSP関連」の記事を収納しているマガジン↓
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はじめに
最初にお断りしておきます。
この記事は、「HSP」や「生きづらさ」に関連した本の、
レビューではありません。
この連載の構成は、
・読んだ部分の「感想」
・読んで「学んだこと」
・学んだことを「自分にどのようにいかすか」
という
個人の主観、思考や感性に基づいて、紹介する本を、みなさんに
「感じたよ」「学んだよ」「ここの部分をいかしたいと思うよ」
という「表現」を、共有させていただく記事です。
ここで書かれたことだけを鵜呑みにせず、少しでも、自分の中で、
何か「ひっかかった」・「気になって仕方ない」
と感じられた時は、
ご自身で、その書籍をご覧いただくことを、強くおすすめします。
ですので、
「HSP本の、それぞれの評価が知りたい」
「HSP本で、どれが読みやすいか、わかりやすいかを知りたい」
「HSP本の、本の中身を教えて欲しい」
という方は、申し訳ないですが、
・他のクリエイター様によるレビュー記事や、レビューサイト
・出版社のホームページ
で、お探しください。
以上の点をご検討いただいた上で、ご覧くださいますよう、
よろしくお願いいたします。
標記説明ついて:
【】の中にある題名部分が、当記事のメインとなります。
💟
【感想:第2章 過剰な敏感さが「生きづらさ」の原因だった(前編)】「敏感すぎる自分を好きになれる本」
「さぼっている」
「怠けている」
「ちゃんとしていない」
なんて、分かったように言わないで欲しい。
自分自身が、そういった気持ちを、常に自分に対して持っている。
常に持っているからこそ、周囲の人に対して、家族に対してまでも、自分が隣にいることが、申し訳なくなる。
そんなこと、痛いくらいに分かっている。
痛いけれど、周囲には言えない。
私の疲労感に、真剣に耳を傾けてくれる人なんて、誰もいない。
「HSP=生きづらい」と、認知したくないし、決めたくない。
自分に期待しているわけではなくて、「私の気質は、私のままでいい」と、ただ肯定して欲しいだけ。
HSPと生きづらいを、結びつけなくてもいいと言ってくれている。
周りの環境や、人間との関係も、敏感さの度合いに大きく関わっていることが分かると、「全てがすべて、自分の責任ではない」と安心させてくれる。
本の中ではそう言ってくれるのに、どうして「身近な人」たちは、そう言ってくれないのだろう。
周囲の人が、そう接してくれることを期待するのはお門違いだと、十分に分かってる。
分かってるけれど、分かってもらえなくて、つらくなる。
肉体的な疲労と、脳が感じる疲労感は違う。
私が表現出来なかった感覚を、言葉にすると、そう言うことができると知って、また安心できる。
けれども、周囲の人は「こころが穏やかでなくても、身体は動かせる」と言う。
でも、そうできない人がいる。
こころとからだの状態が一致していないと、動けない人が実際にいる。
私の場合は、こころの状態とからだの状態が連動しやすいから、気持ちが沈んでいるだけで、身体は重たくなったりだるくなったりする。
「必ず一致した状態でないと、調子がよくない」というわけではないけれど、心身が一致しない行動は、肉体的な疲労感と精神的な疲労感が溜まる速度が速くなって、すぐに心身の限界がきてしまう。
人によっては「甘え」だといわれるその状態を、私たちは隠しながら、繕いながら、何とかして生きている。
周囲の人から、はみ出ないように。
💟
【学んだこと】
自分「敏感さ」の状態を、どのような言葉で説明すれば相手に伝わるのかを、随分と悩んでいました。
この本で得たこととして、そうした心身の状態を、
「こんな表現で説明すればいいのか」とか
「そう!その表現をしたかったんだけど、どう言えばいいのかわからなかったんだよね…」
と、思わずコメントしたくなるような気持ちで、読んでいきました。
長沼先生が、著書の中で、「自分がHSPであることと、生きづらさをイコールで考えなくてもいい」と語ってくれていることで、とても安堵しました。
HSP気質は、先天的に備わっている部分があり、それが、どういった状態のことと同様に扱われるかと言えば
「生まれつき赤毛である」
「元々肌の色が黄色だ」
「赤ちゃんの頃からよく動き回っていた」
というものです。
そういった部分は、物理的な技術を最大限に駆使したとしても、個人の力ではどうにもならない部分がある、と思っています。
一方で、自分をHSPだと自覚するならば、自分なりの生き方を日々模索し、実践していくことが、より大切だと分かりました。
HSPの「敏感さ」が増大する原因として、後天的な要素となる、周囲の環境や、自分を取り巻く人間関係によって、敏感さがどのように作用するか、大きく変化してきます。
理想を言えば、日本において、子どもも大人も「多様性」や「共存」といった相互理解が進んでいて、「一人ひとりが違う人間で、その人間同士が、同じ時代に協力しながら生きている」といったことが、無意識のレベルで実践出来ていたら、敏感な気質について悩み苦しむ人は、今よりも少なくなるかもしれません。
しかし、実際は、自分が学んできた・経験してきた「普通」以外を、好奇の目で見たり、攻撃したり、同調圧力で以て、異端を排除しようという状況が、少なくありません。
しかも、その相手が、自分の親だったり、友人であることも、可能性として考えられます。
「相手を疑ってかかれ」というわけではないですが、自分や相手のことをお互いに話し合った時に、自分の気持ちに、恐怖や不安を感じるような違和感がでてきたら、お付き合いする相手としては、注意しておく、一定の距離を保つといったことを、頭の片隅に置いておくのがいいのかもしれません。
身体を急に動かしたり、激しい運動をしたことによる、肉体的な疲れを「疲労」、
脳の帯状回皮質(じょうたいかいひしつ)の前部、という場所での、活性が低下し、ストレスを処理しきれなくなったり、脳が疲れている状態を「疲労感」
と言えることを知った時に、自分が限界に来て「疲れる」と感じる状態は、おそらく、「疲労」も「疲労感」も同時に起こっている状態なのではないかと、思いました。
激しいストレス下において、自分の肉体と精神が、すぐにぐったりして疲れてしまう、自分では説明しにくい、わけの分からない状態に、ずっと悩まされました。
自分の身体が弱いから、心が弱いから、そうなって仕方ないのだと思いました。
ですが、そうではありませんでした。
自分の精神のみならず、身体のこと、周囲の環境のこと、人間関係をも巻き込んで、向き合っていくものであると、実感させられたのでした。
💟
【自分でどのようにいかすか】
そもそも「脳の疲れ」という状態が、こんなに身近にあることに、ただただ驚きました。
疲れないように、許容量をコントロールできる状態が理想だと思いますが、どんなに自分自身で配慮して疲れをコントロールをしていても、環境や人の関わりが、その敏感さに配慮してくれるとは限りません。
そう考えると、当事者によっては、さらに苦しい状態になるのかもしれないですが、
一度、現在の自分を取り巻く環境や人間関係の棚卸しの必要が、出て来るのかもしれません。
私自身、自分の周囲の環境と人間関係を見直した時に、ストレスしか感じられなくなっていた仕事を退職し、苦しみながら続けていた人間関係を、全て手放しました。
手放してすぐの頃は、自分が誰とも生きていけない「独り感」みたいなものを感じていましたが、死にはしませんでした。
現在、メンタルヘルスの部分で、自分の感情をコントロールできるようにすることを、声高に言われていますが、HSP気質で悩んでいるとなると、そのことに加えて、
自分が生きていく環境や人間関係を厳選する必要がある
のかもしれません。
自分が身を置く環境、構築する人間関係の条件として
・「疲労」「疲労感」を感じにくいこと
・「疲労」「疲労感」が溜まるにしても、自分自身でそのストレスを昇華できる範囲の疲れ感で対処できること
・自分一人ではどうにもならなくなった時に、助けを求めることができる環境や人がいること
というように、自分が楽に生きられる方向を、めざしてもいいのだと思います。
人によっては「選りすぐりしてる人」と、捉えられているかもしれません。
ですが、それでいいです。
誰かのために生きるのではなく、自分のために生きていきたいです。
💟
みなさんからのスキに、今日も自分の気質とご機嫌に過ごせます。
この記事にお時間をいただき、ありがとうございました!
それでは、今日はここまでです。
みなさん、それぞれにご自愛くださいね。
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