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思い出の内側で

思い出の内側で

「安い飲み屋でしか生まれない思い出ってのがあんだよ」

若い笑い声が響くなか、目の前の男はそう諭してきた。私は特に返事もせず、醤油のかかりすぎたホッケをつまむ。
先程まで不機嫌な様子を出したつもりはなかった。それなのにこんなことを言うのは、やはり後ろめたさがあるのだろう。

和樹とは付き合ってもう3年になる。アパートの内見案内をしている途中、突然「ここに君と住みたい」と告白されて、私は面食らってし

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花を葬る

先端の細いジョウロを傾ける。枯れた花束に水が注がれるとそれはしだいに鮮やかさを取り戻し、やがて燃えあがった。

暗雲の下、男はだまって火を見ていた。
時折 パチリ パチリ と乾いた音が鳴り、そのたびにひとつ花びらが燃え尽きていく。隣では客が涙を流し、漏れるように苦しい声をあげる。

雲が流れ月が出てきても、火はまだそこにあった。
客は「母にあげるつもりだった」と言い残し去っていった。
もはや何も

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海の上の観覧車

海の上の観覧車

ひろい海の上で、ゆっくりと観覧車はまわっていた。どこを眺めても綺麗な水平線がみえて、それが寂しかったり、救いだったりもした。



それはほんとうにゆっくりまわっていた。1周まわるのに1日はかかるものだった。
窓が開けられることに気づいたのも、とにかくすることがないからだった。
ひどくおなかが空いていたのと、だれかと話がしたくって、わたしはあたりのカモメに言葉をなげた。

「ねぇ、おなかがすいた

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おしまいの夢

おしまいの夢

その夢の中で、僕はひとを殺した。

すっかり子供の姿になった僕は、おなじく子供の友達3人と暗いビルのなかで息を潜めていた。皆の手にはそれぞれ別の形の銃があり、僕はスナイパーライフルを持っていた。

だれをやろうか、なんてことを小声で話し合ったりしていた。先生に悪戯するような無邪気さだった。
クスクスと笑い声が響くなか、そっとスコープを覗きこむ。

ミニチュアになったような町のなかで、数人の大人が歩

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呪われし印籠

呪われし印籠

「助さん、格さん、もういいでしょう」

上品な声が不愉快に鳴った。
ついに来た。手に汗がにじむ。
奴らに何度やられてきたことだろう。何をどうやったって、あの懐からアレが取り出された途端、こちらは身動きひとつとれなくなるのだ。

幾度となく頭を巡らせた。よりうまく、より楽に、贅沢な暮らしができるよう。なのに、あのふやけた面した爺の隣がアレをひとつ取り出すだけで、こちらが積み上げてきたものはすべて露

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体温の無い愛情 序幕

体温の無い愛情 序幕

猫と仮面では、かぶることに意味の違いはあるだろうか。

どちらも角をたたせないようにするためのものではあるが、愛らしい風貌の猫と、無機質な仮面とでは、少しタイプが違うように感じる。

自分は猫と仮面、どちらを被っているのだろうかと考えながら、田崎幸一郎は同僚の話に相槌を打っていた。

「やっぱ幸は凄いぜ。営業成績、3位以下に落ちたことないんじゃないか?」

赤い顔をして、必要以上に大きな声

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bar memories

bar memories

古びた木製の扉を開けると、暗い店内の奥にカウンターがあるのが分かった。ひとつだけ置かれた蝋燭の小さな炎が、やけに明るく見える。

「いらっしゃいませ」

何時の間にかその隣に老齢の店員が立っていた。先程までは居なかったように思えるが、さだかではない。
男は足早に中へ進むと、背の高い椅子にどかりと掛けた。

「記憶を売ってるってのは本当か」

店員はグラスを拭きながら「はい」と一言返事をした。すると

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綿毛のこども

綿毛のこども

私がその人を自分のおじいちゃんだと認識する頃には、もう彼の髪の毛は真っ白だった。
それは一切のくすみが抜けきった、たんぽぽの綿毛のような髪の色だった。

厳しい人だったとおもう。毎朝、鏡の前でしっかりとその白髪を後ろに流し整えていた。洋服はいつもスラックスとシャツ。綺麗でかっこよくて、私はおじいちゃんと一緒にさんぽをするのがなんだか自慢だった。
でも、母とは折り合いが悪くて、たまにおじいちゃんの家

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砕けたリンゴとミルクティー

砕けたリンゴとミルクティー

「最後にさわったの親父なんだから、ゲーム片付けなよ」

俺がそう言うと、親父は大きく目を開いて、手元にあったリンゴを投げつけてきた。
それは咄嗟によけた体を横切って、後ろのテレビにぶつかった。画面にはひびが入ってしまっている。

血が冷たくなるのを感じながら、それでも萎縮した顔など見せまいと、平然とした風でリンゴを片付ける。肌ざわりの悪い静寂。親父の怒りや戸惑いが、空気を黙らしているようだ。
リン

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ヴィクトリアと呼んで。

ヴィクトリアと呼んで。

その夢の中で、僕は一人の女性になっていた。



嵐の夜。荒れる海。沈みゆく船の上で、私は倒れていた。

隣には男がいる。老人だ。ボロボロの姿であり、今にも命が終わるようだ。
その全てを諦めたような姿を見て、私は思い出した。

そうだ。ずっと一緒に旅をしてきた。彼の愛する女性ーヴィクトリアを探して。
私は彼が好きで好きでたまらなくて、報われぬ覚悟のもと、ついてきたのだった。

嵐は暗い海に打ち付

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夢の教室

夢の教室

自分のことが嫌い。
ぶくぶくと太った体。何度捨ててしまいたいと思ったかわからない。ぐちゃぐちゃで醜い顔は、自分の心まで汚いように思えてしまう。

鏡で自分を見るたびに、ため息を通り越して怒りが込み上げる。耐えられなくなって、鏡の中の顔を思いっきり殴ってしまったことだってある。結局鏡は割れずに、拳から血が出ただけだった。痛くて痛くてたまならなくて、それなのに、誰もいない中我慢していた。その時に映った

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幸せの群衆

幸せの群衆

無邪気に歌う声が聞こえたかと思うと、いつの間にかたくさんの人に囲まれていた。

「幸せなら手をたたこう」

そう言ってパンパンと手を鳴らしながら、わたしの周りで大きな声で歌っている。

「幸せなら手をたたこう」

まるでその音がとても愉快であるように、彼等は笑っていた。歌いきれずに笑い転げているものまでいた。それを見て馬鹿にしたように笑っているものも。とにかく、一様にみなが笑っていた。

あっけに

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