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トウキョウ百景

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東京生まれ東京育ちの30代。 太と環は、それぞれの東京で生まれ育ち、二十歳の時に東京で出会いました。 2人が見てきた東京の景色、東京での物語を、紹介していきます。 ぼくらが育…
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#大学生

原宿に親戚でもいたっけ?

原宿に親戚でもいたっけ?

大学生の頃、なかなかアルバイトが決まらなかった。理由は明白で、大学の体育会系の部活に入っていたからアルバイトをできる日が平日2日間しかなく、しかも融通が効かない。テストや部活の大会などで、アルバイトを休む可能性もある。それを馬鹿正直に伝え続けていたから、アルバイトを20社くらい受けても、採用とはならなかった。

大学一年生の年末、原宿にある大型の中華料理店の面接を受けた。そのお店はなかなかの高級店

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明大前で降りて、大学生と並んで食べた家系ラーメン

明大前で降りて、大学生と並んで食べた家系ラーメン

社会人5、6年目の頃、京王線と京王井の頭線で、渋谷の会社まで通勤していた。
さすがに学生気分は消えけていたけれど、学生時代の思い出にまだ少し後ろ髪を引かれていたような時期だった記憶がある。
仕事が忙しくて終電やタクシー帰りをすることも多かったけれど、会社で仕事をするのに疲れてしまった時は、途中で切り上げて家に持ち帰ることもあった。

ある日、会社を出て井の頭線に乗り込んだ時に、無性に家系ラーメンが

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汐留の高層ビルから見た東京の夜明け

汐留の高層ビルから見た東京の夜明け

大学時代、汐留のとある会社でバイトをしていた。
24時間対応のシフト制のバイトで、夜勤に入る時は帰宅に向かう背広姿のサラリーマンに逆行して、適当な私服姿でオフィス街を歩いて出勤した。

まだパワハラやセクハラが問題視される前だったのと、業界的に体質が古かったこともあって、社員からよく怒鳴られた。
電話を取るのが遅いこと、声が小さいこと、話が面白くないこと、性格がオープンではないことをチクチク指摘さ

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世田谷の道に置いてきた

世田谷の道に置いてきた

二股に分かれた道だった。敦は私が後ろから追いかけてくると思っていただろう。だけど私は、敦が進んだ左の道へは行かず、右へ行った。敦の方を見ることもなかったし、気にすることもなかった。初めて自覚的に人との縁を切った瞬間だった。

2010年春、私は大学生になった。勉強も遊びも充実させたいと思っていた自分にとって、大学はさまざまなチャンスや情報が転がっているように感じられ、胸が躍るとはこういうことなのか

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新宿歌舞伎町の喫茶店で行われた社会人予行演習

新宿歌舞伎町の喫茶店で行われた社会人予行演習

大学生の頃、音楽雑誌を作るという名目で集まって、ひたすらダラダラするサークルに入っていた。
音楽雑誌を作るという名目で集まった割に、音楽にはあまり詳しくない大学生の集まりだった。
それっぽいサークルの形をなぞって数年連続でフジロックに行ったこともあったけれど、大御所のヘッドライナーを観てもわかるのは名前だけで、高いチケット代をドブに捨てて都内に戻ってスーパー銭湯でぬくぬくしていた。
大してライブも

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目白で気が引き締まっているのは私です

目白で気が引き締まっているのは私です

「次は目白。目白です」
山手線のアナウンスが告げる。まだ一駅しか乗っていないのにな、と惜しく思う。そして胸が高鳴り始める。
浅くなり始めた呼吸のままエスカレーターを登り切り、改札を出て右へ進む。そして20歩くらい歩けばすぐに門が見える。学習院大学だ。

私は大学1年〜3年くらいにかけて、よく学習院大に行っていた。それはバレーボールの練習をするためだ。私が通っていた大学と学習院大は提携のようなことを

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