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滝本晃司さん。雨の日の午後。風の谷のナウシカ。 そうしてやっと…いのちの海底(うなそこ)から洋上へと浮かびあがるいのちと性愛のありか*
ナウシカのこの言葉たちが好きだ。
ほんとうに好きだ。
いまここのいのちのいとなみにおいて。
切実に切実に身を明け渡してそう思う。*
2021年6月20日(日)。
滝本さんアピア冒頭曲。雨の日の午後。
ひそかにずっと聴きたかったこの曲。初めてこの曲で泣いた。
当初の5カポから3カポへ格段に下がった滝本さんの歌声の低音の深まりと、アピアの極めて高音質な配信音源の驚きのまま。いのちなる言葉に打たれて。
優れた批評とは何か*滝本晃司さん。竹中労さん。小林ハルさんをめぐり音楽批評/音楽評論を問う
歌そして音なる旋律はそのひとの身体と精神の内奥から訪れくるものだ。
それは既存の音楽ジャンルとの表層の近似性類似性を超えた、そのひとコアの深層領域から訪れる共振やヴァイブス(波動)であって。
言語表現に纏わる文体のヴァイブス同様、音楽表現に纏わる歌体/音体のヴァイブスも確実に存在する。
そして私はそのヴァイブスにこそ強烈に引きつけられるのであり、その最たるものが滝本さんの全存在であり全表現であり
宮沢賢治「なめとこ山の熊」*小十郎と熊たち~奪い/奪われゆくいのちと反転思想の愛についての覚書
すっと引き下がり静かに世界をまなざすと。
もうほんとに絵に描いたように、共同体の秩序維持装置としてすべてが供犠(くぎ)とスティグマの物語へと回収されてゆく。国家であれ王権であれ個のレベルであれ。繰り返し繰り返し共同体はスティグマを欲し続けてやまない。内/外。中心/周縁。われら/かれら。
伊藤三巳華先生が『スピ散歩』第2巻(朝日新聞出版)で視ていた、奈良の畝傍山山頂での古代の供犠の現場がとても面白