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私の内なるその声と。あなたに届くその声と。。永遠の齟齬に生き続ける私たちの声なるいとしさについて




声ってほんと不思議だ。
私が聴いている私の声と、あなたの聴いている私の声は永遠に内/外の耳において齟齬をきたしている。私たちは近代に至りはじめておのれの声を聴く技術を獲得した。けれどもその声も機械を通した音声ゆえ、永遠に私たちはほんとうの肉声を聴くことはできない。


そのひとの個における肉声とは何か。
声におけるまこととは。
私が生まれたそのときから内的に聴き続けるこの声は、私の歳月とわかちがたく結びついたまぎれもなく私の認識する私の声である。けれどもその声は私以外に聴くことのかなわぬ幻の声であり、ある意味亡霊のようなものともいえる。


言葉や感情を発し、外的に何かを伝えるための伝達手段である声。
私が大好きで大好きで大好きな滝本さんの美しき低音のその声も、滝本さんご自身は私と異なる音声で内的に聴き続けている。もちろん音楽家なので自身の肉声を聴くのは慣れっこだろうし、内/外の齟齬もごく瑣末な差異なのかもしれない。

それでもなぜ声というものが、それを有する肉体においてふたつの位相に分かたれるのか。そしてそのズレを抱えたまま人生の歳月を送り続け彼岸へと去る私たちは、聴覚という器官の齟齬においてすでに、100%自明な自己像など永遠の幻想でしかないのではないか。そんな根源的想いが消えない。


それでもなお、私はいまの私の知覚するおのれの声の純度がとても嬉しいし、願はくは滝本さんの内的な声も聴けたらいいのになどと。憑依でもしなければなしえぬ欲望がこの身を掠めるのも楽しい。
さらにこうしてみずからの声を聴きつつ、不思議と落ち着きを憶える。ある意味他者として聴いてるふしもある。

以前は自身の録音の声などくすぐった過ぎてとてもじゃないけど繰り返し聴けるシロモノではなかったのに。そういった変化も我ながら面白い。
そしていまの私の声を聴いてなるほどなあとも。何というか私が内的に聴く声に比べ、実際の肉声には発語の中に独特の甘みがあるのだ。

私の声好き。可愛い。落ち着く。和む。安心する。

そんなふうに言ってくれる師や恋人や洛北のお父さんや友人知人など男女問わずいたのも、この甘みに由来するのかもしれない。
いまだ電話口で子供と間違われたり、喘息由来の金属質な声質は歌声でさらに顕著になる。その歌声含め好いてくれる方が多かったのもその辺に理由があるのかなと。

そんな私の声が私自身いまは素直に好きだし、先日も私の歌うYouTubeのサーカスの日音源になんと南半球Brazilのお姉さんから「love from brazil!! isso foi lindo demais (ブラジルより愛を!!それは美しすぎました)」と遥けき愛のコメント頂戴したのをはじめ(笑) 別の方からも「滝本さんとは別の透明感がある」とか「素敵な声」とコメント頂戴してとても嬉しかった。
(お返事はしたりしなかったりですがコメントは素直に嬉しいです。ご感想誠に有難うございます◎)



私の歌声。
月冥王星の冥王星がみごと消えてるの凄いな。やっぱこれ月0度の純度や幼さ&まさにスクエアの切り替えスイッチ発動だなと思いつつ。
声質自体は冥王星ルーラー=風のエレメントの爽やかさも強く感じられ(実際とても爽やかで好きと言われたこともある)、太陽木星水瓶を筆頭に風のグラトラ使ってる感じ窺えるのも面白い。

タロットでいえば私はソード優位の声。
滝本さんはめちゃめちゃカップ優位の声(泣)めちゃめちゃ水のエレメント&AscやMCの水性美しく出てるのわかる(泣)MCは社会への訴求性ゆえにそのひとの声質も出やすいって見かけたけど、同時に個人天体射手大集合=火のステリウムの熱情もスピリットも聖性もうるうるしくやどすその声ほんと彼方まで無敵なの〜滝本さん♡♡♡♡♡

だけどそう、ソードなのに濾過されてるというか。やっぱ伏流水みたいな感じするだよな〜私の歌声。
本当に肉声って不思議。紛れもなくおのれの声なのに、鏡に写るこの姿と歌声がいまだ齟齬をきたして混乱する(笑) でも好き。素直に綺麗な声だなあと思う。ずっとこの声を知ろうとせず生きてたなんてね。

私は私の声を外的に聴くことで私なるマレビトを発見した。
これは私の人生初の、私自身想像しえなかったその場所からこれほどの歳月をかけ来訪を果たした、ほんとうにいとし過ぎて大いなる出来事でありたからものであり僥倖だ。




声。声。声。。。
ほんと声って不思議。
あらためて滝本さんの歌われるアゲハ聴いて温度計聴いて(2022年8月14日(日)アピア有観客配信ライブ)、すぐさま自分の歌うこの2曲を聴き直すと、外なる私の歌声があやなすいとしさが滝本さんの歌を受け取る私の軀体に明確に何らかの鋳型を作り出しているのがわかった。

歌のちからってすごいな。私は歌人でもあるから、これまでは短歌という装置により歌の精神史へ降り立つ軀体を生きていた。それこそが音楽家とは異なる/音楽家になりえなかった、私の私における内在する歌の系譜だった。

しかし2022年8月、録音とはいえ私は私の肉声をまっすぐ新鮮に発見したことで、歌の力学が劇的に変わった。
滝本さんが温度計を歌いはじめた瞬間、めちゃめちゃ嬉しく雷に打たれたように歌の軀体が喜び涙があふれた。それは私の歌う温度計を知る私ゆえの反応だ。私は外的に私の肉声を知った。

そうして短歌を詠み/ギターを弾き語るだけでは到達できない境地へ。ライブの受動から能動へ。
受け取るだけじゃなく、みずからの外的肉声である歌声とともに能動して体験体感しライブの血肉を生きていく側へ。私の身体は生まれ変わった。




鏡に写る顔を毎日30分見続けることで自分を好きになっていくメソッドがあると聞いたことがある。
私は強制じゃなく私自身この声を聴きたいからいまここで聴いてるけど、声に関してもそれに近似するとこあるのかな?つかいまの私、私のことめちゃめちゃ大好きだから声を受容するのも当然ではあるけど(笑)。。。

!!!??
ていうか待っていま強烈にわかった!!!!!
いつも滝本さんが聴いて下さってるのはこっちの「外なる私の肉声」だから…この声がめちゃめちゃ抵抗なくいとしいんだ(泣)(泣)(泣)
待ってそうかめちゃめちゃ物凄くしっくり来たああああああああああああ。。( ; _ ; )( ; _ ; )( ; _ ; )そっかあ…(泣)そうやってずっとこの声に架橋されて私と滝本さんの時間はあやなされ続けたから。こんなにもこんなにもこの声が私にはいとしいのね(泣)(泣)(泣)。。。

完璧盲点だったまさか肉声という場所からいとしさがきざしてくるなんて(泣)
やっぱり大好きなひとに逢い続ける身体って、そのすべてがめちゃめちゃ奇跡の総体でありたからものなんだなあ。。。
私が声に敏感な意味もわかった。声って本当に大きな感覚指標だし声の引力の直観外れたことない。

は〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜~凄いなあ。。凄いなあ( ; _ ; )( ; _ ; )( ; _ ; )。。。
滝本さんいつもいつも嬉しく目覚ましく私のはじめてを連れてきて下さる(泣)ほんとうにこんなひといないの。嬉しい嬉しい嬉しい(泣)ほんとうにどこまで無限に私をひらかせてくれるひとなんだろう。。。

そうして歌う軀体を生き、この耳でこの身体でみずからの肉声を幾度となく発見する喜び(泣)



(2022年8月7日、9日、11日、21日、9月13日、2023年8月1日ツイートに加筆、再構成)


◎そんな奥野の歌の軀体炸裂するYouTubeはこちらです(笑)◎
上記以外にもみずいろ、空き地、温度計、むしその他、滝本晃司さんCover中心にいとしくギターにて歌い奏でております🎵



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