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滝本晃司さん、美のスティグマを背負い続けるそのひとの


滝本さんはほんとうにほんとうに綺麗なひとだ。生まれて、育って、物心ついた時からこの美しき顔を毎日のように認識して認識して成長して。。
美しさを褒められることに物凄く抵抗があると仰ってだけど、それでも他者が滝本さんの姿を言葉なり絵画で描こうとするとき、その美しさが損なわれるのは耐えられないのではないか。

私ならそう思う。なぜならおのれ自身の前提として。それこそおのれの眼に血肉化されるレベルで。日々つねに鏡を見ればこの整ったお顔があるのだ。だからこそご自身、見た目重視で綺麗な女性が好きだとインタヴューで仰っていた通り、自身のその姿に見合う綺麗な君でこそ世界も調和するのだと。

そして。だからこそ私も滝本さんのその美しさにそぐうべく、徹底して美しき言葉で滝本さんを語り尽くしたいと願っている。
下記ブログ記事にもしたためた通り、その願いはいまも徹底して変わらない。 #みづのへ抄

◎滝本晃司さん/限りなく私的な、ひとつの覚え書きとして

あらためてこれらの言葉がただひとり私自身に向けた言葉であること。
この身に引き受けつつ。
あまねく表現は自由であり、讃歌のありかたもありったけ自由だ。
それそれの場所でそれぞれの美を求めればいい。

けれどもその一方で思うのは。
あれほど容赦なく美しくカッコイイひとだからこそ、容姿関係なく正当なかたちでみずからの音楽性を問うべく、徹底したオリジナリティへのこだわりが極限まで研ぎ澄まされた側面もあるのではないか、ということ。
美はそれだけで強力な武器だが、同時に仇ともなる。

あれほど容赦なく美をたたえたカッコイイひとなのだ。
音楽性以前にその外見のずば抜けた美しさ、舞台上の存在感だけでめちゃめちゃ評価されただろうし、バンドマン界隈からも「滝本はいいよな。あんだけ見た目良けりゃ歌や楽曲の良し悪し関係なく何したって目立つし、女受けもいいもんな」などと。極めて低次元で下らない嫉妬が向けられたことまで容易に想像できる。

だからこそそんな評価を蹴散らすべく、徹底しておのれの音楽表現で勝負し続け、ビジュアルだけに収斂されない音楽性の探究と深化を重ねた結果、ますます他の追随を許さぬ滝本さんの異能異才が開花した側面もあったのではないか。

そうしてビジュアルだけでおトクに評価されるのではない。つねに自明なものとしてあり続けた、おのれの容姿のみに偏重する評価を徹底的に覆したかったのではないか。
いまなお徹底して美しき滝本さんのお姿を見るたび、どうしてもそんなふうに穿ってしまう。

滝本さんの10代に始まる徹底したオリジナリティの試みと追求の影には、美しきひととして生まれた桎梏とスティグマ(烙印/聖痕)ゆえの、別のベクトルでの苦労が大いにおありになったからではないか、と。
それでもなおその美の軀体は、滝本さんの豊穣なる音楽醸成への大いなる恩寵だったと。私は幾重にも強く強く思う。



(2022年11月16日ツイート)

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