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2018年10月の記事一覧
むしろそのスパゲティーを食べたい。
「こう、スパゲティーなんです」
と、若いスタッフが言ったとき、頭の中にアルデンテのパスタが浮かんだ。
麺はストレートではなく、けっこうちぢれている。大きめのトングでつかまれて、ぶらぶらと垂れ下がっている。
といっても、今日はミートソースやナポリタン、ましてやイカスミの話をするわけではない。なぜなら、この発言があったのは、職場の仲間たちが研修の振り返りをしていた席だったから。
この日の午前中
怖がらせる。怖がらせない。
「もっと前に。もっと大きく」
それが、僕の歌に対してなされたファシリテーションだった。
昨日、僕たち『魂うた®️』ファシリテーターは、名古屋に集まり、練習会を行った。
午前中から夕方まで、交代で歌い合い、ファシリテーションをし合い、一曲ごとに体験を振り返って理解を深めていった。
僕はその日、二曲歌った。
いずれも聴いている人に向けて、もっと「出す」ように促された。そうすると、聴いている人が
「違う」と認めること。
今日はなんだかくたびれていて、なにもやる気がしないので、ロッキンチェアにからだを預け、吉本ばななさんの『「違うこと」をしないこと』を読んでいた。
自分を納得させようとする時って、たいてい、本来の自分を見失っている。
ごまかし続けていると、どんどん苦しくなるし、何かが立ち行かなくなったりする。本来の自分とズレてるから、それがちゃんと現実に反映されるわけです。
読みながら「この疲れ方は、またしても
いい人ばかりじゃいられない。
「ご指導ありがとうございました。」
と言われてはじめて、自分が指導していたのだと気がついた。
おとといのことだ。
僕は、同僚の仕事にダメ出しをし、その姿勢を叱った。
そんなことをしたのは、人生ではじめてだった。
そもそも、僕はダメ出しがきらいだ。
仕事柄、心ないダメ出しによって、歌や人がどれほど萎縮してしまうかを知っていたし、そのせいで、好きだったことをやらなくなる人をたくさん見てきたから
僕はどんなふうに歌を唄ってきたのか。
あの歌は、なんだったんだろう。
先日、友人の結婚式で、歌を唄わせてもらったときのことを、いまだに思い出している。
直接聞いたわけではないけれど、会場にいたみんなが、仲間のみならず、見ず知らずの列席者やスタッフさんまでもが、喜んでくれた歌だった。
仲間たちは、
「我らが澤ちゃんだよ、だろ!だろ〜〜〜〜!ってニッコリしたよw」
「思ったよね、我らがゆーすけだぞ、って!」
と思ってくれたらし
なんのための歌なのか。
さっきまで奥さんと電話していて、ケンカしそうになってしまった。
悪いのは、完全に僕。
それが起きたのは、お互いに近況を語った後「カラオケ歌うま王選手権」というテレビ番組の話になったときだった。
観たことはないけれど、その番組は、カラオケの採点機能をつかって、歌の優劣を決めるものらしかった。それを対戦形式にして盛り上がるという。
奥さんは楽しんで観ていたようだから、ヘタなことは言いたくなかっ