アントニオ猪木

Antonio's song

どのアントニオがお好きでしょうか?

秋の夜長を、3人のAnntonioと共にお過ごしください

Sweet dreams

もっとみる
痛み入ります
18
フォローいたします、これからもよろしくお願いいたします

「迷わず行けよ。行けばわかるさ。」(アントニオ猪木名言集より)

この世にパソコンがなかったら...
ん〜小学生の頃、ガリ版部だったから、ガリガリStudie AG新聞作っていたかもw な〜んて思うWeb係です。

さて、今週も無事にStudie AGホームページの更新作業が完了し、公開することができました (^_^)v

今週はキャンペーンを2つ公開♪

ロングランで続いているbremboキャンペーン最終章の第3弾

ホイールの黒い粉を退治!! のSR3キャ

もっとみる
うっきっき〜嬉しい♪ ありがとうございます。またみてね。
20

日本国籍で最も民度が低いポーク帰化ネットワークの目標どおり、死んだ魚の瞳になった熊本人母。

日本人が先進国の仲間入りを目標に掲げたときは追いつけ追い越せ。

気づいたら努力してしまうのが日本人。

日本人に反感を持っている人種は、日本人にはない発想で、先進国の人間になりたい。

先進国に追いつけ追い越せではなくて

先進国の進化を退化、堕落させて発展途上国のポークキムチレベルまで引きずりおす。

先進国を先進国から発展途上国に引きずりおろそうとする。

ポークキムチ発展途上国のレベルまで

もっとみる

当社が求める「超人」とは!?

「アントニオ猪木です」

今から16年前、当社の採用面接で「尊敬する人は誰ですか?」と質問され、僕は正直にそう答えました。
ちなみに、そのときの面接官は現在の社長です。

これが予想外にうけたので「この人もプロレスが好きなんだ!」と、そのときは喜んだんですね。でも、入社後に聞いてみるとそうではありませんでした。

「面白いヤツだなって思ったんだよね。採用面接なんだから、普通は歴史上の人物とか有名な

もっとみる
読んでくださりありがとうございます!

アントニオ猪木(77歳) 糖尿病(余病)との闘い

アントニオ猪木さん(77歳)は、39歳の時に、糖尿病による不調で緊急入院。意識混濁など末期の糖尿病でした。
 プロレスラーの体力と体格を維持するための暴飲暴食が原因ですね。

 しかし意思力の強いアントニオ猪木さんは、低カロリー食に耐え、日々の運動生活で、3か月で血糖値などの数値が低下して、退院(スゴイ)。

 その後は、キャベツ丼(ステーキ肉の下にたっぷりのキャベツ)で空腹を防いだとか(汗)

もっとみる

アントニオ猪木の血にはラテンの血が流れているのに北朝鮮に入れ込むのか

昔山口組のなにかの本で読んで知ったのですが本の名前が思い出せないので上の貼ります。

つまり、力道山は北朝鮮出身でアントニオ猪木はその直参。

そのコネクションが未だに残っていて、おそらく今切ると北朝鮮から酷い事される可能性が高いので継続してるのでは?と思います。

あくまで手切れが出来ないのは推測ですが

北朝鮮→力道山→アントニオ猪木のルートは存在してるものなので

バックグランド知っていると

もっとみる

月刊8bitStation 2020年9月号 #4 【PS2】オールスター・プロレスリングでIWGP戦!

おはビットー! しらたきちゃんです。

台風10号が過ぎ去ってからというものすっかり涼しくなった9月でした。

さて今月はPS2ソフト「オールスター・プロレスリング」(スクウェア 現:スクウェア・エニックス)で遊んでみたいと思います。

【まずは初見プレイ】

タイトル画面からメニューへ飛ぶといろんなモードが!

スーパージュニアやG1、タッグリーグにIWGP戦(Jr含む)など今の新日本プロレスに

もっとみる

【花が咲こうと 咲くまいと 生きてることが 花なんだ】

アントニオ猪木さんの名言で、ご本人著書の、タイトルでもあります。

    特にファンと言うわけではないので、この名言がタイトルになった著書を、読んだ事はないですし、最初に 目にした時は、「随分 極端な事を言っているな。」 と思いましたが、  今あらためて、この言葉を読みますと、「そうだよな~」なんて思います。

更に、私がそう思えるのは、年齢的な事と、現在 健康体だから だとも思うのですが。

もっとみる
これは,夢なのでしょうか ?
25

アントニオ猪木氏

ブラジルの農園に渡った日本人がいる。世界各地で黒人奴隷制が廃止されていくなか、南米では多くのアジア人(おもに中国人、インド人、日本人) が移民として過酷な労働に従事するようになった。アントニオ猪木氏の一家も猪木氏の少年時代に、ブラジルの農園に渡った。猪木氏が力道山と出会い、プロレス界入りしたのは[ ブラジル日本人移住50年祭] 記念プロレスのときであった。