kanacho8

愛知在住33さい。 ひと回り歳上の夫、娘たち(年中と二歳)との平々凡々な日常

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愛知在住33さい。 ひと回り歳上の夫、娘たち(年中と二歳)との平々凡々な日常

最近の記事

「名前」を知る

最近、草花の名前が気になる。 きっかけは、絵本・いわむらかずおの「14ひきシリーズ」だった。 森に暮らすねずみ一家の営みがいきいきと描かれる、言わずと知れた不朽の名作。いくら読んでも飽きない。 自然の描写は特に、(わたしが言うのも恐れ多いが)それはそれは見事だ。中でも草花の緻密さはため息もの。個性あふれるコミカルな表情を見せるねずみたちが、自然を愛し自然から愛され、豊かに生活していることがわかる。 そんな細かい描写と対照的な、文のシンプルさ。これもまた魅力だ。 わたしが

    • 同居人は、奇人変人、酔っ払い。

      4歳と2歳の娘たちは、どこへ行くにも基本的におもちゃやぬいぐるみを持参せねばならない。 いつの間にか習慣化していたことだ。持ち歩くものには彼女らなりのトレンドがあり、その時々のお気に入りたち。 外出時はもちろん、寝室にも持ち込まねばならんらしい。 出かける前や寝かしつけの前は、彼女ら自身で持ち込みおもちゃの選抜を行う。その時間を考慮する必要があり、親としては難儀だ。我が家では通常の光景なので当たり前にルーティーンに組み込まれているが、時にアレがないコレがないと騒がれ、次の行

      • 「ラジオネーム『カナチョフ』」vol.2

        いよいよ開演! 西岡大貴さんご本人の登場に、会場は一気に、緊張と静かな興奮に包まれる。客席との距離はかなり近い。 いつもラジオを通して聴いているお声。ここに視覚から、ご本人の「ひととなり」の情報が伴うと不思議な感覚、もちろん良い意味で。 彼の優しく丸みのある声色で、面白く、時にちゃんと(?)毒っ気のあるトークが展開されていく。いつも聴いていた通りだ。しみじみ思う、あぁほんとに、こうやって喋ってんだな…。(当たり前だ) 今回のイベントは、「トーク&ミニライブ」という名目。内

        • 「ラジオネーム『カナチョフ』」vol.1

          2024年4月7日、娘の春休みの最終日。わたしはこの日を待ちわびてきた。 作曲家、そしてラジオパーソナリティーでもある、西岡大貴さんのトーク&ミニライブイベント「Pure」が開催されるのだ。 名古屋のラジオ局「ZIP-FM」で毎週土日の朝に放送される彼の番組「BigYup!」は、週末の早朝を彩ってくれる。この番組をリアルタイムで聴きながら家事をするのが、わたしにとって大切な時間だ。金曜日の夜は、翌朝の放送に胸躍らせながら眠りにつく。 今回のイベントは、ご自身主催の形で行

        「名前」を知る

          感覚的なオンナたち

          「女の子は8歳になったら育て方を変えなさい!」 ずいぶん前の話だが、そんなタイトルの育児本を見つけた。 「ほぅら読んでみたくなるでしょう」という、あからさまな出版社の思惑!ケッ下品にすら感じるわ、と思いつつまんまと手に取り、そしてまんまとけっこう読みこんでしまった。出版社の思惑通りに。 色々と思うところはあり、なかなか学びの多い一冊であった。 女の子だから男の子だから、という時代ではなくなった(というか、世間がそうさせている?)ものの、いつの時代もオトコとオンナっつーの

          感覚的なオンナたち

          33歳、音楽のたしなみ方。

          若かりし頃…それこそティーンエイジャーくらいの時代、わたしにとって音楽・アーティストといえば「代弁者」であった。 彼ら彼女らが、メロディに乗せる歌詞に共感し、時に心弾ませ時に涙を流し、救われてきた。 それがいつからか、音楽に求めるものが共感ではなくなってきていることに気がついた。 「過去を振り返させるもの」もしくは「心の震え」となっていたのだ。特に最近は圧倒的に後者である。歌詞の意味は考えず、ただただ、耳馴染みの良さを求める。 結果として、メロディラインの心地よい洋楽や(

          33歳、音楽のたしなみ方。

          「いっそのこと、嫌いになれたらいいのにね」

          当方、基本的にお菓子作りは管轄外だが、諸々の事情で「製菓材料店」に伺う機会があった。 さすが専門店の品揃え、さりとてわたしが買ったところで豚に真珠、でも手ぶらで帰るのも…、と悩んだ末「そのまま食べられるから」という理由で、製菓用チョコレートを購入した。 夕方、家事をしながらそのタブレット状のチョコレートを2枚ほど口に放り込んだ。 わたしは重度のチョコレート中毒で、特に在宅中はある程度の間隔で身体に取り入れねば禁断症状が出るのだ。 口の中で滑らかに溶けていくタブレットを思

          「いっそのこと、嫌いになれたらいいのにね」

          洗濯も育児

          「世界一幸せな洗濯」 産まれてくる我が子のための、産衣の水通しをこう呼ぶ事がある。 かれこれ5年ほど前になるが、大きな腹を抱え、わたしもその世界一幸せな洗濯をした。 真夏の日差しの下、清潔な輝きをまとい風に揺れる産衣は、それはそれは小さくて、包まれる赤ん坊はどれだけ小さいものなのかとドキドキした。 そして産まれてきた我が子は、その産衣ですらぶかぶかで、たやすく壊れてしまいそうな儚さと弱々しさ、そして何より尊さに、わたしの胸は小さく震えた。この生き物をわたしが守らねばと

          洗濯も育児

          使わない事を祈る「備え」

          1月2日、急遽防災グッズの見直しをした。 理由は言わずもがな。非常持ち出し用のスーツケースを引っ張り出す。 子どもが成長すると、必要なものも変わってくる。哺乳瓶と液体ミルクは取り出し、衣類はサイズの違うものと入れ替えた。長期保存水の消費期限が迫っていたので買い直さねばならない。この水を使わずに済んだ、5年の歳月を思った。 熊本地震を思い出す。当時わたしは、愛知で一人暮らしをしていた。熊本の実家は被災し、全壊。ニュースを見た時の、血の気が引く、という感覚は思い出したくもない

          使わない事を祈る「備え」

          人間くさい、動物園。

          お正月休み、家族四人で東山動植物園へ行った。 ここに来るのは半年ぶりだ。動物園をこよなく愛するわたしはアドレナリンぎゅんぎゅんで、東山に限らずこういう場所では動物に関する蘊蓄を傾けまくり、同行者(主に夫)をウンザリさせる。 動物について、おとなは知識がある分、実物を目の前にすると改めてその大きさや迫力に感銘を受けるのだ。その非日常性。今回もそんな調子で心はうきうき。 20代半ば、愛知に移り住んだ。そして初めてこの動植物園に来た時、生まれて初めてコアラを見た。 「コアラだ

          人間くさい、動物園。

          冬の「名曲」

          子どもの頃、この季節になると必ず「恋人がサンタクロース」がどこかしらでかかっていて、勿論当時から超・名曲、母が上機嫌で口ずさんでいた。 あれからいくつ冬がめぐり来たでしょう、名曲はいつまでも名曲のまま、昨日も今日もラジオから流れてきた。 おとなになって耳にするこの曲は、そのポップでキャッチーなメロディが、ただのハッピーメリークリスマス!ではなく、なんだろう心にしみてくる。 改めて噛み締める歌詞が素晴らしい。 「昔、となりの、おしゃれなおねえさんは」 頭からこれである。こ

          冬の「名曲」

          とても気になる一人称

          日本語は、一人称の豊かな言語であるらしい。他の言語どころか母国語すら、胸を張って堪能です(?)とは言えないので多くは語るまいが、とにかく、今ちょっと思い浮かべても凄まじい数が浮かんでくる。それをTPOに応じて無意識に的確に使い分けるのだから、日本語を使いこなすってもしかしたらそこそこ難しいのかもしれない。 余談だが、単位も豊かであるらしい。海外の言語学者が「日本の数詞は、もはやそのひとつひとつが固有名詞といえるくらいだ」とぼやいたとか、何かの本で知り妙に誇らしかった。 閑

          とても気になる一人称

          もともと特別なオンリーワン

          幼稚園バス停は、乗車園児が長女含め三名。 誰が何番にバスに乗り込むか、というのが彼らにとって重要事項だったシーズンがあった。 そんな事で、と思うが当の本人たちにとっちゃ大問題、朝っぱらから大号泣かまされ登園拒否沙汰になる状況。特にうちの長女はこだわりが強く、親としてはウンザリだし、何より他の子に申し訳ない。 園の先生に相談したところ、そういった場面は教室でも見られるそうだ。この年齢あるあるなので、根気よく意識づけする事に。 (因みにだが、この「乗車順揉め」、先に降りたいが

          もともと特別なオンリーワン

          肉食系女児

          昼食には火を使わない事をポリシーとしている。土曜日の昼は、冷凍しておいたケンタッキーフライドチキン(以下ケンチキ)のオリジナルチキンを出した。 余談だが、ケンチキほど略称の流派が分かれる全国チェーンは無いのでは。ケンタッキー、ケンチキ、KFC、ケンタ、etc... これまで我が家では、子ども達にはいつもチキンナゲットを与えてきた。ケンチキのナゲットは柔らかくて美味しいんです。 この度ついに、オリジナルチキン・デビューの娘たち。さぁ、これが天下のケンチキ様だ、しかと味わえ。

          肉食系女児

          「元カレのTシャツ」

          「元カレのTシャツ」を捨てた。 正確には、「元カレのものと思われるTシャツ」だ。いつのまにか我が家にあり、わたしは買ってないし、持ち主であろう人物はもううちに来なくなってたし、だから「恐らく」。 まぁ要するに、どうでもいいのだ。たまたま棚から出てきて、着心地も良く何の思い入れも無いので、悪びれもせずここ数年夏の部屋着として世話になった。 今年の夏、そいつが急に生乾きの匂いを発した。潔くゴミ箱にほうった。 その瞬間、持ち主かもしれない人物が頭をよぎった。すごく嫌な気持

          「元カレのTシャツ」

          「今日は冬」

          朝、窓を開けると、昨日までと全く違う冷たい空気にめん食らった。 冬!冬!冬! と意味なく連呼しながら洗濯物を干していたら、ベッドでごろごろ、起きるのを渋っていた長女が 冬?今日は冬?今日は、冬? うーん、確かに今日は冬、だけどきっと明日も冬だし、ここからウンザリするくらいしばらくは、冬。 ほんの少しの言葉選びで意味はもちろん、伝わり方やニュアンスが違う。 四歳の彼女が発する言葉はまだまだ拙くて、不自由で、でも、だからこそ自由だ。 世の中の全ては言葉にするからこそ存在

          「今日は冬」