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プリキュアよもやま話

長女の公園友だちのKちゃん、幼稚園は違うしひとつ歳上だけど二人はとても仲良し。すきなものが同じで(まぁこの年齢はみんな似たり寄ったりだけど)、ディズニープリンセス、すみっコ、そしてプリキュア。

Kちゃんのママはいつもおしゃれで、一目で上質だと分かるものをお召しだ。たかが公園遊びにも手を抜かない姿勢、会うたびにそのファッションを観察するのがわたしの楽しみ。

そんなKちゃんママに話しかける。

「今年のプリキュア、戦いのシーンが無いからなーんか物足りないんですよねぇ」

笑いながらKちゃんママは返す。
「今回のは、お話の内容がしっかりしている感じですもんね」

おいおいおいおい!これじゃわたしが、「ストーリーなんて知らねぇよとりあえず戦いが見たいんじゃ」の脳内単細胞母じゃないかよ!!
絶対にKちゃんママにそんなつもりはないのだが、わたしは一気に自分が程度の低い人間に思えてきて恥ずかしくなった。笑い話ね。

ただね、昨年度の「ひろがるスカイ!プリキュア(以下ひろプリ)」のキャラクターショーにて、彼女らの肉弾戦に血のたぎりを見せた女児たちの姿が忘れられないのだよ。これこそ、人間の本能である、と。

※こちらがその記録※

この年の映画だって、「最強のプリキュアとは」みたいな軸でストーリーが進み、割と「強さ」にフォーカスされていたような。この「強さ」とは決して、いわゆる腕っぷしによるものではなく、仲間との絆とか精神面によるものなんです。そこの純粋さこそがプリキュアの魅力である。その心の真っ直ぐさに胸打たれ、汚れた大人であるわたしは見ていて苦しいほど。

それに対して今年度の「わんだふる!ぷりきゅあ(以下わんぷり)」は、動物との心の触れ合いが話の軸。動物の妖精(女児アニメには決まって妖精が必要)が何らかの悪い力で凶暴(通称『ガルガル』)になってしまう。

そんなガルガルを、もとの優しい状態に戻す=浄化する、みたいな展開ですったもんだ。つまり戦いの相手は動物な訳で、それらをフルボッコにするなんざこのコンプライアンスの荒波の中許されるはずもなく(愛護団体が黙っちゃいない)、基本的にガルガルと「追いかけっこして、抱きしめる」というスタンス。

いや、分かるけどさ、物足りないよ。

以下、あくまでも全て、個人が好き勝手言っている感想として受け取ってください。

プリキュアにおける魅力は、ゴテゴテに着飾った少女たちの「美しき拳」にある訳で、まぁこの辺は女子プロなんかにも通ずるんだろうけど、要するに戦闘シーンが要な訳ですよ。それが皆無となると、当然見応えに欠けるわけです。

令和だから仕方ないのかね。割と肯定的な意見も多いらしいし。
でも何か平和主義過ぎるというか。ただ、ストーリー進行と共に、トラブルの元凶とかが見えてくれば(要するに「対・動物」ではなくなれば)、美しき戦闘シーンがあるのかも、などとあわい期待を抱いている。

あとは、日本より子ども向けアニメへの規制の厳しい諸外国で放送するための戦略との説も。少女がミニスカで戦闘なんぞご法度だとか。まぁ…うん。

因みに、一度だけわんぷりキャラクターショーに行ったが勿論戦闘シーンはなく、例外なく「追いかけっこ」だった。

それに加えて、「我が家のペットたちがおしゃべりしだす」というトップシークレットを、あっけなく保護者にバラす(そして割とすんなり受け入れる)点も、なんとなく時代の流れを感じる。

主人公たちが、夜の浜辺でウミガメと触れ合うシーンでは端っこの方に見守るパパママの存在がちゃんと描き込まれていて、夜に中学生を出歩かせるなんて!というクレームを事前に回避しているのだろうと察した。なんちゅー時代。

わたしはまだまだプリキュアに関しては勉強不足で、知らない事だらけ。限りある知識の中の比較だが、やはり初期の「強さ」「凛々しさ」が恋しい。

変身バンクの口上も、先人プリキュアたちによる
「大いなる希望の力!」「情熱の、赤い炎…!」とか、たまらない。決め技でも「プリキュアの、美しい魂が!」「邪悪な心を打ち砕く!!」とか言っちゃってんの、ゾクゾクする。強く、美しく、崇高ですらある。まさに気高き戦士。

ちなみに、割と近年だがキュアプレシャスの決め技、「2000キロカロリーパンチ」のネーミングには震えた。わたしは万年ダイエッター、その技名だけで凄まじい殺傷能力を感じる。

対する現行わんぷりは
「みんな大好きステキな世界!」とか「こわくない、こわくない」とか。ぬ、ぬりぃーー!やさしーーーー!!!

戦う相手も、初期であればもう見るからに気持ち悪いキャラデザ、いやこんなんエロ漫画で主人公いたぶる奴だろみたいなビジュアルがたまらん。それが今では、ガルガルすら可愛らしい。

そういう対比を踏まえると、コンセプトがそもそも違うのは分かっていても、子どもを取り巻く価値観の変化を感じざるを得ない。今の時代、凛々しさ逞しさを求めていないんだよねきっと。なんでもかんでも時代のせいよ。

教育の現場でも「叱らない」「無理強いしない」「競わせない」ことを重要視する流れだし、それに近いものが感じられる。規制も厳しいらしいし。

そんな訳でやはり、昭和引きずる系ゆとり世代のわたしには今年度のわんぷりは物足りないのである。

しかし、キャラデザはとても素敵だし心情描写は丁寧で魅力的。「プリキュア」のこれまで流れ・コンセプトから方向転換を図っている、と思えば寂しいが、ひとつの作品として素晴らしいと思う。冒頭のKちゃんママのご意見の通り。

わたしが心の中で「バカ犬」呼ばわりしている(おい)、犬のコムギも、ここぞと言うとこでちゃんと
「俺バカだからよくわかんねぇけどよー!」的な発言でちゃんと核心をついてくる存在だし、ラブコメ要素や動物豆知識を投下する少年ポジションもいて、まとまっている。

何より、キュアニャミーが可愛すぎる。まじですき、すき、たまらん。マユちゃんのキャラクターもだいすき!ユキマユの百合がもう…よくやってくれたよ制作…!

そんな訳で文句垂れつつ、わたしはわんぷりを多角的に楽しんでいる。でもなぁやっぱ戦闘見たいよなぁ。
今年の映画は、先述の脳みそ筋肉系「ひろプリ」も先輩風吹かせて登場する訳だし、ちっとは戦ってくれるんだろうな?え?

とりあえず今後の展開に期待。うさぎの大福ちゃんは、実は諸問題の原因に関わる重要キャラ「ニコ様」界隈立ち位置だと予想しつつ、いや待てこの子が「スキャバーズ」的役回り(※ハリーポッターより)だったらこれまたスゲェぞ、なんて、子ども心にトラウマを残すような鬼畜展開を期待・妄想したりもしている。

そもそも、プリキュアは「女の子だって暴れたい!」という、放送当初斬新だったコンセプトから始まっているらしい。それが幼女の心を見事鷲掴み二十余年、ここまで来たわけだ。
だからこそ、根底にあるプリキュアのDNAとリスペクトは失わずに、これからも長く愛される作品であってほしい。しがない、いちファン(それも新規)として願うのである。

娘たち見ててもね、プリキュアごっこって基本戦闘なんですよ。それも決まって、相手に屈しそうな状況。跪いてヨロヨロ立ち上がりながら
「クッ…」とか「ウッ…あぁっ」「負け…ない…」とか言ってるわけ。彼女たちにとってプリキュアってやっぱソコなんだろうね。
ただ、聞いてるとまじでセクシーボイスだろソレ状態でほんと笑っちゃうんだけどさ。

やっぱりわたしは脳内単細胞の汚れたおとなです。

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