漠然とした不安を抱えつつこなす日々の積み重ねが結果として幸せな人生となるのかもしれない
常日頃から
今日は地震来なかったし事故を起こすことも遭うことも無くてよかった
と思いながら布団に入るような人間なので、この注意喚起下という状況、既にけっこうこたえている。
八月、夫は激務月間突入、同居しているのに娘たちとはほぼ会えない。わたしでさえ、早朝弁当を手渡し見送る程度。そんなわたしは夏休みの二人を遊ばせるのに必死でもう脳みそが溶けそうな荒廃状態、そこにこの事態である。
本日、店頭からミネラルウォーターは軒並み消え去り、飲料専門店にて辛うじて麦茶を購入。非常時への備えはあるつもりだが、日常的な飲料が手に入らないなんて、この時期こわい。
その他、消耗品系の販売棚はスカスカになっていて非常時感全開、コロナ禍を彷彿。世の中「自分さえ良ければ」みたいなあの感覚だ。そしてわたしもその一員。胸がざわつく。凄まじい不安と不快感に襲われる。
気持ちを落ち着けようと、通い慣れた児童館で先生たちとおしゃべり。少し立て直す。
娘たちは何がなんでも守らねば。
ままごとをしている彼女らの声が聞こえる。
「ママに会いたいよお…」
弱々しく呟く次女。縁起でもない設定で話が進んでいるがこれはままごとにおける彼女の常套句だ。普段わたしのことは「オカーシャン」と呼んでいる。彼女の言うママとは架空の存在である。
すかさずそこに割り込もうとしたわたし。
長女「これは、ニセモノのママだ!!」
わたし「ひどい話だよ」
帰宅後、暑さと疲労、そして不安で張り詰めた感じ。叫んだり泣いたりしている娘たちの大声に耐えられない。
「お願い、お願いだから、もう少し静かにして」
懇願する。
わたしが守ろうとしている彼女らは通常運転、それが救い。
取り込んだ洗濯物に、蚊がついていた。渾身の力で叩き潰す。Tシャツに張り付いたそれは、ただのホコリだった。
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