プロレス&マーケティング第93戦 ジャイアント馬場に「新間寿」がいたなら。
この記事を読んで(プロレスファンの)あなたが得られるかもしれない利益:先日読んだ東スポの裏一面(2024年8月29日)は、久々ジャイアント馬場特集。なんとかのスパイ映画の金字塔007(ぜろぜろせぶん)に出演オファーがあったという秘話が興味深い。しかし、それより私の心を捉えた知られざるエピソードがあった。それは「猪木の片腕と言われたあの男が欲しかった」という意外なものであった。
元子さんの意外な発言
東スポの記事は、2004年から2012年の8年間、ジャイアント馬場の奥様であった元子さんに、ある出版社の社長がインタビューしたものを活字に起こし編集し書籍化した「馬場さんの話、もっと聞かせてください」から、読者に興味深い話をピックアップしたものです。
この記事で最も僕の興味を引いたのは、次の記述でした。
スポークスマンを超えた存在
当時、新間寿氏の肩書は、新日本プロレス営業本部長。
文字通り、新日本プロレスの興行を取り仕切る最高責任者、というよりも「アントニオ猪木の私設マネジャー」でした。
このマネジャーはスポークスマン(広報担当)でもあり、猪木の代弁者、分身とでも呼べる存在でした。
70年代は猪木の黄金時代、シリーズ最終戦が行われる蔵前国技館は、メインが近づくにつれ、異常な熱気を帯びる時間帯がありました。
それが、「新間寿劇場」です。
メインの前あたりに、新間寿氏がリングに登場し、ファンが知りたがっている猪木の最新動向をケレン味たっぷりに、満場のファンに伝えるのです。
伝える、というより熱情のおもむくまま、訴えるのです。
そこには、猪木への愛情が、プロレスへの情熱がほとばしり、場内は新間の一言一言を聞き逃すまいと静まりかえり、言い終わる時は共感の嵐が拍手とともに吹き荒れます。
プロレスへの情熱、といいましたが、正確には「新日本プロレスへの情熱」です。
新間のことが書いてある、手元にある当時のパンフレットには、新間のこんな言葉が引用されています。
「世間はプロレスブームと言うが、間違っている。正しくは『新日本プロレスブームだ』
なんという暴言!
全日本プロレスはプロレスじゃない、とでも!
当時は猪木ファンは、自動的にアンチ馬場とレッテルを貼られてましたから、新間さんは、猪木プロレスこそ本物で、馬場プロレスは偽物、とまではいわずとも、『馬場のプロレスはショーマンスタイル』とこき下ろしていたことは間違いありません。
元子さんは、スポークスマン(報道官)をはるかに超えた新間氏の舌鋒を恐れたと同時に、どうして馬場さんにはああいう人がいないのかと、嘆いていたのです。
新日本プロレス旗揚げの頃は、はっきりいって猪木は馬場よりはるかに格下でした。
それがいつの間にか逆転してしまったのは、誰あろう「新間寿」のせいなのです。
憎むべきは、猪木に惚れ抜いた、新間の狂った情熱でした。
元子さんは、どんなにそれが欲しかったことか。
アナログの訴求力を見直せ
もちろん、当時はインターネットもないし、SNSもありませんでした。
新間氏は、ビッグマッチでリングに上がり満員の聴衆に呼びかけました。
リング上で、「新日本プロレスはストロングスタイル、全日本プロレスはショーマンスタイル」とマイクで怒鳴り散らし、東スポのインタビューでは、猪木に代わり「馬場よ戦え!」と挑発を仕掛けます。
今の時代に新間寿が新日本プロレスの営業本部長だったら、どうだろう、と考えてみるのです。
間違いなくX(旧ツイッター)、インスタ、YouTubeなどをやるはずです。
でも、自らリングに上がったり、記者会見を積極的にやったりは、しないんじゃないか、などと思うのです。
SNSなどなかったからこそ、ファンやマスコミとの一期一会に命をかけて、アントニオ猪木を全身全霊で訴えたのです。
レスラーも、関係者も、SNSに頼りすぎなんじゃないでしょうか。
プロレスは肉体言語であり、「プロレスとは、レスラーとファンの肉体を通じてのコミニケーション」という僕の勝手な定義からすると、SNSでのコミニケーションは「邪道」でしかありません。
スピリットってことだと思うんですよ。
火がでるようなプロレスに対する愛情が、プロレスラーに対するリスペクトがSNSやYouTubeで伝わり切るのか、と思うんですよね。
ああいうのは、「どうファンの目に映るか」を考えざるをえませんから、その時点で「死んでいる」んです。
それよりも、記者会見で直情的に感情的に訴える、ことのほうがよっぽどファンの心を打つのではないでしょうか。
きのう、ブランドの話をしましたが、新間寿みたいな人が、ブランドづくりの中心にいたら、ブランディングは成功しますよね。
その製品に対して火が出るような情熱をもって、製品の強烈なイメージを育て上げてくれる社員。
あなたの会社の「新間寿」は誰ですか?
野呂 一郎
清和大学教授