なんのための歌なのか_

なんのための歌なのか。

さっきまで奥さんと電話していて、ケンカしそうになってしまった。

悪いのは、完全に僕。

それが起きたのは、お互いに近況を語った後「カラオケ歌うま王選手権」というテレビ番組の話になったときだった。

観たことはないけれど、その番組は、カラオケの採点機能をつかって、歌の優劣を決めるものらしかった。それを対戦形式にして盛り上がるという。

奥さんは楽しんで観ていたようだから、ヘタなことは言いたくなかったけれど、聞いているだけでだんだん気分が悪くなってきた。

途中で話をさえぎって「もうムリ」と言った。

「歌は、そんなものじゃない」と思った。

僕は『魂と繋がる歌の唄い方®︎』というワークショップで、歌と唄う人とを接近(成就)させる仕事をしている。

できるだけ「あなたの歌」を、
もっと言うと「あなたの魂の歌」を唄えるように。

その視点から見ると「カラオケ歌うま王」を目指したり、点数がよかった歌や歌い手を称えたりすることは、真逆に思えた。唄った歌に人間よりも先に機械が点数をつけて、いいだの悪いだのと盛り上がること自体、受け付けられない。

もちろん、楽しみ方は人それぞれ。
歌自体は、それを許しているのだと思う。

でも、僕は、歌をそんなふうに扱ってほしくなかった。

点数を介して盛り上がるその場所には、人間関係が一つもないと思えたから。

最近、友人の結婚式で歌を唄って「関係の中にある歌ってしあわせだな」と感じた。

うまいとか下手とかそういうことではなく、その場を祝福するためにみんなと唄う歌。それは、とても自由で、おおらかで、あたたかいものだった。

そういう歌について、聴いていた仲間たちが
「我らが澤ちゃんだよ、だろ!だろ〜〜〜〜!ってニッコリしたよw」
「思ったよね、我らがゆーすけだぞ、って!」
と感じてくれていたと聞いて、さらにしあわせな気持ちになった。

そこには人がいた。歌を中心に、唄う僕と、仲間と、そして見ず知らずの人までが参加してくれた。

採点マシーンで100点をとろうとする歌には、それがない気がする。
その人はうれしいかもしれないけれど、他の人はどうやって参加したらいいかわからないじゃないか。

そんな思いがいっぱいになって不機嫌になって、険悪にすらなってきてしまったので、奥さんに「ごめん」と言って、電話を切った。

そんなこと、気にしなきゃいいのにね。
でも、やっぱりプリプリしていて、こんなことを書いている。

よせばいいのにホームページを観たら、堺正章さんが司会をしているらしく「マチャアキ、なにやってんだよ!」と言いたくなった。

「カラオケ歌うま王」を目指す人よ、アンタの歌をうたってくれ!
と言いたくもなった。

きっとね、番組の人たちは、そんなことぜーんぶ分かった上でやってるんだと思うけど、なんか悲しくなっただよ。

そんなこと、気にしなきゃいいのにね。

記事を読んでくださって、ありがとうございます。 いただいたサポートは、ミルクやおむつなど、赤ちゃんの子育てに使わせていただきます。 気に入っていただけたら、❤️マークも押していただけたら、とっても励みになります。コメント、引用も大歓迎です :-)