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These are B'z days

稲葉さんが、飛んだ。

人生で一番「カッコいい!」と思ったのは、あのときだったと思う。
残念だけれど、あの衝撃を超える瞬間にはまだ出会えていない。

1995年7月、ナゴヤ球場。
僕は18才で、大学入試を控えた受験生だった。

それは知らない曲だったが、とてつもなくカッコよかった。
グリーンのレーザー光線とともにイントロがはじまり、畳みかけるような演奏とともにヴォーカルがシャウトして駆け抜ける。

曲の後半では、稲葉さんがバンパイアの扮装をして、ワイヤーに吊られて組まれたセットの最上部まで上がり、

そこから飛んだ。

場内は、悲鳴に包まれた。

幸い、次の曲「ねがい」で、稲葉さんは何事もなかったかのようにマラカスを振って登場したので、みんなホッとした。

後に「LOVE PHANTOM」としてリリースされ、B'z 最大のヒットとなる曲がはじめて披露された瞬間だった。

B'z との出会いは『RISKY』というアルバムからだった。
よく覚えていないけれど、TM  NETWORKから自然に流れていったのだと思う。

Risky, where do we go ?

という稲葉さんのセリフからはじまり、「GIMME YOUR LOVE」「HOT FASHION」「Easy come, easy go !」へと続く。

その後のリリースからすると、少々地味な感じもするけれど、このあと「LADY NAVIGATION」の大ヒットがあって、その後のミリオン、ミリオンと連発する強烈な売れ方がはじまるわけだから、その胎動があるアルバムといっていい。

当時、僕は13才。
僕の思春期は、B'z とともにあった。

稲葉さんは、僕にとって「完璧な男性」「男の中の男」だった。
ハンサムで、歌もすごくて、顔以外にもカッコよくて。

絶対バカにされるから誰にも言わなかったけれど、僕は稲葉さんになりたかった。ステージの上でシャウトして、いっぱいスポットライトを浴びて。

そんな思いでカラオケボックスに通い、B'z の曲を片っぱしから歌ったのだった。

一方で、思春期は、自分の容姿が大きく変化した時期でもあった。

僕の顔は面長で、あごが出ている。
その顔への変貌がはじまった時期であり、ついでにニキビもあった。

他のことは努力でどうにかできても、容姿ばかりはどうすることもできなかった。受け入れるしかないけれど、受け入れがたかった。

友人からは「モアイ」などと言われ、傷ついた。
内心「僕は稲葉さんだ」と思っているのだから、余計だった。

それを笑ってごまかして「そうそう」なんて自然に受け流せるようになるまでには、かなりの時間を要した。二十歳くらいか、下手をすると20代後半までかかったんじゃなかろうか。「こんな顔じゃカノジョができない」と本気で心配もしていた。

だから、僕にとっての思春期は、B'z そのもので、強烈なあこがれとコンプレックスが同時に発生した時期でもあったと言える。

時は流れて、2018年。
僕は23年ぶりに、ステージからダイブする稲葉さんを見た。

出典:B'z official website

曲はもちろん「LOVE PHANTOM」。
途中から「hinotori」という別の曲になるサプライズ付きだった。

稲葉さんは54歳、僕も41歳になっていた。
それでもあの頃のまんま、いや、はるかにパワーアップした「男の中の男」として、稲葉さんは凄まじい存在感を放っていた。

僕はといえば「こんな顔じゃカノジョができない」という心配は杞憂に終わり(よかったね)、結婚して山あり谷ありの人生を送っている。そして、こんなことを書いている。

ここに書いたことは、みんな他愛もないことだけれど、それこそ思春期から一度も言ったことがなかったことも混ざっている。何十年もの間、そうした思いは自分の中にだけあった。

そして、いまだに「アゴがもうちょっと短くならんかな」と思うこと、あったりするんですよね。

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