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レーモン・クノー 『きびしい冬』 : ゴダールとの接点としての 「形式主義的抽象性」

書評:レーモン・クノー『きびしい冬』(レーモン・クノー・コレクション4、水声社)

レーモン・クノーについては、これまで何度かその名を見かけはしたものの、興味を持つには至らなかった。

『地下鉄のザジ』(1959年)を買ったことはあるのだが、これはクノーの作品だからではなく、映画(1960年、ルイ・マル監督)にもなった有名な「児童文学」のようだ、ということで買っただけ。私は子供が好きなので、単純に「これは面白そうだ」と(文庫本だし)買ったのである。
ところが、例によってこれも積読の山に埋もれさせてしまい、それっきりとなってしまった。

「レーモン・クノー」という作家の名前をハッキリと意識したのは、ミステリ作家の法月綸太郎『挑戦者たち』(2016年)を刊行した際、同書の紹介文に、次のようにあったことからである。

『賢明すぎる読者諸君に告ぐ――これは伝説のミステリ奇書である。こんな本、ありか!? パロディありクイズあり迷路あり。レーモン・クノーに触発されて、古今東西の名作のエッセンスに彩られたミステリ万華鏡。ブッキッシュで過剰な仕掛けと洒脱な文体遊戯でマニア悶絶。「さて、この本の面白さが諸君にわかるかな――」。博覧強記のミステリ作家が放つ、これが究極の「読者への挑戦状」だ!』

Amazonの同書紹介ページより)

つまり、「本格ミステリ+実験小説」といった、凝った作品のようなので、ちょっと興味を持ったのだが、しかし、私はそれ以前に、法月綸太郎の本格ミステリには興味を失っていた。
また、同書以前の短編集で、大変な評判をとった『ノックス・マシン』(2013年)は読んでおり、こちらは「本格ミステリ+SF+パロディ」的な凝った作品で、とてもよく出来た(作り込まれた)粒揃いの作品集だと感心はしたものの、しかし、あまり「面白い」とは思わなかったのだ。

だから『挑戦者たち』についても、たぶんよく出来ているのだろうとは思ったし、なにしろ前の『ノックス・マシン』から3年ぶりの、大人向け作品の書き下ろし作品だった(この2冊の間には、児童向けミステリ「怪盗グリフィン」シリーズの2冊が刊行されていた)のだから、「これはかなりの力作に違いない」とは思ったのだ。
だがまあ、法月綸太郎の場合、新刊に飛びつくほどの興味はもはや持っていなかったから、様子見をしていたところ、どうも評判が芳しくないというのがわかって、そのまま興味を失ってしまった。

『挑戦者たち』の評判の悪さとは、要は「書き手と読み手の求めるものの乖離」だったと言えよう。
同書のAmazonページに掲載されている書影の帯には「発売即重版!」とあって、刊行時の注目度は高かったようなのに、同ページに投稿された、5つしかないカスタマー評価のうち、1人は「五点満点」だったものの、残りの4人は最低点の「1点」だったのである。つまり、期待して読んだ読者を、「またも」怒らせてしまったようなのだ。

上の『ノックス・マシン』のレビューにも書いたとおりで、法月綸太郎という作家は、とにかく凝り性で、同作は彼のそうした側面における「尖った」点が、作家や批評家には大変高く評価された。また法月も、そうした好評を受けて、ますます尖った『挑戦者たち』を書いたのだろう。
その結果、『ノックス・マシン』と同様、『挑戦者たち』もまた、「(法月の)読者=ミステリマニア」には、ウケなかった。期待を裏切った、ということになったようなのだ。

『ノックス・マシン』が『作家や批評家には大変高く評価された』のは、とにかく「凝っており、新しいことをやっていた」からなのだが、法月の読者層であるミステリマニアは、基本的に保守的であり、あくまでも「凝った本格ミステリ」を期待した。しかし、その期待が外れたのだ。
なにしろ、法月綸太郎の読者というのは「本格ミステリ」マニアの中でも特にゴリゴリの人たちだったから、要は「SF的な世界観を援用した本格ミステリ」などには興味がなかったのである。

『ノックス・マシン』は、今で言う「特殊設定ミステリ」の先駆けとも言える、意欲作であった。
だが、ゴリゴリの本格ミステリマニアたちは、そういう「新しい」ことなど期待してはおらず、あくまでも「旧来どおり現実的な舞台の範囲内で、いかに新しいことをするか」ということに期待していたのだ。
だから、本格ミステリというものの「形式的な枠」から(一見)はみ出すような「尖った」作品は、クリエーターである作家や評論家たちとは違い、法月綸太郎の読者層としての「本格ミステリの消費者」には、評判が良くなかったのである。

だが、『挑戦者たち』は、タイトルからしてもわかるとおり、そうした「尖った」方向をさらに推し進めた作風の作品だったのであろう。
なにしろ読んでいないのだから確かなことは言えないが、レーモン・クノーという「前衛作家」に触発されて書いたような作品だから、『ノックス・マシン』の「本格ミステリ+SF+パロディ」の比ではなく、オーソドックスな本格ミステリの形式からは大きく離れた「実験小説的な本格ミステリ」であったために、『ノックス・マシン』以上に、法月は自身の読者層からの反発を受けたのであろう。「こんな変なもの、書くな! 本格ミステリを書け!(変格ミステリはいらない! 奇書なんか求めてない!)」といったような。

『挑戦者たち』が刊行された際、私は、レーモン・クノーのことはよく知らなかったので、「Wikipedia」で調べたような記憶がある。
そこで、クノーが、一時期「シュールレアリスム」運動にも関わった人であり、かのアンドレ・ブルトンの「最初の妻の妹」と結婚した人、つまりブルトン義弟に当たる人だとも知った。
のちにブルトンらとは袂を分つようだが、いずれにしろ、文学の中でも、最高に「尖った」部類の作家であり、なるほど「本格ミステリ」の読者とは相性が悪そうだと、そう納得したように思う。

今となってはハッキリわかることだが、「Wikipedia」にもあるとおり、クノーという人は「数学と哲学」をやった人なので、そのあたりで、法月綸太郎と繋がったのであろう。
法月が、本格ミステリ作家としてだけではなく、「評論家」としても高く評価されるきっかけとなった評論文で提起した「本格ミステリにおける論理の不完全性」問題というのは、文芸評論家の柄谷行人を介しつつ、「数学基礎論」へとつながるものだったのだ。
つまり、平たく言えば、「数学と哲学」への興味を通じて、法月綸太郎はレーモン・クノーとつながったのである。

レーモン(レモン)・クノー(Raymond Queneau, 1903年2月21日 - 1976年10月25日)は、フランスの詩人・小説家。『地下鉄のザジ』、『文体練習』などの実験的な作風で知られる。

生涯
ノルマンディー地方のル・アーヴルに生まれる。両親はオーギュスト・クノーとジョゼフィーヌ・ミニョ。一人息子であった。1919年にラテン語とギリシア語のバカロレアを取得、翌年には哲学のバカロレアを取得した。1921年から2年間ソルボンヌ大学で文学と数学を学び、哲学と心理学の学士号を取得した。

1925年から1926年まで兵役、アルジェリアとモロッコで歩兵(いわゆるズワーヴ兵)を務める(リフ戦争)。1928年にジャニーヌ・カーン(アンドレ・ブルトンの最初の妻シモーヌの妹)と結婚。1934年に一人息子のジャン=マリーをもうける。ジャニーヌとの生活は彼女が亡くなる1972年まで続いた。

1939年にも徴兵されるが、1940年に復員。以降第二次世界大戦が終わるまで、家族と共にサン=レオナール=ド=ノブラに住む画家エリー・ラスコーの家に寄宿する。

クノーは生涯の大部分をガリマール社社員として過ごした。1938年に入社、1956年からは『プレイヤード叢書』の編集主幹を務めた。この間ヌイイのÉcole nouvelleで教えていたこともある。1950年からコレージュ・ド・パタフィジックに参加、また1951年にはゴンクール・アカデミーの一員となった。1952年からはユーモア・アカデミーの一員となり、また1955年から1957年までカンヌ映画祭の審査員も務めた。

翻訳家としても活動しており、ナイジェリア人作家エイモス・チュツオーラがロンドンで英語で出版した小説『やし酒飲み』の仏語訳を1953年に出版している(フランス語版の題名は『密林の飲んだくれ』)。またアレクサンドル・コジェーヴ(クノーは1930年代にジョルジュ・バタイユらと共にコジェーヴの生徒だった)が行ったヘーゲルの『精神現象学』の講義録を編集・出版している。

1976年10月25日、パリで死去。73歳。』

レーモン・クノーとは、こういう人だった。
だから、その作品についても、次のように「前衛的」なものであった。

『 作品について
1920年代におけるシュルレアリストとの交友と決別の後、1932年のギリシア旅行中に処女作『はまむぎ』を書き上げる。これは旅行中たまたま手元にあったデカルトの『方法序説』を現代の話し言葉で書いてみたらどうなるかというアイディアに基づいて書かれている。クノーの意図は、中世の作家たちがラテン語(書き言葉)ではなく新しいフランス語(話し言葉)で哲学・神学的著作を書いた(それによってフランス語は書き言葉になった)ように、現代ではもはや古くなってしまったフランス語ではなく、話し言葉で哲学的な著作を書くことによってその乖離を乗り越えなければならないというものであった。『はまむぎ』は1933年に発表されたが、のちのヌーヴォー・ロマンの先駆をなす前衛的な作品であったにもかかわらず(あるいは前衛的だったために)文壇からは黙殺された。これに憤慨したジョルジュ・バタイユやミシェル・レリスをはじめとする13人の友人たちは、アンドレ・マルローの『人間の条件』がゴンクール賞を受賞したのと同じ日に、パリの老舗カフェ「ドゥ・マゴ」においてクノーに与えるためだけの文学賞をみずから新設し、一人100フランずつポケットマネーを出し合って賞金1300フランをクノーに授与した。これがのちにフランス文壇においてゴンクール賞と並んで権威ある文学賞となったドゥ・マゴ賞の発足の経緯である。

クノーがフランスで一般の注目を集めるようになったのは、1959年の小説『地下鉄のザジ』がきっかけである。これはルイ・マルによって翌1960年に映画化され、フランス映画のヌーヴェルヴァーグ運動の先駆けとなっただけになおさらのことであった。当時のフランス小説が規範的な書き言葉に則っていたのに対して、『ザジ』では口語表現が多用されており、またフランス語の正書法から離れて、"D'où qu'ils puent donc tant?"という表現に"Doukipudonktan"という音声学的転記を行うといった実験も行っている。

1960年に発足した潜在的文学工房(ウリポ)では師範格として様々な文学的実験を行ったが、クノーはウリポ発足以前から創作の源泉として数学に関心を抱いていた。1948年にはフランス数学会に会員登録している。クノーの数学、あるいは数そのものへのこだわりとしてよく知られたものとしては、例えば処女作『はまむぎ』がある。この小説は全部で7章あるが、1章が13節からなるので7×13=91節であり、この91という数字は1から13までの自然数の総和である。このように、テクストの諸要素は章分けの総数といった一見するとどうでもよいものまで含めてあらかじめ決定(あえて言えば「計算」)されているべきであるとクノーは考えたのである。また『オディール』の主人公はクノー自身がモデルであるが、彼はしきりと他の登場人物に対して数学談義をもちかける。『百兆の詩篇』は、10篇のソネット(14行からなる詩)を1行ずつバラバラに切り離して組み合わせておいたものを、読者が好きなように並べ替えることで10の14乗すなわち100兆通りのソネットが作れるというものである。なお、1篇の詩に1分(並べ替えに15秒、読むのに45秒)としてすべてのソネットを読むのにかかる時間を計算すると、1日24時間、1年365日休まず読み続けても190,258,751年+αを要するとのことである。また後年の著作「ダフィット・ヒルベルトによる文学の基礎付け」(1976年)では数学者ダフィット・ヒルベルトを取り上げ、テクスト的公理系からの半数学的派生によって文学を基礎づけようという試みを行っている。現代数学界の最新動向に対する関心も終生もちつづけていた。

クノーの代表作の一つ『文体練習』は、ある男が同じ人物を一日に二度見かけるという単純な物語を、99種類の異なる文体で描くという試みである。』

まあ、要するに、彼の作品の多くは、「普通の小説」ではないし、「普通に読んでわかる作品」ではないのだ。
言い換えれば、その「文学の形式性における実験」を楽しめるか否か、という、極めて敷居の高い作風だったので、そうした部分を援用した法月綸太郎の『挑戦者たち』が、法月の従来の読者層である「本格ミステリ」マニアから嫌われたのも、ある意味では当然ことだった。
法月は、もっと「オタクの心理(保守性)」というものを知っておくべきだったし、クノーと同様、心理学にも配慮するべきだったのだが、法月の場合、私が言うような「俗流心理学」的なものには興味がないから、心理学を勉強したところで「一般人の心理の機微」を理解しはしなかっただろうけれど。

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さて、ここでレーモン・クノーその人に話を戻すと、私は、「数学や哲学」には、法月綸太郎ほどの専門的な興味を持たない。と言うか、興味は持っても、わからない。私は基本的に文系人間で、数式が出て来る本は、入門書でもダメなのだ。

一方「前衛文学」の方には、多少の興味を持ったことはある。私が好きな澁澤龍彦もブルトン信者だったから、「シュールレアリスム」に興味を持ったことはあるし、「ポストモダン文学」も多少は読んだ。で、それなりに感心はしたのだが、いかんせん「面白い」とまでは思わなかったのだ。
私は、「新しいもの好き」ではあるのだけれども、「前衛文学」的な「新しさ」は、どうも「合わない」ようだと気づいて、すこし考えてみた。その結果、私が好きなのは、あくまでも「人間的なもの」なので、その「人間」から離れていくような傾向、例えば「抽象化・形式化を徹底していく」ような「前衛文学」的な方向性を、私はあまり楽しめないようだと、そう気づき、「前衛文学」への興味を失ったのである。

そんなわけで、レーモン・クノーという作家には、これまでほとんど興味はなかった。

では、どうして今回、読むことにしたのかというと、それは「映画」がらみ、ということになる。

これまでに何度も書いているとおり、私は一昨年、初めてジャン=リュック・ゴダールの映画を見て「なんだこりゃ?」と思って以来、ゴダールと映画に興味を持って、研究的に映画を見たり関連書を読んだりしているのだが、今回クノーを読んだのは、そのゴダールの映画にクノーが「引用」されていると知ったからだ。それで、クノーがどういう作家で、クノーのどこがゴダールの興味を惹いたのかを、確認したくなったのだ。

それで「試しに1冊くらい読んでみるか」と思ったのだが、前述のとおり「実験小説」は苦手だったので、代表作とされる『文体練習』は避けることにした。この段階では、同作が『ある男が同じ人物を一日に二度見かけるという単純な物語を、99種類の異なる文体で描くという試み』だということは知らなかったので、もっと難しい内容を想像して、まずこの作品を避けた。
次に、児童文学(だと私が思っていた)『地下鉄のザジ』は、クノーとしては例外的な作品かもしれないので、これも避けた。
また、私は「詩オンチ」なので、詩作品も避けることにした。

一一要は、こうした作品以外、つまり比較的「普通の小説」に近いものを読んでみよう、それでも雰囲気くらいは掴めるだろうと、そんな軽い気持ちで、例によって「ブックオフ・オンライン」で古本を検索したところ、本書に行き当たったという次第である。

内容紹介では、どうやら本書『きびしい冬』は、クノーのなかでは例外的な「普通小説」的な作品であり、しかも「恋愛小説」みたいなので、普段は「恋愛小説」を読まない私も、「これなら読めそうだ」と考えた。

で、どうであったか? 一一ズバリ「正解」。普通の小説として「面白かった」のだ。

本作は、「Wikipedia」で紹介されていた『オディール』と同様、主人公にクノー自身を投影した「半自伝的作品」であり、実験的な要素はほとんどなかった。
皆無だったわけではないが、そこは気づかなくてもなんら問題のないものでしかなかったのだ。
そのあたりについては、訳者の鈴木雅生が「解説」で紹介してくれているのだが、それとて、さほど詳しいものではなく、やはり、本作におけるそうした部分は、クノーの「趣味的お遊び」に過ぎなかったようである。

さて、その「解説」にもあるとおり、本書が書かれたのは「一九三八年から三十九年にかけて」であり、要は「(両大戦の)大戦間期」である。
そして、物語の方は『一九一六年から一九一七年にかけて』の「第一次世界大戦中」を舞台にしている。
つまり、現実にも、やっと戦争が終わったものの、火種は燻り続けたままで、次の戦争の気配がハッキリと感じられるようになっていた時代の作品だと言えるだろう。
その意味では、先日レビューを書いた、ジャン・ルノワール監督の映画『大いなる幻影』と、時期的にもテーマ的にもピッタリ重なる作品だとも言えるのである。

本作の内容は、次のようなものである。

『 本作『きびしい冬 Un rde hiuer』は一九三九年、レーモン・クノーが三十六歳の時に発表された。処女作
『はまむぎ』(一九三三年)から数えて六作目の小説で、四十年以上におよぶクノーの作家活動においては初期のもののひとつである。『文体練習』(一九四七年)や『地下鉄のザジ』(一九五九年)のクノーに馴染みのある読者のなかには、戦争が迫りくる暗い時代を反映してペシミスティックな色彩の濃いこの作品を、クノーらしくないと感じるむきもあるかもしれない。
 舞台は第一次世界大戦中の地方都市ル・アーヴル。妻を亡くして以来やもめ暮らしをつづけている三十三歳のベルナール・ルアモーは、戦傷のために前線から退いてこの町で英国軍との連絡の任務に当たっている。
物語は一九一六年から一九一七年にかけてのルアモーのひと冬を描く。主人公はこの「きびしい冬」を、兄の家に食事に行ったり、英軍婦人部隊の娘とデートをしたり、市電のなかで出会った子どもたちを映画に連れて行ったり、古本屋の女主人とおしゃべりしたりして過ごす。ふとしたきっかけからあるスイス人と懇意になるが、のちにその男の意外な素顔が明らかになり、主人公が恋する英軍婦人部隊の娘とは、ある日を境に連絡がとれなくなってしまう。やがて冬の終わりとともに傷も癒えて、主人公はふたたび前線に送られることになる。
 ジョルジュ・ペレックがイマジネール叢書版『きびしい冬』の作品解説で書いているように、この作品ではとりたてて特別な事件が起こるわけではない。主人公ルアモーの日常が淡々と、どこか突き放したような乾いた筆致で描かれているだけだ。クノーの代表作にみられる大胆な言語実験や新しい小説形式の探究、荒唐無稽な筋の展開、一筋縄ではいかないユーモアといったものは前面に出てこない、一見すると地味な『きびしい冬』、しかしこの作品は一読して忘れがたい印象を残す。』
(P157〜158「解説」より)

ここにもあるように、主人公のルアモーは、愛する妻を百貨店のビル火災で亡くした心の傷を引きずっており、そのせいもあって、世の中を斜にかまえて見ているような青年で、その目を通して、多彩な登場人物が描かれるから、どうしても「皮肉」な描写が多く、読んでいて楽しい作品とは言い難い。

だが、その彼が「英軍婦人部隊の娘」に本気の恋をするも、相手はそこまでではなく、結局は彼に黙って帰国してしまう。所詮は、配属先での「火遊び」にすぎなかったのである。

だが、そんな彼を一人の無垢な少女が救うことになる。少女の名前はアネット
件の「英軍婦人部隊の娘」の夢中になる以前から、アネットとは、彼女の弟とともに知り合ってはいたのだが、なにしろアネットはまだ13歳だったので、当初ルアモーは、アネットのことを、相手をしていて癒される「可愛い子供」としてしか見ていなかった。
だが、アネットの方はルアモーに本気の恋心を抱くようになり、彼に対し「私だって、来年になれば結婚できるのよ」と訴える場面もある。

そんなわけで、「英軍婦人部隊の娘」への恋に破れた後、ますます捨て鉢になっていたルアモーは、しかしアネットの「無垢な恋情」の光に照らされ、温められることで、心の傷を癒やし、人間としても再生することになる。
もともとは貧乏人を毛嫌いし見下していたルアモーだったので、アネットら妹弟の姉マドレーヌが売春をして妹弟を育てているということについて、一定の理解はあったものの、やはり見下す気持ちのあるのも否定できなかった。
だが、そんなルアモーも、アネットに心の傷を癒されることによって、人間や社会に「希望」が持てるようになり、マドレーヌのような貧乏人の「苦しみ」にも、人間的な共感を持てるように、生まれ変わった。

ルアモーはいつしか、アネットを一人の女性として愛するようになり、彼女と婚約する。
そして、脚の怪我もようやく癒えて「再び戦場へ戻っていく」というところで、この物語は幕を閉じるのである。

つまり、本作は、「戦争」に象徴される「この世の不幸(闇)」に対して、「アネット」に象徴される「無垢な愛(光)」を対置することで、「未来に対する前向きな意志」を回復するという、そんな「希望」を描いた作品だということになるだろう。

現実認識としては、ある意味で「大甘」だとも言えないこともないのだが、しかし「大戦間」という「暗い時代=きびしい冬」に生きていたクノーらにとっては、この「きびしい冬」もいつかは終わり、「アネット」に象徴されるような「春の陽光」が差し込み、冷たい雪を溶かしてくれると、そう信じないことには生きてはいけない時代だった、ということなのであろう。
だから私も、クノーのこうした「甘さ」とも取り得る「人間らしい希望」を否定しはしないし、むしろその点(統整的理念)において、かえって本作に好感を持ったのである。

クノーは「数学や哲学」あるいは「前衛文学」といった「尖った」部分に立っていた人だったが、しかしそんな彼にも、当たり前に人間的な「希望」が必要だったのだという点で、私は「人間の文学」は、決して「前衛文学」に劣るものではないのだという、当たり前の事実を確認することができた。

もちろん、「前衛=前線」も大切だが、それは、それを支え、前線からの帰還を待ってくれている「後方としての人間社会」がなければ、そもそも「前衛=前線」など意味のないことなのだ。
誤解されては困るのだが、私はここで「戦争を支えるのも人間だ」という「悲観的なこと」を言いたいのではない。たしかに「戦争を支えるのも人間」なら、しかし「戦争を否定し、それと対峙して人間を信じるのも人間だ」と、そう言いたいのである。

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「Wikipedia」にもあるとおり、クノーは、

『1955年から1957年までカンヌ映画祭の審査員も務めた。』

『1959年の小説『地下鉄のザジ』がきっかけである。これはルイ・マルによって翌1960年に映画化され、フランス映画のヌーヴェルヴァーグ運動の先駆けとなった』

といったことから、映画界と直接的につながり、同時代的に「ヌーヴェル・ヴァーグ」ともつなかり、ゴダールともつながったのであろう。
だが、本書を読んだだけでは、クノーとゴダールの、内容的かつ直接的な接点や共通点までは、まだハッキリはしない。

ただ、これはあくまでも想像の域を出ない話ではあるのだが、例えばクノーの、

『『百兆の詩篇』は、10篇のソネット(14行からなる詩)を1行ずつバラバラに切り離して組み合わせておいたものを、読者が好きなように並べ替えることで10の14乗すなわち100兆通りのソネットが作れるというものである。』

『『文体練習』は、ある男が同じ人物を一日に二度見かけるという単純な物語を、99種類の異なる文体で描くという試みである。』

といったところに、ゴダールの作風と「一脈通ずる」ものがあるように、私には思える。

要は、「人間の内面性」ではなく、むしろ、そのジャンルの「形式性に対する偏愛」といった、その「抽象性」において、両者は似ているのではないか、というようなことだ。

そして、もしもゴダールがそういう人なのであれば、彼の作品が私の「趣味に合わない」というのも、私が「前衛文学」を「楽しめない」のと同様のこととして、納得もできるのである。

もちろん本書1冊を読んだ程度でハッキリとしたことは言えないのだが、それでも何かが少しは見えてきたという感覚もないわけではない。

また、何よりも、レーモン・クノーという人にも興味が湧いたので、機会があれば、また別の作品なりを読んでみたいとも思っている。



(2024年7月19日)

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