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今はただ、あの日の希望になりたくて。京都移住、半年間の振り返り
ちょうど1年前、恋人からの「京都移住」という提案を前向きに考えはじめていた頃。
わたしの心にいちばん引っかかっていたのが「今後の仕事や働き方」だった。
当時働いていた職場は学生時代から長くお世話になっていた会社で、人にも仕事内容にも恵まれていた。
だけど制度上リモートで働くことはできなくて、27歳という年齢もあり、この先のキャリアについてちょうど悩んでいた時期でもあった。
結果、わたしは転
京都暮らし、はじめての夏|暑さも忘れて憧れを叶え続けた。
京都に移住してから、はじめての夏がきた。
7月までは、仕事で東京と京都を行ったりきたりしていたから、1ヶ月まるまる夫とふたり京都で過ごしたのは、8月が実質はじめてになる。
「京都で暮らしている」という実感を手のひらで握りしめるように、8月は毎週のように伝統行事や地元のイベントに足を運んだ。
そのおかげか、この夏は京都らしい体験を通して、憧れが少しだけ日常に近づいたような気がする。
はじめて
はじめての移住・結婚・転職を経て。5ヶ月間の振り返り
京都への移住、結婚、同棲、実家からの独り立ち、転職。これらは今年、わたしの人生に起きた変化のすべてだ。
あまりに多くの「新しいこと」が一度に始まったから、それぞれに適応するのに精いっぱいで、気づくともう、5ヶ月が経とうとしている。
特に、新しい職場で働き始めた3月からは、物理的にも精神的にも慌ただしく、余裕がないこともしばしばで、正直「移住・結婚・転職をして、毎日がハッピー!」と胸を張って言え
自由を求めてひとりを選んだ私が今日、結婚をする理由
「結婚しました。」
この言葉を聞いたら、2年前までのわたしを知る人はきっと「え、ななみんが結婚?!嘘でしょ?!」と驚くだろうなあと思う。
この事実に驚いているのは、わたしも同じ。
婚姻届を提出した今だって、「結婚」という言葉はなんだかくすぐったくて、遠い世界のできごとみたいだ。
そもそも、2年前までのわたしにとって「結婚」とは、自ら先延ばしにしていた未来だった。
いつかはするのだろうな、
あなたともっと、生きたかった。桜の季節にこの世を去った親友へ。
1年前、親友が他界した。
ちょうど今のように桜が満開で、新しい季節のはじまりに、世の中がそわそわしはじめた頃だった。
家族にも恋人にも、ほかの友人たちにも。誰ひとりとしてこのことを伝えられないまま、わたしは今日を迎えている。
誰にも伝えていないことで、わたしひとりが秘密を抱えて生きているような、後ろめたい気持ちでこの1年を過ごしてきた。
自分が彼女を遠い世界に追いやってしまったような、罪の
東京から京都へ。移住をしたら、レールが消えて自由になった。
ああ、あの京都での日々が夢みたいだなあ……
はじめての引っ越しと家事に慌てふためき、色々な場所に赴いて人と会い、縁があっていただいた仕事に挑戦し、カフェ巡りは怠らず、ホームパーティーを開くなどしていたら、あっという間に3週間が過ぎてしまった。
有給消化期間を終え、いまは新しい職場の仕事に慣れるため、一時的に東京の実家に戻ってきている。
東京に帰ってくると、夜の明るさや音の大きさ、心を無にして
京都移住、はじめました。安全地帯を手放して、私が移住を選んだ理由
「来年から一緒に京都に住もうって言ったら、どうする?」
2022年、5月のこと。
朝の鴨川を眺めながら、近くのお店で買ったパンを頬張っていると、隣で目を輝かせながら、恋人がそう口にした。
「楽しそう!住みたい」
「もちろん、一緒に行くよ」
なんて簡単に言えなかった。それくらい彼の目は本気で、わたしは曖昧な笑顔で彼の視線を受け止めたまま、しばらく黙り込むしかなかった。
「京都に住む」なんて
義母の実家を訪ねたら、家族が20人増えました。
お義母さんの実家がある山梨へ、彼の家族と一緒に挨拶に行った。
山梨の大家族の話は彼からもたびたび聞いていたのだけど、想像以上、というより「話を聞いて知識として知っているのと、実際に体験するのはまったく違う」ということを、強く実感した2日間だった。
3人の叔父さんや9人の従兄弟とまるで親友のような距離の近さ、親族がみんな半径1km圏内で暮らしていること、ほぼ同い年で働きながら5児の母をしている人
あの日、燃え尽きてしまったわたしへ。いま贈りたい3つの処方箋
昨年の4月に念願の社内表彰をされてから、わたしは生まれてはじめて、いわゆる「燃え尽き症候群」の状態に突入した。
巷では何度かその言葉を聞いたことがあったけれど、実際に体験したことはない。
だから、自分が突然「なにもやる気が起きない」という状態になったとき、はじめは「長い期間頑張っていたから、疲れが溜まっていたのかなあ」くらいにしか思っていなかった。
あれ、ちょっといつもと違うかも……?
と