あの日、燃え尽きてしまったわたしへ。いま贈りたい3つの処方箋



昨年の4月に念願の社内表彰をされてから、わたしは生まれてはじめて、いわゆる「燃え尽き症候群」の状態に突入した。

巷では何度かその言葉を聞いたことがあったけれど、実際に体験したことはない。

だから、自分が突然「なにもやる気が起きない」という状態になったとき、はじめは「長い期間頑張っていたから、疲れが溜まっていたのかなあ」くらいにしか思っていなかった。


あれ、ちょっといつもと違うかも……?


と気づいたのは、その傾向が夏になっても改善される兆しがみえないことに焦りを感じはじめていた頃のこと。

前年までは、「毎月10冊本を読む」「毎週1本はnoteを書く」といった個人的な目標を立てて実行していたり、仕事でも常に自分やチームメンバーの成長のために、貪欲に学び、実行を積み重ねてきた。

ところが、5月を過ぎたあたりからそのどれもに意味を見出せなくなってしまい、心が動かず、「生きているのが、楽しい!」と全身で幸せを噛み締める瞬間が、日常からすっかり消えてしまっていた。


もしかして、これって。「燃え尽き症候群」というやつ?


そう気づいてから、すぐに何らかの手を打てたらよかったのだけれど、実際そうはいかなかった。

ちょうどプライベートでは恋人に「一緒に京都に住まない?」という夢みたいな提案を受けて心が揺らいだり、それをきっかけに、自分自身の仕事や生き方を一から考え直すことに全神経が集中していた。

だから、燃え尽きて「心ここにあらず」状態となった自分への対処法を探す思考には、どうしても至らなかったのだ。





最近ようやくこれからの生き方が少しずつみえてきて、周りを見渡す冷静さを取り戻しつつある。

その中で思うのは、「みんな、どうしてこんなに頑張れるのだろう」ということと、「どうしたら、いい状態を保つことができるのだろう」ということ。

一昨年の自分の、常にキャパを大きく超えながらも全力で走り続けていた姿を懐かしく思う。

ゆとりがあって心穏やかに過ごせる毎日も大切にしたいけれど、わたしはやっぱり、何かに夢中になって全力で努力している自分が好きだし、心から充実感を得られる性格なのだなあと実感する。

無闇に努力する必要はもちろんないけれど、自分の理想や目的に向かって、それを叶えるために考え、心や身体を動かしている時間はけっこう好きだ。


そんな自分を取り戻すには、どうしたらいいのだろう?


2023年、もう一度自分が生き生きと過ごせるようになるために、方法を考えてみることにした。


①自分で "わくわくする機会" をつくる

昨年の自分の過ごし方を振り返って思うのは、「誰かのつくった機会に流される」ことが多かったなということ。

それは、たとえば自分の暮らしや今後のキャリアについて、恋人からの提案をきっかけに考えはじめたというのもそうだし、逆に「自分から機会をつくることができなかった」というのもそうだ。

副業のライターのお仕事も、たまたま声をかけてもらえたから挑戦できたけれど、自分から取りにいくことはできなかった。本業のほうも、自分で課題をみつけて仕事の範囲を広げていくべきだったのに、なかなかそうはいかなかった。

プライベートでも、友人たちのSNSを眺めながら「またこういう気軽な集まりに参加したいなあ」と思いながらなかなか連絡ができなかったり、「運動しなきゃ」とわかっていても行動に移せず、半径1mの中でぐずぐずしていたような気がする。

そんな1年が繰り返されることのないよう、今年は月別の「やりたいことリスト」をつくってみた。ポイントは、1ヶ月の間で達成できそうな数(4〜5個)に留めることと、達成するための方法もセットで考えておくこと。今のところ、1月のリストは全部達成できそうで安心している。

今年は受け身じゃなくて、自分でわくわくする機会をつくっていきたい。やりたいこと、なりたい自分、欲しいものは、自分から手を伸ばして掴んでいきたい。

当たり前のことかもしれないけれど、これを年末まで続けられたら、今年はきっといい年になると思う。


②仲間やメンターをみつけて、頼る

前の項目を読んで、「燃え尽きてやる気がなくなってしまったら、そんな気分にもならないんじゃ…?」と思った人もいるかもしれない。

それは本当にその通りで、わたしは何もやる気が起きなかったから、どうあがいても自分から何かを取りに行こうという気持ちにはなれなかった。

強い心の持ち主だったら、自分の力で少しずつ現状を改善していけるのだろうけど、弱い自分も自分だから仕方ないよね、とつい自分を甘やかしてしまうわたしのような人には、仲間やメンターとなる人がそばにいたらよかったのではないかなあと思う。

特に仕事においては、悩みやもやもやをもっと誰かに話せていたら一人で抱え込まなかっただろうし、一緒に頑張ってくれる人がいるだけで、自分も頑張ろうかな、と気持ちを新たにすることができたかもしれない。

できれば、いまいる環境で仲間になれそうな人には積極的に声をかけたり、相談相手になってくれそうな人をみつけて定期的に話ができるといい。(どうしてもみつからなければ、外部でもいい。)その時に、取り繕わずに自分の現状や弱みをちゃんと自己開示するのも忘れずに。

もともとパーソナルスペースが広く、自分が相手にとって価値のある存在だと思ってもらえるよう、無意識に努力してしまうような性格もあって、「人に頼る」「悩みを打ち明ける」のはかなりハードルが高いのだけれど、今年はそれを克服していきたい。


③走り出す前に、しっかり休む

自分のやりたいことや目標がみつかって、仲間やメンターの存在があっても、いざ動こうと思うと腰が重い、やる気が出ない……ということもある。1日、2日とか数日単位の話ではなくて、数ヶ月、1年単位でも、あるときはある。

今回はじめてそれを経験してみて、最初はほんとうに焦ったし、「頑張れる自分は、一体どこへ行ってしまったのだろう…」と、心細くもなった。

だけど、わたしはそんな自分に厳しくせずに、「とりあえず、心が戻ってくるまでは無理に何かをするのはやめよう」と決めた。

月に10冊読んでいた本がまったく読めなくなっても自分を責めず、本屋さんで心が動いたときだけ手に取るようにした。仕事で積極的に新しい取り組みをする意欲がなくなっても、まずは最低限やるべきことをしっかりやろう、という思考に切り替えた。

仕事ではなかなか「自分が好きなことだけやる」というわけにはいかないけれど、できる限りそういう時間を増やしていく努力をすることは、楽しさややりがいを思い出せるから大事だったなあと思う。

いまは本もだいぶ読めるようになったし、文章も書きたいと思う瞬間が増えてきていて、リハビリ終了の兆しがみえはじめている。

10ヶ月くらいかかったけれど、この期間があったからこそ、「自分のキャパを超えて走り続けた期間の後には、こういう時期が訪れるのだな」という新たな学びにもなったし、「その後、無理せず休むことで、また自然と前向きに頑張りたいと思える日がくる」ということも知った。

だから、もし今年全力で何かに取り組み、来年また燃え尽きてしまっても、それはそれでいいのかなと思う。それを恐れて全力が出せないのは格好悪いし、性に合わない。

燃え尽きたら、休めばいい。

そのくらいの心の余裕を持ちながら、日々を過ごしていこうと思う。





世の中には、常に一定のペースで走り続けられる人や、毎年高い山を登り続けられる人もいるかもしれない。

だけど、そうじゃない人も多いのではないかなあと思う。

わたし自身も今回のような経験をしてみて、「毎年、理想に向かう階段を上り続けていたい」と思っていたけれど、階段を数段飛ばしで上った期間があるなら、その次の期間は踊り場で少し休憩してもいいのかもしれないな、とはじめて思うことができた。

休むことで、そもそも自分が掲げていた「理想」が変わっていることに気づけたり、自分の努力の方向性が道筋から逸れていないか、再確認することもできる。休むことは、悪いことばかりではなかった。




とはいえ何事にもやる気がなくなってしまうと、生きている心地がしないから苦しい。日々が色を失って、何のために生きているのか分からなくなる。できることなら、そんな期間は短くしたいというのが本音。

だけど、燃え尽きてしまうくらい何かに夢中になれること自体は誇らしいことだし、頑張ってきた自分を、ちゃんと褒めてあげたいなとも思う。

最終的には、頑張っている自分もそうじゃない自分も丸ごと受け止めて、日々を愛していけたらいいのだろうな。

そんな自分になるにはまだまだ時間がかかりそうで、またわたしはすぐに「頑張っている自分が好き!もっと頑張ろう!」と意気込んでしまう気がするけれど……

そのたびに、今日ここに綴った言葉を読み返したい。




岡崎菜波 / Nanami Okazaki
Instagram:@nanami_okazaki_



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