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"結婚は自由になるための選択" って言葉の意味が、ようやくわかった



結婚して、家庭を持つこと。たったひとりの人と、一生を添い遂げること。わたしにとって「自由を奪うもの」としてそれらを恐れていた時から、1年半。

彼と過ごしているうちに、まさか自分がこんなにも「結婚」や「家庭を持つこと」に対して前向きになるなんて、思ってもみなかった。

つい最近まではまったく想像もしていなかった自分が、いまここにいる。



「結婚することで、自由でいられなくなるのが怖い。」



そんな漠然とした不安を抱えていたわたしに、彼はこう言った。



「ふたりで自由になるために、結婚するんだよ。」



曇りのないまっすぐな瞳で伝えてくれた彼の言葉を、その声のトーンを、いまでもはっきり思い出すことができる。

付き合いたてのタイミングだったということもあって、はじめてこの言葉を聞いたとき、わたしは彼の言っていることがあまりピンときていなかった。けれど、いまはその意味が理解できるし、本当にその通りになったんだなあと思う。

これまで生きてきた27年間を振り返ると、わたしは彼と出会ってから、はじめて自分が自由になれたような気がしている。



***




そもそも、結婚や家庭を持つことに対してこんなにも抵抗や不安を感じていた背景には、いままでの恋愛が影響している。

なかでも強く心に残っているのは、歳下の恋人と付き合っていた頃のこと。環境の変化や物理的な距離によって、わたしは寂しさや不安、不満を相手に伝えることを諦め、溜め込むようになり、行き場を失った感情をぶつける代わりに、ほかの人で解消することを選んでしまった。

彼は心身ともに深く傷ついていたわたしを救ってくれた人だったのに、結局わたしは自分を大切にしてくれていた人に、自分を傷つけた人と同じようなことをしてしまったのだ。

一度好きになるとその想いが変わることなんて滅多になく、愛情深いのが自分のいいところだと思っていたのに、まさか自分の気持ちが冷めてしまう日がくるなんて。

「一途でいること」を何よりも大事にしていた当時のわたしにとって、その事実はとても受け入れられず、自分のことが信じられなくなった。




そのできごとがきっかけで、わたしは「相手に依存しない恋愛の仕方」を覚え、お互い本気ではないという暗黙の了解のもと、期限付きの恋愛ばかりするようになった。

心の奥底では、「もっと自分に興味を持ってくれたらな」とか、「この人がわたしを本気で好きになる世界線が、どこかにあったのかな」とか、淡い期待やわずかな希望が渦巻いていたのだろうけど、そんな想いに見て見ぬふりで蓋をした。

そうしているうちに、誰かひとりに依存するより、割り切って付き合っていたほうが傷つかないから気楽だなあとか、会えない期間は自分のために時間を使えるから効率的だなあとか、思考がどんどん「強がりな自分」にフィットするように形を変え、心の声は小さく萎んで消えていった。




恋愛ドラマや小説に出てくるようなことを一通り経験した頃、わたしはすっかり疲れ切っていた。もう、しばらく恋愛はいいかなあ。これからは、自分の人間としての成長と、目の前にある仕事に専念しよう。

そう決めたのが、2020年の春だった。ところが、その直後に彼と出会い、直前の決意なんてまるでなかったことのように、自然と物事が進みいまに至る。


「結婚って、ふたりで自由になるためにするものだよ。」


当時は、彼のこの言葉の意味がわからなかった。

恋愛体質のわたしが、この先の人生を一緒に生きていく人をたったひとりに絞るなんて、絶対に無理だ。彼のことは大好きだけれど、誰だって完璧ではないのだから、すべてに満足することはできないだろう。結婚して、もしほかに好きな人ができてしまったらどうしよう。彼のことを、傷つけるのが怖い。

たとえ家族ができたとしても、わたしは勉強や仕事をずっと続けていきたい。それに、趣味もやってみたいことも、行ってみたい場所もたくさんある。独身のいまでさえ時間もお金も足りないのに、育児をする余裕なんてあるのだろうか。自分自身のことで精一杯なのに、家族のためにエネルギーを注ぐ体力なんて、どこから生まれてくるのだろう……。

いま考えてみると、なんてひとりよがりなのだろうと思ってしまうけれど、当時は本気で悩んでいた。「たったひとりの誰かと、一緒に生きること」の窮屈さにばかり目がいって、後ろ向きな想像が止まらなかった。

結婚や家庭を持つことは、わたしを自由どころか不自由にさせるものなんじゃないか。彼のことは大切だし、わたしだって家族を持たずに一生を過ごすつもりはないけれど、まだ自信がない。前向きに考えることが、できない。

彼の言葉を理解したい想いと、覚悟を持てない自分へのもどかしさと、不透明な未来への不安。それらが頭の中をぐるぐる駆け巡っていた。






あれから、1年半。

いまでは彼との結婚生活を当たり前のように想像しているし、彼よりも結婚式について積極的に情報収集をしているし、町を歩いていて小さな子供を連れた若い夫婦を見かけると、わたしたちもあんな風になるのかなあ、なんて少し先の未来を思い描いたりしている。

それを彼に話すと、


「ななみは本当に、変わったね。」


と、驚いたように笑われる。
実際、ほんとうに変わったなあとわたしも思う。



この1年半の間に、何があったのか?



なにか劇的な事件が起きたのかと言われると、そうではない。もちろん、お互いの仕事や暮らしの理想、必要なお金、子育てや家事の分担、それら諸々について何度も何度も話し合ってきたから、イメージが湧いて「意外と、大丈夫そうかも」と思えるようになった、という現実的な理由もあるとは思う。

だけどいま、そういう理屈を抜きにして思うのは、わたしは彼と一緒にいる時がいちばん、「自分が自分でいられている」感覚があるということだ。

彼と一緒にいると安心できるのか、面白いほどすぐに眠たくなる。ふたりで過ごしていると、目の前の一瞬、一瞬に集中できるから、普段ひとりでいる時間に延々と考えてしまうような悩みごとも、頭からすっかり消え去ってしまう。

感じたこと、思ったことをすぐに言葉にできるようになったし、彼も興味を持って話を聞いてくれるから、感情を言語化する機会も多い。そのたびに、わたしは自分のことをより深く知ることができる。

「笑顔が増えたね」と周りの友人たちからもよく驚かれるくらい、彼と一緒にいる時間は、楽しくて仕方がない。待ち合わせの瞬間はいまでも毎回心が踊って、彼にすかさず「また嬉しそうな顔してるよ」と言われる。




相手の行動や言動に小さく傷ついたり、お互いに想いが通じなくてもやもやしたり、不安や不満を感じることは、もちろんある。

だけど、マイナスな感情を抱いたらすぐに伝え合える安心感と、お互いがいちばんの理解者であるという信頼感があるから、何度ぶつかっても、わたしたちなら大丈夫だ、と思える。

想いが行き場をなくすことはもうないから、寂しくない。ほかの人で解消する必要も、まったくない。

むしろ、いままでは誰にも言えなかったような重たい悩みや、話したら笑われそうな大きな夢も話せるようになって、わたしは前より未来に希望が持てるようになった。自分に自信が持てるようになった。

彼に出会うまでの26年間、わたしは硬い殻を被って生きてきたんだなあと思う。それがようやく剥がれたいま、自分が自分のもとへ帰ってきた、そんな感覚。


自分が自分でいられる心地よさ。
取り繕うことも、恐れることも、なにも必要ない。


彼の隣にいると、そんな風に思える。

だからわたしは、この先もずっと彼と一緒に生きていきたいし、いろんな景色をふたりで見たい。家庭を持つことも、子供を育てることも、彼とだったら前向きに取り組めるかもしれない。

仕事も家庭も趣味も、ぜんぶの理想を叶えたい。妥協する必要なんてないし、世の中の "普通" に合わせる必要もない。わたしたちらしく、人生をつくっていけばいい。

いまでは本心から、そう思える自分がいる。




結婚って、なんだか得体の知れない大きな怪物みたいだなあと思っていた。言葉の仰々しさが先行して、実態もわからずただ怯えていた。

だけど、ほんとうはとてもシンプルなものなのかもしれない。


明日も、この人と一緒に生きていられますように。
それが、この先もずっと、続きますように。



そんな願いが形になったもの。
ただ、それだけのことなのかもしれない。





まだまだ不安なことはたくさんあるし、実際は結婚によって制限されること、失うこともあるのだろう。

これからふたりで乗り越えないといけない壁は、いくつもある。だけど、それすらも楽しめたらいいなと思う。



わたしはあなたを、自分のままでいさせてくれる人と出会ったよ。

そして、結婚という選択をしたら、自由になったよ。



あの頃のわたしに、やさしく教えてあげられるように。




岡崎菜波 / Nanami Okazaki
Instagram:@nanami_okazaki_



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