京都暮らし、はじめての夏|暑さも忘れて憧れを叶え続けた。
京都に移住してから、はじめての夏がきた。
7月までは、仕事で東京と京都を行ったりきたりしていたから、1ヶ月まるまる夫とふたり京都で過ごしたのは、8月が実質はじめてになる。
「京都で暮らしている」という実感を手のひらで握りしめるように、8月は毎週のように伝統行事や地元のイベントに足を運んだ。
そのおかげか、この夏は京都らしい体験を通して、憧れが少しだけ日常に近づいたような気がする。
はじめての景色や体験に出会えたこの夏の記憶を、この先もずっと忘れないように。
写真とともに、書き留めておこうと思う。
下鴨神社のみたらし祭
夫が通りかかって偶然みつけた、下鴨神社の夏祭り。
開催期間も長かったので、ぎりぎり滑り込みをして最終日の夜に行ってきた。
家からバスに乗ってすぐ行ける距離に下鴨神社があることで、なんだか地元のお祭りに来たみたいな感覚になれたのが嬉しかった。
(下鴨神社が地元だなんて、贅沢……!)
缶ビール片手に、カランコロンと下駄の音を響かせながら、両脇の屋台に目移りしながらゆっくり歩く。
ふたりで浴衣を着て出かけたのは、出会ってからこの日がはじめてだったこともあって、いつもよりお互いはしゃいでいたような気がする。
祇園祭
「京都の夏」と言えば、祇園祭。わたしたちは、その日屋台が並ぶと聞いて、7月15日の前祭宵山に足を運んだ。
通りいっぱいに人が溢れていたけれど、その人混みは全く嫌な感じがしなくて、大人も子供も地元の人も観光客も、みんなで一緒にお祭り気分を味わっている空気があって、終始心が踊る夜だった。
(あんなにたくさん並ぶ屋台も、はじめて見た。)
下鴨神社の古本市
森見登美彦さんの小説『夜は短し歩けよ乙女』を読んでから、いつかは訪れてみたいと思っていた下鴨神社の古本市。
納涼という言葉が入っているものの、糺の森に一歩足を踏み入れると、熱がこもっていてとても暑かった。
(本を愛する人たちの熱気、かもしれない。)
そんな熱を感じながらも、様々なジャンルの古本が整列している棚を眺めてまわるのは、まるで宝探しのようだった。
五山送り火
小さい頃、名探偵コナンの漫画を読んでからずっと情景が記憶に残っていた、五山送り火。(本に影響されがち…)
調べてみると、家から歩いて行ける距離に「妙」の字がみえるスポットがあると知って、仕事終わりに急いで夕飯を済ませて向かった。
その場所に近づくにつれて、どんどん同じ方向へ歩く人が道の両脇に増えていき、真っ暗な真夏の夜、大勢でぞろぞろと歩いている光景がなんとも奇妙で、自分たちが映画の中にいるみたいだった。
小さな丘にみんなで上って、同じ方向を見る。送り火をみつめる時間、そこには静かな賑わいがあった。
送り火に向かって手を合わせる人や、家族3世代で集合写真を撮っている人たちを横目に、
「この行事は、長い間この土地で受け継がれてきたものなんだなあ」
という事実と、
「わたしは今、そんな伝統と文化が根付いた土地で暮らしているんだなあ」
という実感がひしひしと湧いてきて、胸のあたりがじんわりと熱くなった。
亀岡の花火大会
3連休の初日、亀岡市で開催された花火大会。
ほんとうは家の近くの花火大会に行く予定だったのだけれど、数日前になんとチケット事前購入制だったということを知り、泣く泣く他の花火大会を調べていたらたどり着いたのがこれ。
ちなみにこの花火大会も事前購入制で、生まれてはじめて有料席を予約して、パイプ椅子に座って目の前で打ちあがる大きな花火を眺めた。
町全体で花火大会が開かれているような静けさで、音楽に合わせて打ち上がる花火をみんなで見上げて歓声を上げたり拍手をしたり、あっという間に過ぎていった1時間。
日本の夏を全身で味わう夜だった。
びわ湖花火大会
最後は京都ではないけれど、いつか行ってみたいと思っていた滋賀県・琵琶湖で開催される花火大会。
開催日を調べてみたら平日の夜だったので、「今年は行けないかな…」と直前まで諦めていたのだけれど、前日に「仕事終わりに、少しだけでも行ってみる?」と彼が誘ってくれて、30分間だけ花火を見ることができた。
無料の観覧スペースは、ちょうどいいところに大きな木が葉を茂らせていて全貌は見えなかったけれど、それはそれでいい思い出。
(でも、来年はちゃんと予約をして、目の前に上がる花火を見たい。)
暑さも忘れて憧れを叶え続けた、夏。
京都で夏を過ごしたのは、今までの旅行も含めて今回がはじめてだった。
暑いのが何よりも苦手なわたしは、
「京都の夏を経験したら、住みたくなくなるよ」
と何度も言われ続けてきた言葉を恐れて、夏はきっと、家に引きこもっているのだろうな……とひそかに思っていた。
だけど、夏の京都は、決してそうはさせなかった。
毎週のように開催される夏のイベントや伝統行事はあまりにも魅力的で、身体ごと飲み込まれてしまいそうな暑さの中でも、わたしたちは足を運ばずにはいられなかった。
そのおかげで、わたしたちははじめての夏を味わい尽くすことができ、物語の中や、画面の向こうにあった景色をこの目で見ることができた。
憧れや夢だったものたちが、現実になり、日常に溶け込んでいく。
そのことが何よりも嬉しくて、夏が苦手なわたしは、京都の夏なら悪くないかもしれないなあと思うのだった。
岡崎菜波 / Nanami Okazaki
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