移住・結婚・転職。人生最大の変化を迎えた1年で、私がみつけたもの。
京都への移住、結婚、転職。
これらは、昨年自分の身に起きた3つの変化だ。
こうして書くと、なんだか劇的で華々しい人生のように見えるかもしれない。だけど実際は毎日悩んだり、葛藤したり、夫とも衝突したりと、思い出すだけでもうわあと声が出てしまうような、なかなかしんどい1年だった。
人は(少なくともわたしの場合は)、一度にたくさんの新しいことを経験すると、こんな風になってしまうのか……!と、現実をまざまざと思い知らされた、そんな2023年だったように思う。
だけど、人生ではじめてのことをこれだけ経験して、なんとか自分の中で噛み砕いて吸収することができたから、今となってはそれなりに収穫もあったと言える。
2024年初のnoteでは、そんな激動の1年で、わたしがみつけたものについて、書いてみようと思う。今年をどんな風に生きてゆくのか、手がかりを手繰り寄せるように。
【春:挫折】 上げすぎた理想と、目の前の現実
3月、2週間の有給消化期間ではじめての引っ越し。京都での暮らしが落ち着く間もなく、わたしも夫も新しい会社に入社。
京都暮らしがはじまってから、ゆったりと穏やかに流れはじめていた時間は、東京にいた頃のように、また少しずつ慌ただしくなっていった。
わたしの新しい職場では研修期間というものがなかったから、入社と同時に「よーい、どん」で新たな会社員生活がはじまった。
任される仕事や、できるようになったことの数に比例して、家事に充てる時間は目に見えて減っていく。
もともと定時が1時間早いうえに、前職で一緒に働いていたときから残業しない主義だった夫に、平日の夜ご飯づくりは任せっきりになった。
そのうえ彼は朝型で、夜は24時までに必ず布団に入る。毎日そのペースに合わせて過ごしていたTHE・夜型人間のわたしは、今までできていたInstagramやnoteの更新はもちろん、ひとりで何かを考えたり、整理したり、自分と向き合うことすらほとんどできなくなってしまった。
新生活が何もかも上手くいかないことに、戸惑っていたし、焦ってもいた。
明日やればいいか…週末に時間を取ればいいか…なんて思っているうちに、後回しが積もり、積もってゆく。そのうち家族や友人たちへのLINEの返信すら、ままならなくなる。
あるとき「あれ?京都に移住してからのわたし、全然やりたかったことができてない」と気づいてはっとした。
そのうえ新しい職場での仕事も、自分が入社前に思い描いていたほど最初からうまくはいかず、躓いたり、悩んだりする日々。
わたしの実力はこんなものじゃない、もっと上手くできるはず……自分をそう奮い立たせながらも、頭のどこかでは、「現実を認めないといけない」とわかっていた。
気づいたら、すべてがあの頃の理想とかけ離れていた。
それでもわたしは、自ら角度とスピードを上げてしまったランニングマシーンから振り落とされないように、必死に食らいつきながら走り続けていた。
【夏:絶望】「頑張らない」生き方が、わからない
新しい職場での活躍、楽しい京都暮らし、はじめての家事、夫との仲睦まじい新婚生活、自分と向き合う時間。なにも捨てられないし、諦められない。理想も目標も、期待値も下げられない。
全部自分の思い描く通りにやりたいし、自分が好きだと思える自分でいたい。常に胸を張って生きていたい。理想と現実の乖離がどんどん開いていくのを、素直に受け入れるのが怖かった。
それに、まわりの人からの期待も裏切りたくない。せっかく期待をしてもらい、前例のないフルリモートという働き方で入社をした会社で、活躍できないなんて情けない。申し訳ない。
弱い自分を知られたくないし、できない自分を認めたくない。誰にもがっかりされたくない。
そんな想いが渦巻いて、わたしの心と身体をかんじがらめにしていた。
「私はなんのために、京都に移住したんだろう」
「ほんとうに転職して、よかったのかな?」
「新婚生活、なんだか思っていたのと違う……」
毎日そんな後ろ向きな感情をノートに書き溜めて、必死に昇華させようとしていた夏。
はじめての繁忙期とも重なり、うまく周りを頼れずに抱え込んでしまった結果、自分の心の中に感情を留めておくことができなくなった。負の感情を外に出すまいと心の外側を覆っていた、最後の砦が決壊する。
冷静に物事を判断することができず、そのせいで夫のことも何度か深く傷つけてしまうことが増えた。一度公開して、下書きに戻したnoteもたくさんある。
自分の心がどんな状態で、どこへ向かいたいと思っているのか。それすらもわからなくなっていた。
7月の3連休初日、朝目覚めて隣にいる夫に「もう生きている意味がわからない」と呟いたとき、わたしの中にはもう、ほとんど感情というものが残っていなかった。
朝カーテンを開けるとリビングの窓から差し込む光のあたたかさも、仕事部屋からみえる山の緑も、清々しく透き通った空気も、毎日好きで通っていたパン屋さんのあんぱんを頬張る瞬間さえも、わたしの心が動くことはなかった。
「一度、理想を下げてみたら?」
「"足るを知る" ことも大事だよ。」
毎日もがき苦しむわたしを見て、夫には何度もそう言われてきた。それができたらどんなに楽になれるだろう……と、自分を客観視できる夫を羨ましく思うこともあった。
頭ではわかっていた。理想を下げることや、現状を受け入れて掌のなかにあるものを大切にすること。そんな考え方ができたら、この苦しみから解放されるということが。
だけどわたしにとって、理想を下げることや現状に満足することほど、難しいことはなかった。だってわたしは28年間、「高い理想に近づくために努力をする」という頑張り方しかしてこなかったから。
それ以外の努力の仕方を知らなかったし、頑張ればなんとかなる、そう思うことで自分を奮い立たせて生きてきた。
理想を下げる、頑張らない、諦める、捨てる。
それらをした先で、果たしてわたしは幸せになれるのだろうか……?
これからどんな生き方をしたら、自分が自分らしく、健やかでいられるのか。
そんな問いの答えを探したい気持ちと、現実から目を背けたい気持ちを行ったり来たりしながら、日々の暮らしに目を向けよう、と京都の行事に足を運ぶようになったのがこの時期だった。
【秋:回復】 穏やかな日々に、落ちてきた問い
はじめての繁忙期が落ち着き、熱帯夜で夜のお散歩の頻度も減ったことで、毎晩早い時間に食事を終え、夫とNetflixを観るという、未だかつてないほどのんびりした夜が続いた夏の終わり。
あれほどまでに「できない」と思っていた「頑張らない」ことや「自分に期待をしすぎない」ことが、ゆるやかに、できるようになっていた。
あれもこれも、と欲張って頑張ることには限界があった。理想の自分でいる前に、心が壊れてしまったら、元も子もないと我に返った。
理想通りではない自分を受け入れはじめ、ただひたすらに穏やかな日常を過ごしたことで、「こういう日常も、案外悪くないかもしれないなあ」と思える瞬間が増えていった。
そうしてわたしは「今はまだ、思うようにできない自分」を許して、辛抱強く待つことができるようになった。
「あれもこれも、全部はうまくできない自分」を認めて、「これだけはちゃんとやろう」と決めたひとつのことに、しっかり向き合うことにした。
8月はあえて京都に拠点を置き、一度も東京には戻らず、ただひたすら「生活をする」ということに集中したこともよかったのかもしれない。
春から常に戦闘モードだった心は少しずつほどけ、「あれ、今けっこう幸せかも」と思える瞬間が日に日に増えていった。
お互いに新生活が少しずつ落ち着いてきたからか、ふたり暮らしが馴染んできたからか、夫との関係性も安定してきて、喧嘩やすれ違いもほとんどなくなった。
仕事にもだいぶ慣れてきて、新しいチャレンジをしながら、慌ただしくも公私ともに順調…と思いはじめていたとき、穏やかな心をざわつかせる出来事が起きた。
複数人の京都移住者が一つのテーマに沿って話す、トークイベントに参加した日。登壇者も参加者も、さまざまな土地から重い思いの理由で京都に移住をしてきた人たちで、イベント終了後は自然と残って交流の機会が生まれた。
自己紹介を重ねるたびに、気づいた。そこにいる人たちは、みんな自分の事業を持っているか、フリーランスとして働いている人ばかりだったのだ。
その場で、わたしと夫だけが会社員だった。会社の肩書きを背負った自分として、自己紹介をする。それ自体は、東京にいた頃に何度も経験してきたこと。それなのに、なぜか自己紹介をする自分の声が、小さくなっていく。
むしろ今までは、名刺交換をするたびに「あ、〇〇の方なんですね」と会話が広がるきっかけにもなっていたし、会社員としての自分に疑問を持つなんてことは、ほとんどなかった。
それが当たり前だったし、周りもみんな、そうだったから。
だけどこの日の帰り道、わたしの心は落ち着かなかった。その理由は、夫とイベントの感想を話し合っているときにわかった。
「会社員でいる自分が、恥ずかしいと思った」
たぶん彼が自分と相手の感情を切り分けて考えられる人じゃなかったら、こんなこと言えなかったと思う。同じように会社員である相手に対する言葉にしては、ストレートすぎただろうから。
だけど、実際に口にしてみてわかった。
「むしろみんなとは違う働き方をしている自分に、個性があると思えた」と前向きな彼の言葉に素直に共感できなかったのは、わたしが心から、今の仕事や働き方に納得できていなかったからだと。
移住前、わたしが憧れていた働き方や暮らし。京都で会う人、会う人が、みんなそれらを実現している。それも、話を聴くと「えっ、そんな簡単に独立したの?」と驚くような軽やかさで、叶えている。なんて格好いいのだろう。まぶしくて、悔しかった。
彼ら、彼女らはみんな清々しい表情をしていて、「京都に移住して本当によかった」と口を揃えて言う。自分の働き方や暮らしに対して、心から納得している、満たされているというのが伝わってくる。
彼らと同じように、わたしも決意して京都に移住したはずなのに、この違いはなんだろう。
「手を伸ばせばそこにあるのに、掴み取れない自分の弱さ」を突きつけられた気がした。恥ずかしくてたまらなかった。
やればできるのに、一歩踏み出せていないこと。
結局東京にいた頃と同じ頑張り方をして、苦しんでいること。
目の前の仕事に集中することで、なんとか精神状態も仕事も落ち着き、平穏な日々がはじまろうとしていた矢先。
「本当に、それでいいの?」
移住生活にたくさんの夢を思い描いていた1年前のわたしにまっすぐ見つめられ、そう問われているみたいだった。
【冬:希望】 進むべき道の先に、明かりが灯る
秋も深まり、少しずつ空気の中に冬の匂いが混じりはじめた頃。これから進むべき道の先に明かりが灯る、そんな出来事が起きた。
京都市が主催する、フォト・ムービーコンテストの案内。京都市への移住を促進するような写真・動画を撮って応募してください、と書かれていた。
Instagramでその告知を目にしたときは、写真くらいなら出せるかな…という気持ちでいた。
けれどその数週間後、偶然にもイベントで主催者の方とお会いする機会があった。その方のお話はわたしの京都や移住に対する想いと重なって、「京都での暮らしや、移住の魅力をもっとたくさんの人に伝えたい」と心が熱くなった。
京都移住者が集まるイベント参加を通して、すっかり顔見知りになった方に「岡崎さんは、Instagramの人だよ」と紹介してもらったり、会うたび「いつもリール見てるよ〜」と声をかけてもらったりしたことで、そうか、京都でのわたしはそんな風に認知してもらえているのだな、と客観的に自分の強みを知りはじめていた時期だった。
「写真じゃなくて、動画を撮ろう。これはチャンスだよ。今ここで成功したら、きっとななみが進みたい道にも、つながる。」
再び訪れた、仕事の繁忙期。重くなりかけていたわたしの腰を上げるきっかけをくれたのは、今回も夫の力強い言葉だった。そうして、わたしはまた、立ち上がることができた。
動画を制作するため、ふたりで夜な夜な企画を練り、夫は新しいiPhoneを購入し、撮影し、編集するというはじめての経験を、京都で過ごせる最後の2日間に弾丸で決行した。
意見が衝突したり、終わりが見えず途方に暮れる瞬間もたくさんあったけれど、いざはじまると楽しい瞬間ばかりだったし、話し合いを繰り返して考え抜いた分、完成したときは達成感もあった。
なにより、Instagramで公開した後に会う人、会う人に「あれ、よかったよ!」「京都に住んでみたくなった」と言ってもらえたことが、心から嬉しかった。
まだ結果はわからないけれど、入賞していたらいいなあと思うし、今回目にみえる結果が残せなかったとしても、今後に繋げていきたいなと思う。
これを機に「うちのInstagram、相談に乗ってほしい」と言ってもらえたのも、嬉しかった。自信につながったし、何より「会社で頑張っていることが、自分の進みたい道にちゃんと繋がっている」という確信と納得感を持てたことが、自分の中ではとても大きかった。
もちろん会社員である以上、すべてが自分の思い通りにはいかないし、「やりたいこと」より「やるべきこと」に忙殺されることも、この先きっとたくさんある。今の暮らしや働き方を選ぶことができているのは会社のおかげだし、ちゃんと恩返しをしたいとも思う。
だけど自分の本当に叶えたいことは、決して見失わずにいたい。
うまくいかない現実を、目の前の忙しさで紛らわせたくない。
目の前に落ちてきたチャンスを、言い訳して逃さないように。今回のように手を伸ばして掴んでみたら、きっとわたしがなりたい自分になれるし、辿り着きたい場所へ行ける。
そう思うことができた、大きなきっかけだった。
▼実際に制作した動画
新しい年に向けて
2023年は、上がったり下がったり、絶望したり希望を見つけたりと、変化も感情の起伏も大きな1年だった。
思うようにいかないことも多かったぶん、自分とひたすら向き合う日々だった。
だけどよく考えたら、こんなにたくさんの変化が一度に起きたら慣れるまでにはそれなりに時間がかかるし、上手くいかないことが多いのは当たり前だったのだろう。
そういう意味では、昨年は新しい日常に慣れるための準備期間だったのかもしれない。
思い通りにいかないことへのもどかしさや焦り、理想の自分でいられないことへの絶望感やむなしさ。そんな後ろ向きな感情たちも、新しい年を迎える糧になればいい。
どんな感情も経験も、わたしにとっては必要なものだったし、きっとこの先の道につながっているはずだから。
2023年は、耕した自分の場所に、さまざまな出会いや経験という種を植えた年。
2024年はそこから芽が出せるよう、焦らず、欲張らず、だけど確実に、大切だと思うことを積み重ねていきたい。
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ここまで読んでくださったみなさん、ありがとうございます 𓂃𓐍𓋪
2024年は、昨年のぶんまで「書く」ことを大切にしたいと思っています。
今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
岡崎菜波 / nanami okazaki
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