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鴨下家は福島を代表するのか 鼻血は何だったのか
・2024.9.2 21:50 赤坂プリンスホテル避難所の様子を伝える報道、広報等のスクリーンショットを追加。
加藤文宏
1 はじめに 鴨下全生氏がX/Twitterのアカウントから「レジ袋で鼻血を受けながら歩く子供 避難所でよくある光景」とポストしたのは記憶に新しい。ポストで示されたリンク先では、
と福島第一原発事故が発生した直後の避難所で経験したことを語っている。
鼻から出血するほど被
放射線デマから外苑再開発デマへ この日本で何が行われたのか
加藤文宏
原発事故が発生した直後から、被災地は二度と人が暮らせない土地、鼻血、奇形児出産、がん発症と次から次へ嘘が事実のように語られ、デマが当事者を苦しめただけでなく、原発の全停止から再稼働を拒む心理的な要因になるなど日本中を混乱の渦に陥れた。
事故から10余年経過した2023年、日本イコモス国内委員会は神宮外苑に『17 世紀から続く東京における「庭園都市 パークシステム」の中核』と事実と異な
理不尽な13年 れいわ・立憲・共産・社民が生んだ虚像とエセ左派・リベラル
──山本太郎とれいわ新選組は、大衆扇動のかぎりを尽くしている。扇動された人々を囲い込めば、コストをかけずに新たな運動が展開できる。こんなことのために、東北被災3県や能登半島の被災地が利用された。れいわ新選組だけでなく立憲・共産・社民の大衆扇動によって増殖したのが、「より平等な社会を目指すための社会変革」とまったく関係ない自称左派・リベラル層である。彼らは「左派・リベラル」を名乗るためだけの戦いを続
もっとみる被災から13年 忘れたいこと 忘れ去られたこと
加藤文宏
あのときの記憶 2011年3月11日14時46分。
私は関東で東日本大震災を経験した。やけに明るい午後だった。このとき、かつて仕事上の知り合いだった原岡が福島県で被災していたのを知る由もなかった。正確に書くなら、彼女のことは何年間も忘れていた。
翌日、福島第一原発1号機の建屋が水素爆発を起こし、パニックが原岡の判断を誤らせた。
原岡が被災地から自動車を走らせ、紆余曲折の末に千葉県