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アリゾナに行ってきた。
前回の投稿からなかなか書けなくて、ずいぶん時間が経ってしまっていた。
ダウン症次男については特に書くような事件やら、心揺さぶられる出来事がなく、平和だったからか・・。
地味におもろいことは日常的にあったのだが、文章にするほどのことはなく。(ピザの一切れで顔をトントンする仕草をしながら、「メイク!」と言ったりとか。そんな〝モノボケ〟できるんかいな!と若干感動した。)
昨年の年末くらいから、私は自分
ダウン症児の音楽参観の話
先月の音楽参観のことを記録しておきたい。
重度のダウン症次男が在籍するのは地域の小学校。
支援級を取ってはいるが、私たちの市ではインクルーシブ教育を実施しており、基本的には普通クラスで過ごす。
本人がしんどかったり、気分を落ち着けたい時には支援級の部屋で休んだり、遊んだりすることもできる。
さて、先月の音楽参観の話。
体育祭や音楽会も当然みんなと一緒に参加。その子、その子に合わせた支援を受け
ダウン症次男のきょうだい・・・2歳下の妹の場合
現在ダウン症次男は5年生、2歳下の妹は3年生。
小さい頃からとても仲が良く、ケンカをしてもすぐに仲直り。
いつも2人でキャッキャと遊んでいる。
今はそれぞれの習い事があったり、家にいる時もそれぞれでタブレットを見たり、Switchをしたり・・・ずっとべったりということはないが、食事の時などはよくもまぁその噛み合わない会話で盛り上がれるな、というほど笑いが絶えない。
ほとんど意味のない掛け合いで
ダウン症次男のきょうだい・・・9歳年上の兄の場合
写真は6年くらい前の3兄妹。
長男は中学2年生の時。
長男が9歳の時にダウン症次男が生まれた。
私は泣きながら次男を育て始めた様子を彼に見せてしまったが、すぐにダウン症の親の会の行事などに長男を連れて積極的に参加したり、やたら家でも「ダウン症、ダウン症」と言って、家族を強引にダウン界に引きずり込んだ。
そうすることで早くその辛い現実に慣れて、「ダウン症ですけど、何か?」と私自身が平気になりたかっ
ダウン症児ときょうだい児、どっちがどうか。
写真は5年前のダウン症次男の妹である、長女の誕生日の時のもの。
誰の誕生日の時でもろうそくを消す時に、ダウン症次男が自分で消したがり、横から吹き消していた。それを「もう1回!もう1回!」と3回くらいは繰り返して。
それも4年生くらいから、自分以外の人の誕生日の時には大人しく手をたたいて「おめでとう~!」と言えるようになった。これも成長やなぁ~。
さて、ダウン症のきょうだい(きょうだい児と呼ばれる
ダウン症次男はどんな自立をするのか?(勝手な親の思い)
写真はダウン症次男が赤ちゃんの時に連れて行ったバンコクのクレープ屋さんでお茶した時のもの。
〝Crepe & Co.〟すごく美味しくて大好きなお店だったのだが、いつの間にかなくなっていた・・もうどこにもないのかな。
こんなに可愛い赤ちゃんだった次男ももう11歳。
ダウン症の子供は成長がゆっくり。
どんなにゆるやかでも本人なりに成長する。
しかし、ゆっくりゆっくり成長するのに、年齢は待ってくれない
ダウン症?それが何?
写真はダウン症次男が5歳くらいの時の写真。今は11歳ですっかり〝ちっさいおっさん〟になっている。
何年か前、アクセサリー販売の仕事で百貨店のイベント出展の時、お隣のブースのジュエリーデザイナーさんとしゃべりまくっていた。
店頭でしゃべりまくるのはけしからんことかもしれないが、お隣さんと仲良しになるのは良くあることで、この日もちょっとお客様が引くと、仕事の情報交換から話題がそれてプライベートなこと
子供がダウン症でも仕事はできる
写真は次男の小学校入学の時の写真。
今は5年生になっている。
次男が生まれた時、私は39歳。
エスニック雑貨店を経て、アクセサリーメーカー卸を始めて12年くらいの頃。
長男は小学校3年生で海外出張にも連れて行っていたので、そろそろトルコやフランスにも連れて行きたいな、と思い始めていた。仕事もさらに頑張って行こう、と張り切っていた。
しかし、青天の霹靂。
生まれた次男はダウン症だった。
高齢
デザインができないアクセサリーデザイナー
私は24年間、デザイナー兼代表として、アクセサリーメーカー卸を営んでいるが、実はデザインができない。元々持っている才能なんてない。
ジュエリーデザイン画を少し習ったので、工場さんに発注する程度の簡単なものは描けるが、これを〝デザイン〟と言うのか、と言えば違う。どちらかと言うと〝設計図〟だ。
CADも使えない。
しかし売るための商品を考えるのは私なので、わかりやすく〝デザイナー〟と自己紹介しているだ
アクセサリーメーカー卸の子連れで買い付け
海外への買い付けには、2002年生まれの長男を年に2回くらい連れて行っていた。
タイ、インド、ネパール、ニューヨークなど。
タイでは山岳民族のカレン族のシルバーアクセサリー、マーカサイト(イギリスアンティークのレプリカのパイライトという天然石を施した安価なシルバージュエリー)などを買い付けていた。
インドでは天然石アクセサリーとディスプレイにも使えるようなインドの雰囲気たっぷりの雑貨。
ネパー
個人でも、資格なしでも、技術なしでも、できるアクセサリーメーカー卸の仕事
2000年~2002年ごろ、エスニック雑貨卸から徐々にアクセサリーメーカー卸のような仕事内容にシフトしていった。
私がデザインと生産、一緒に店を始めた友人が営業担当、あとはアルバイトが一人といった零細にもほどがある体制。
会社にもしていなくて個人経営だったが、百貨店やアパレルメーカーさんとの契約もその当時はそれほど難しくはなかった。(今はアパレルメーカーさんも商社がついたり、なんちゃらホールディン
アクセサリーメーカーを始めた訳②
1998年神戸元町のラーメン屋の2階にオープンした、〝きれいめ〟を目指したエスニック雑貨屋さん。
友人と二人でOL時代の貯金150万円ずつを持ち寄って資金にした。
買い付けはタイ、インド、トルコ、モロッコ、フランスなど。
既存のアジアンテイストのお店と差別化しようと、その当時パリで見かけたカラフルなモロッコ雑貨を買い付けたり、新しいものを探すのが楽しくて、楽しくて。
各国で買い付けた雑貨たちと私
初めまして。malleccoです。
アクセサリーメーカー卸のデザイナー兼代表です。
大学生男子、ダウン症小学生男子、小学生女子を育てる50代母でもあります。
1998年 資格なし、技術なしでアクセサリーメーカーをスタート。
誰でもできる自営業、誰でもできる障害児育児をテーマに、平凡な楽しい毎日をゆるりと書いていきたいな、と思っています。よろしくお願いいたします。