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アクセサリーメーカーを始めた訳②

1998年神戸元町のラーメン屋の2階にオープンした、〝きれいめ〟を目指したエスニック雑貨屋さん。
友人と二人でOL時代の貯金150万円ずつを持ち寄って資金にした。

買い付けはタイ、インド、トルコ、モロッコ、フランスなど。
既存のアジアンテイストのお店と差別化しようと、その当時パリで見かけたカラフルなモロッコ雑貨を買い付けたり、新しいものを探すのが楽しくて、楽しくて。
各国で買い付けた雑貨たちと私が趣味で作っていたビーズのアクセサリーも商品に加えた。
今考えるとかなりの素人仕事のビーズアクセサリーを買ってくださった当時のお客様には本当に感謝しかない。

ラーメン屋の2階でひっそりとオープンした雑貨屋の売上げは1ヶ月50万円ほどと厳しく、そこでようやく、「売上げを上げないと店を閉めるしかない。」と気づく。遅。
このままでは自分たちの給料も、次の買い付け費用も出ない。

一応、大手の会社でOLをしていたのに、一気に社会の底辺に落っこちたような感覚。
最初は「儲からなくてもいい。」「結婚する前にお店屋さんをやりたかっただけ。」などとほざいていた。
今考えると「何様じゃ、ぼけー!」と言いたくなる思考回路。
しかし、いざ閉店の危機に面すると、「いやだ!絶対辞めたくない!」「どうしたら売上げを上げられるのか・・」真剣に考え始めた。
どうしたらいいのか・・今のようにSNSもない時代。

親にインドへの買い付け費用を借りて、新しい商品を買い付けてみたり、もがいているうちに、中間卸業者の方から卸のお話をいただくように。
私が作るアクセサリーも月に卸価格で数十万円の注文をいただけるようになった。
嬉しくて嬉しくて、必死で作った。

そこから、すぐに店舗 の売上げより卸の売上げがはるかに上回るようになった。
1ヶ月300万円近くの売上げになった月もあり、何とか持ち応えた。

それにしても、インド雑貨を輸入することの厳しさときたら・・・注文したものと似ても似つかないものが届く、100個のうち99個が不良品、テーブルクロスに動物の足跡、注文した色と全然ちゃうやん、全部錆びてる、全部カビ生えてる、ランタンにろうそくを入れると炎ではんだ付け部分が溶けてふたが飛ぶ、全部牛の糞の匂い・・などなど、入荷の度に泣いた。
私たちはゴミを輸入してるんか?

続く・・・

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