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ダウン症次男のきょうだい・・・9歳年上の兄の場合


写真は6年くらい前の3兄妹。
長男は中学2年生の時。

長男が9歳の時にダウン症次男が生まれた。
私は泣きながら次男を育て始めた様子を彼に見せてしまったが、すぐにダウン症の親の会の行事などに長男を連れて積極的に参加したり、やたら家でも「ダウン症、ダウン症」と言って、家族を強引にダウン界に引きずり込んだ。
そうすることで早くその辛い現実に慣れて、「ダウン症ですけど、何か?」と私自身が平気になりたかったのだ。

そして、いつの間にかそう時間はかからず、本当に平気になった。
家でもダウン症やその他の障害について普通に話すし、長男とはバリバラなどのテレビ番組も一緒に見たりする。
長男はテレビの中の障害を持つ方の生き方やファッションに興味を示し、「かっこいい・・」と素直に感じているようだった。

実は私は長男の保育園選びの際に、「障害児を受け入れ、きちんと保育している保育園」にこだわって探していた。
もちろんダウン症次男が生まれる前の話で、親戚に障害を持った姪はいたが、そこを意識していた訳ではなく、「障害児をちゃんと見れるということはどんな子供でもちゃんと見れるはずだ」と漠然と感じていた。

その時に住んでいた兵庫県姫路市で障害児を受け入れている、なんちゃってモンテッソーリ、シュタイナーの良いとこどりの、山の中を駆け回って過ごせるおおらかな自由設定の保育園を選んだ。
「泥んこになって遊べ!」と親が願っても、長男は部屋の中で戦いごっこをして遊んでいた。
子供って、そんなもんだ。

その保育園を卒園後、長男が通っていた学校は公立の小中一貫のモデル校で、学力の向上にかなり力を入れていたためか、その土地の文化からか、支援学級は誰の目にもつかない廊下の奥で、教室の窓は磨りガラスだった。
支援学級の子供たちを学校行事で見かけたことはない。
ひっそりと誰の目にもつかないところで1日を過ごしているようだった。

長男のクラスにも自閉傾向のあるお子さんはいたが、支援の先生は付かなくても、身辺自立ができているお子さんだった。
長男のクラスにそのお子さんがいることに私はほっとした。
このお子さんから学ばせてもらうことは多いぞ、と嬉しかった。

後で姫路市の友達に状況を聞くと、やはりダウン症次男がこの学校で支援級を取るのは難しかっただろう、と思う。
おそらく支援学校相当と判断されただろう。
この辺りの話はまた別の機会に詳しく書きたいと思う。

長男は4年生になる時に私の実家がある市の小学校に転校した。
私の母校であり、インクルーシブ教育を30年以上実施している。
夫とこれからのことを話し合った時、どう考えても、私が仕事を続けられ、次男がのびのびと過ごせるのは私の実家がある市だろう、との決断だった。

長男はその小学校に転校してから、字を書くのが乱暴になり、宿題は朝学校に行ってからやっつける、などアホな男子らしく、のびのびと過ごしていた。
本人は「給食うまい!」とご機嫌。
調子に乗って、児童会会長などに立候補し当選していた。
家には友達が集まってDS三昧の日々。

そんな長男が、クラスの秀才たちの影響を受けたせいか、自分から中学受験する、と言い出し、市内の中高一貫の男子校へ。

大学は本人がどうしても行きたいという、地方の国立大学を受験することに。
そこで、長男が取った受験方法は・・

「そうや!俺にはダウン症の弟がいる。これを語って、推薦入試を受ける!」

・・・おい?どゆことや?

「ダウン症の弟は体型に特徴や感覚過敏があり、母が服選びにすごく苦労している。障害者が自分の体型や好みに合った衣服を自由に選び、生活の質の向上ができるよう、カスタマイズできるシステムの開発など技術だけでなく経営面でも研究したい。」というようなことを語りに語って、本当に推薦で国立大学に合格した。

それまでに大学の教授に質問できる機会に何度もZoomでインタビューしたり、高校の先生に頼み込んで、志望動機の言葉づかいなどを細かくチェックしていただいたり、面接の練習なども何度も付き合っていただいていたようだ。

大学の教授は確かに「理系の学部は企業とのタイアップも多い。受け応えがちゃんとできる学生が欲しい」と仰った。
しかし、よーそんなんで受かったな。

何が、「そうや!俺にはダウン症の弟がいる! 」やねんな・・
めっちゃ弟使うやん。
私もつい入れ知恵はしてしまったが。
その結果、低学歴、無資格、無冠の我が一族で初めての国立大学合格で、ワッショイとなった。
夫は「(私立の中高に行かせたので)お金かけたら、賢くなるねんな。」と言っていたが、知ったように言うな。
私と次男のおかげや。

ダウン症の子は福の神とか、実は座敷わらし?と言われるとか何とか・・私と夫の商売がバーン跳ねるのか?と楽しみにしていたが、それはそうそう上手くはいかない。
しかし、次男がいることで視野が広がり、長男のようなことになったりすることはあるんかな、と。
ありがたや、ありがたや。

ちなみに、なんちゃってモンテッソーリの保育園卒のお友達も軒並み、親は勉強を強いていないのに、難関校に合格している。

長男は気候も食生活も全く違う土地で、大学生活を謳歌している。
実際に障害者の衣服に関しては研究を続けるらしい。

高校の先輩でダウン症の兄弟がいる方と帰省中にご飯を食べに行ったようだ。

10年後、こうなってるよ、と次男を生んで泣いている私に言ってやりたい。


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