デザインができないアクセサリーデザイナー
私は24年間、デザイナー兼代表として、アクセサリーメーカー卸を営んでいるが、実はデザインができない。元々持っている才能なんてない。
ジュエリーデザイン画を少し習ったので、工場さんに発注する程度の簡単なものは描けるが、これを〝デザイン〟と言うのか、と言えば違う。どちらかと言うと〝設計図〟だ。
CADも使えない。
しかし売るための商品を考えるのは私なので、わかりやすく〝デザイナー〟と自己紹介しているだけ。
美大も出ていない、ファッション関係の仕事をしたこともない。
アクセサリーメーカーとして「がんばろう!」と思った最初の頃は他と差別化しなければ、と張り切って凝りに凝ったビーズの組み立てアクセサリーを作っていた。「生み出さなければ」と思い込んでいた。
これはこれでその時代(リーマンショック前後)にはある程度売れていたし、東京のおしゃれ展示会にもブースをいただくこともできていた。
経験を重ねるごとに、私は商品を考える時、沸き上がる感性などからではなく、どのようなアクセサリーなら日本人女性が日常で無理なく着けられて、日本で今流行っているお洋服に着け映えし、お小遣いで無理なく買っていただけるか・・でも少し個性があって、他と差別化できるようなもの・・のように基本的にはカジュアルで自家需要で売れるもの、を前提にするようになった。
何故、高級品でもなく、プチプラでもなく、中間層を対象として意識するようになったのか。自分自身が〝庶民〟でその感性でしかモノを考えられない、というがひとつの理由。
いろいろな本を読んでいて、衝撃的だったのは、日本人は奈良時代から明治時代までアクセサリーを着ける風習がなかったこと。
明治以降に入ってきたのは西洋文化と共に輸入されたジュエリーやアクセサリーだ。
その理由は諸説あるが、聖徳太子の時代に身分を着物の生地で表すようになったこと、古墳時代にまが玉などのアクセサリーは身分の高い人のみが着けるようになり、神格化されたため、庶民は着けなくなった・・などの理由だそう。
流行によってノーアクセサリーの波が来る時には日本人は本当にアクセサリーを着けなくなる。
アクセサリーを着けるかどうかが流行で左右されるということは、一般的な日本人に取っては、アクセサリーは宗教や魔よけ、身分を表すものでもなく、大衆の文化として、気軽に取り入れるものなのだ。
個人的には「名もない職人が作った自然発生的なもの」、つまり各国の民芸品が好きだ。
美術品ではなく、庶民の生活に根差したものに惹かれる。
タイのカレン族のシルバージュエリー、インディアンジュエリー、インドやイスラム圏の細かい細工が施されたジュエリーなど、その土地で自然発生したジュエリーに憧れる。
残念ながら日本にはそのような民族やアイデンティティを確認できるような、自分に誇りを持てるようなジュエリーがない。
私は「自分のデザインを世に出したい。」という思いより、各国の民芸品のような生活の中から自然発生的に生まれるデザインに惹かれ、土台にその土地の宗教やカルチャーを感じるものに憧れを抱いている。
日本の関西の芦屋市というカルチャーとは何ぞ?というような、心の拠り所も何もない土地に生まれ育ったコンプレックスのようなものがあるのかもしれない。(これは私個人的な気持ちで、住みやすくて良いところだ。特にインクルーシブ教育を30年以上実践している点については〝良い〟を通り越して〝感謝〟しかない。)
そんなコンプレックスや、ハイブランドなどの高級品には縁のないこともあり、私はますます、日本でしっかりと地に足を着けて働き、家事や子育てなどをして生活している方々に気軽に手にとっていただけるようなアクセサリーを作りたいと思うようになった。
それはお小遣いで買える値段のものだがその値段よりも高く見え、使われているパーツにはストーリーがあり、どこかちょっとひねったデザインで、どんな年齢の方が着けても違和感がなく、普段着のお洋服に着けるとパッと映える、お顔周りが明るくなる、派手ではないけれど、「それ、可愛いね。」と誰かに言っていただける、そのような小さな幸せを感じて気分が上がる、カジュアルなアクセサリーだ。
と、自分の思いを長々と語ってみたけれど、これが「中途半端」っちゅうもんなんちゃうんか?と悩む日もある。
だから〝跳ね〟へんのちゃうんかい。