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父親の思い出 その8 兼高かおる世界の旅 ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 民間放送はあまり視聴しなかった父ですが、日曜日の朝は
定番の

「兼高かおる世界の旅」

を家族で朝食をゆっくりとりながら視聴していました。
 何かのんびりした日曜日の朝のひとときでした。

 31年もの長寿番組で、訪れた国の数は150カ国あまりだそうです。今に比べると当時は海外の情報が極端に少ない時代でした。当然インターネットもなく、海外の書籍が僅かに特定の本屋さんに有った程度でした。最先端の情報機器はテレビでした。今のスマホのような地位でした。

 そのテレビを使って多国語を自由自在に操る兼高さんが作り出すとても上品な番組仕立てでした。綺麗な日本語と落ち着いた会話は、子供ながらとても格調高く感じられました。教養ある大人の所作や会話の進め方などは、小学生なりにこの番組から学びました。また、グローバルで生きていく為の基本的な素養と疑似体験もこの番組で学んだと思っています。


 その後私が海外畑を歩む遠因は、この昭和の国際番組をひたすら視聴したことではないかとしみじみ感じています。

 父が何処まで意図的にこの番組と家族の朝食の時間をぶつけたのか、今となっては知る由もありません。

蛇足
 「兼高かおる世界の旅」という民放番組が唯一と言って良い海外紀行番組であったように、昭和40年代は私には今に比べると多様性が未成熟な分、単純が故に分かりやすい、そんな時代でした。

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