見出し画像

ニュースからの学び その5.1 リーマンショック 当たり前過ぎて意識しなくなっているこ

#ニュースからの学び

 常に最先端に身を置くというのが私の信条です。

 時代は2008年。相変わらず毎日ニュースのシャワーを浴びていました。まぁサラリーマンの成れの果てになった年でもあり、ニュースのシャワーの扱いも手慣れて、その意味ではジワジワとその時を迎えたという感じでしょうか。

 小賢しい金融商品が、その本性を…馬脚を露わしたという感じでしょうか。当時物理屋の感覚としては、金融工学と称して数学コンプレックスのある人々が、数学を学んだ人たちを上目線で高給で雇い、小賢しい金融商品を生み出しているなあと感じていたことを良く覚えています。

 当然サラリーマンの成れの果てなので事前に打てる手は打ち尽くしました。例えばセキュリティカメラの販路拡大などは、リーマンショックの不況の波からは無縁で底堅い需要に支えられました。ニュースからの学びの蓄積が市場の特性理解に役立ちました。この学びこそが冷静な行動の礎だったのだと思います。

 ある意味で幸運だっのはサラリーマンの成れの果てになりたてだったのでまともにその波を被ることはなかったのです。しかし私を引っ張ってくれた社長は結果責任で翌年春には商社内のグループ会社の役員に移籍されました。私にとっては、IT企業から商社に移った直後に守護神の1人を失ったという感じでしょうかね。

 メーカーと商社のお作法の違いも当事者として体験しました。

 バブル崩壊後のメーカーは一時帰休等の制度を活用して雇用を維持するお作法。体制は維持し身を縮めて回復を待つというスタンス。
 その時私は米国駐在から帰国して新規主力事業立ち上げを担当していたので、一時帰休対象外どころか酷い残業が続く日々でした。何とか当時成長著しかったIT分野で新しい事業を早期立ち上げしてバブル崩壊後の不況から脱しようともがいていました。

 一方で商社はグループ会社内への移籍や早期退職制度を駆使してビジネスのサイズに見合った体制に年度内にするというお作法。翌年度には必ずV時回復出来るように年度内で始末を付ける潔さ。
 その時私はサラリーマンの成れの果てになり立てだったので結果責任を問われることもなく、寧ろその後の構造改革の仕事をすることに…

 バブル崩壊後の不況に経営者になったら絶対に雇用は守り切ると思っていました。しかしデビュー半年であっさりと…。その思いは抵抗してはみたものの新人の戯言として?あっさりと商社の慣例に敗れてしまいました。その時の底知れない無力感は今でもハッキリ覚えています

 何れもインサイダーとしての貴重な経験でした。

 リーマンショック時、巷では派遣切りや雇い止めが発生し、年末年始に年越し派遣村が開催されるほどのハードランディングでした。私の人生の中で実際に体験した経済危機としては最悪の状況でした。

 ということでニュースからの学びによってリーマンショックでは相対的にですが、靭(しな)やかに荒波に対して身を躱(かわ)すことができたのでした。

 小学生からの学びの積み重ねが活きた感じです。



 

 

この記事が参加している募集

数学がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?