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子どもたちと絵を描く
とある喫茶の店主のお子さんは、わたしの友達。
1人は3年生のお姉ちゃん
1人は1年生のお兄ちゃん
最初の頃は椅子や机、店主の後ろに隠れてニカニカしながら近寄ってこなかったけれど
時間が経つにつれて距離は縮まり
一緒に絵を描いたりカブトムシを見せてもらったりする関係になった。
『みんなで妄想水族館をつくらない?』
思い立ったので提案してみると即採用された。
『これは泳げる鳥なの!』
『ウニ
2年と3ヶ月続けた1日1絵をふりかえって
2020年4月
おうちじかんや、ソーシャルディスタンスなどという言葉がモヤっと生まれた。
そのモヤッとした感じを打ち消したくて
わたしは毎日絵をSNSにアップすることを決めた。
あれから2年と3ヶ月。
昨日、はじめてのイラスト展【いつものように】が無事幕を閉じ
ふと振り返る。
毎日ひとつ絵を描いて、どうやって向き合ってきたか。
なんのモチーフを頻繁に描き、ひとつの絵にどれだけの時間を使った
青春って、限りあるものだと思っていた。
『毎日忙しいでしょうが、頑張れ頑張れ。
青春です。
お返事いいからね。』
小学3年生のときの担任の先生。
おさげが似合う、痩せっぽっちだけどきゃちきゃちした、おばちゃん先生。
今いくつなんだろう?
定年は超えていると思う。
小学校には木金だけ行ってるみたいだけど。
社会人になって、実家から離れて暮らし始めて、
それから卒業制作としてつくった映画の劇場公開が迫って
正直なところ
てんてこ
料理のじかん、食べるじかん
素材を集めて、料理して、ひとつの食事をつくる。
できあがったいくつかの食事を机に並べて食べる。
こんなにも毎日料理して、食べるなんて思いませんでした。
て、何を言っているんだとお思いでしょう。
いえ、ちょっと改まってみたのです。
自分がおいしいと思う味付けをしたり
器や盛り付け方にこだわってみたり
「おいしいなあ」と口に出してみたり
料理のじかん、食べるじかんをこんなに丁寧にできるのは人間だ
過去になってゆく絵の行方
7月、暑い夏
いつか、ずっと夢に見ていた絵の個展をする。
展示する作品はもちろん過去のものばかり。
2020年の4月から毎日SNSに1日1絵をアップしていたから、物量はかなりある。
そこから選別して
本当に見てほしいものたちを集めて展示する。
名前もつけてあげるし、額装という名のおめかしもしてあげる。
自分の絵をこんなに丁寧に扱うことなんてあまりなかったのでドギマギしてしまう。
正直なとこ
仕事ってなんだろうか。
昨日今日、そして明日もお仕事です。
8時間会社にいて通勤に往復3時間ほど。
つまり1日の半分を会社に捧げているということになります。
このあいだ、同期の女の子とこんな話をしました。
「仕事に対してどれだけお節介になれるかだよね」
ここまでしたらクリアです。十分です。
それは業務としてわかっているのだけれど
もう少しだけ工夫したら相手が喜ぶんじゃないなと、気付けるか否か。
それをやるか否か。
はじめてのnote。
あのときのわたしが
今のわたしをつくっている
そういう考えを常にもっている。
− − −
毎日絵を描いて思うのは、そのときの感情はそのときにしか描けないということ。
そのときのわたしにしかできない表現がある。
だからこそ脇目も振らず表現し続けることが、
誰かの心に届く絵を生み出すことにつながるんじゃないかな。
中学の頃、絵を描いていたときに同級生の男の子に言われた。
『恥ずかしくない