“暮らす”
つねづね考えている。
生きているから“暮らす”のか
“暮らす”から生きているのか
私は後者だと思う。
日々の暮らしはままならない。
気がつけばいつのまにか終わっていることもある。
やることが繰り返し決まっていたりもする。
だけれども
日々私たちは命がある限りこうして生きている。
生きているのに、何にも気づかないのはさみしいことだ。
始まって終わるだけの1日はつまらないものだ。
せっかくなら“暮らす”ということをしたい。
仕事ばかりに気を取られず、
ややこしい人間関係は寝かせておいて、
ブルーライトを浴びせてくるスマホは置いて、
別のことに時間を使うのはどうだろうか。
その方が、きっと、生きているんだという気持ちになれる。
そう思うと、“暮らす”ということは時間を豊かなものにするということなのかもしれない。
平等に与えられた時間を、どう過ごすか。
先の見えない未来を不安に思う時間と
今日の晩御飯を想像してよだれが垂れそうになる時間。
どっちの時間の使い道が、豊かなものか。
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