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はじめまして、kotton(コットン)です。 ふと思ったことや感じたことを忘れてしまわ…

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はじめまして、kotton(コットン)です。 ふと思ったことや感じたことを忘れてしまわないように書き残そうと思います。 🎥映画『コットンダイアリー』公式Webサイト → https://kottondiary.notion.site/

最近の記事

久々にnoteを書きます。書き初めって、なんだかわくわくするから。

2024年は、 “絵を描く姿勢”をできるだけ毎日つくる、ということを目標にします。 毎日絵を描く!とか インスタ投稿毎日する!とか 100℃に近い目標は、火傷して落ち込みかねないから。 ・紙とペンを机の上に置いておく ・紙とペンを触る ・紙とペンを持ち歩く 描くためのものと仲良くすることが 新たな表現を生み出す一歩であると信じて 取り組んでいきたいと思います。 そして、 noteも定期的に書こうと思います。 書くことは、描くこと違って 言葉を選びながら慎重に書くから

    • 過去の私が楽しそうに絵を描いてて羨ましく思ってしまった日。

      本当は言い切りたいのだ。 私は絵を描く人です、と。 昔はそう言っていた。毎日絵を描いてはSNSにアップして、少しずつみてくれる人が増えて自ずと作品も増えて……まさに『絵を描く人』。 去年まで1日1絵をしていた。 毎日楽しいときも悲しいときも、眠たくてどうしようもない日も、とにかく毎日描き続けた。2020年の春からだった。 2022年の春からは社会人になり、大学生のころとはライフスタイルが大きく変わった。1日の半分は通勤とお仕事になり、もう半分は人間の生活。飯を食い、寝る。

      • 子どもたちと絵を描く

        とある喫茶の店主のお子さんは、わたしの友達。 1人は3年生のお姉ちゃん 1人は1年生のお兄ちゃん 最初の頃は椅子や机、店主の後ろに隠れてニカニカしながら近寄ってこなかったけれど 時間が経つにつれて距離は縮まり 一緒に絵を描いたりカブトムシを見せてもらったりする関係になった。 『みんなで妄想水族館をつくらない?』 思い立ったので提案してみると即採用された。 『これは泳げる鳥なの!』 『ウニを描くぞーーー』 『じゃあチェックの柄をした亀を描くね!』 思いついた順に海の

        • 2年と3ヶ月続けた1日1絵をふりかえって

          2020年4月 おうちじかんや、ソーシャルディスタンスなどという言葉がモヤっと生まれた。 そのモヤッとした感じを打ち消したくて わたしは毎日絵をSNSにアップすることを決めた。 あれから2年と3ヶ月。 昨日、はじめてのイラスト展【いつものように】が無事幕を閉じ ふと振り返る。 毎日ひとつ絵を描いて、どうやって向き合ってきたか。 なんのモチーフを頻繁に描き、ひとつの絵にどれだけの時間を使ったか。 どんな画材を使ったか。 毎日描いたからこそ気づけたことや、上達した技術は

        久々にnoteを書きます。書き初めって、なんだかわくわくするから。

          青春って、限りあるものだと思っていた。

          『毎日忙しいでしょうが、頑張れ頑張れ。 青春です。 お返事いいからね。』 小学3年生のときの担任の先生。 おさげが似合う、痩せっぽっちだけどきゃちきゃちした、おばちゃん先生。 今いくつなんだろう? 定年は超えていると思う。 小学校には木金だけ行ってるみたいだけど。 社会人になって、実家から離れて暮らし始めて、 それから卒業制作としてつくった映画の劇場公開が迫って 正直なところ てんてこまい という言葉がよく似合う状況。 それでも毎日はつづくから 疲れた顔にはなり

          青春って、限りあるものだと思っていた。

          いい感じのひと

          会ったときに挨拶を笑顔できちんとしてくれるひと 空気感がやわらかくて、居心地のいいひと 話す聴くの分量がちょうどいいひと 目を見てうなずいてくれるひと でもずっと目を合わせるんじゃなくて、 たまにちょっとそらすひと 自分の過去の栄光ばかり話さないひと いま夢中になってることがあるひと 興味関心を向けてくれるひと 清潔感のある身なりをしているひと そういうひとに 私はなりたい。

          いい感じのひと

          描けないけど描く

          定期的に絵が描けなくなる。 今そのときではないよ、と右手が動かない。 わかっているのです。 またふとしたときに良い感じの、気に入った絵が必ず描けるということを。 そのときを待つのだということ。 それでもやっぱり “へたで思い通りに描けなくていやになるわ…” と嘆いてしまう。 だから、描く。 描けないから描く。 打ちひしがれた今のわたしが描く絵はどんなだろうか?という好奇心の方が結局勝ってしまう。 2020年4月から 毎日ひとつ絵を描き続けられている理由はきっとそれ。

          描けないけど描く

          久しぶりの夜ふかし

          理由は至って単純で 仕事の帰りそのまま母と妹でラーメンを食べ 実家へ帰宅。 入浴する前に眠くて眠くてちょっと横になる。 目が覚めてシャワーをし、バスタブでうとうと。 上がった頃には目がぱちくり。 というわけで、夜の眠れぬ時間を持て余したわたしはふと、切り立ての爪に目をやって「なにか塗ってやろう」と思ったのです。 紺色のような深緑のような ちふれのマニキュアをちょっと丁寧に。 一度塗り終えたら、二度目の準備。 ただゆっくり待つのみ。 よく他のことをしてしまうから 崩れ

          久しぶりの夜ふかし

          料理のじかん、食べるじかん

          素材を集めて、料理して、ひとつの食事をつくる。 できあがったいくつかの食事を机に並べて食べる。 こんなにも毎日料理して、食べるなんて思いませんでした。 て、何を言っているんだとお思いでしょう。 いえ、ちょっと改まってみたのです。 自分がおいしいと思う味付けをしたり 器や盛り付け方にこだわってみたり 「おいしいなあ」と口に出してみたり 料理のじかん、食べるじかんをこんなに丁寧にできるのは人間だからだと思います。 おいしい外食はお金で買えるけど、ドライブスルーですぐに手に

          料理のじかん、食べるじかん

          過去になってゆく絵の行方

          7月、暑い夏 いつか、ずっと夢に見ていた絵の個展をする。 展示する作品はもちろん過去のものばかり。 2020年の4月から毎日SNSに1日1絵をアップしていたから、物量はかなりある。 そこから選別して 本当に見てほしいものたちを集めて展示する。 名前もつけてあげるし、額装という名のおめかしもしてあげる。 自分の絵をこんなに丁寧に扱うことなんてあまりなかったのでドギマギしてしまう。 正直なところ、自分で当たり前のように描く絵を客観的には見れない。 これはお金と交換する価値

          過去になってゆく絵の行方

          仕事ってなんだろうか。

          昨日今日、そして明日もお仕事です。 8時間会社にいて通勤に往復3時間ほど。 つまり1日の半分を会社に捧げているということになります。 このあいだ、同期の女の子とこんな話をしました。 「仕事に対してどれだけお節介になれるかだよね」 ここまでしたらクリアです。十分です。 それは業務としてわかっているのだけれど もう少しだけ工夫したら相手が喜ぶんじゃないなと、気付けるか否か。 それをやるか否か。 もちろん見返りは求めていないし、相手から見たら気づかないことかもしれません。

          仕事ってなんだろうか。

          早起きをした日

          5:00 いつもより1時間はやく目が覚めた。 二度寝できる余裕はあったけど あまりにもいい目覚めだったので むくりと起き上がってみた。 お化粧や髪を整えるといった外見の身支度は早々と終わってしまったので お弁当を作りにかかる。 晩御飯の残りは無し。 一から箱の中身を埋めてゆかなければならない。 でもなんにせよ、与えられた時間がたんまりとあるわけなので のんびりとフライパンに火をつける。 今日のお弁当の中身は ・サラダ(プチトマトも) ・ネギ入りの卵焼き ・豚バラ大根の

          早起きをした日

          “暮らす”

          つねづね考えている。 生きているから“暮らす”のか “暮らす”から生きているのか 私は後者だと思う。 日々の暮らしはままならない。 気がつけばいつのまにか終わっていることもある。 やることが繰り返し決まっていたりもする。 だけれども 日々私たちは命がある限りこうして生きている。 生きているのに、何にも気づかないのはさみしいことだ。 始まって終わるだけの1日はつまらないものだ。 せっかくなら“暮らす”ということをしたい。 仕事ばかりに気を取られず、 ややこしい人間

          “暮らす”

          いつもどおり

          いつもどおりの積み重ねは ここぞと言うときの力を蓄えることができる。 ささいな幸せを見つけることができる。 運命や偶然に気づくことができる。 毎日おなじでは なんだか味気ないので いつもどおりのなかに 光るものをさがす。 きょうは ちょっとだけ背筋を伸ばして歩いてみよう きょうは お気に入りの靴下を履こう きょうは あの子にあいさつしてみよう いつしかそれが いつもどおりになって なんだかたのしい気持ちになれる。 それだけで あしたのあさのわたしが笑っている。 きょ

          いつもどおり

          朝、日曜日、出社。

          「朝、日曜日、出社。」 おそらく多くの方がこの字列を見てネガティブな気持ちになるだろう。 しかし実際のところ、案外いい。 まず人が少ない。 降りる人の波、乗り換えの波、 洪水にならない。 日曜日という感覚もあってか、 急ぎ足をやめてちょっとゆっくり歩く。 歩幅を大きくしてみるとそれはすぐにできる。 車内、スーツの人が1割にも満たない。 みんなどこへ行くのかな。そんな想像をする。 わたしも私服だからお休みの人だと思われているのかな。 出勤日。 だけど日曜日。 日曜

          朝、日曜日、出社。

          はじめてのnote。

          あのときのわたしが 今のわたしをつくっている そういう考えを常にもっている。 − − − 毎日絵を描いて思うのは、そのときの感情はそのときにしか描けないということ。 そのときのわたしにしかできない表現がある。 だからこそ脇目も振らず表現し続けることが、 誰かの心に届く絵を生み出すことにつながるんじゃないかな。 中学の頃、絵を描いていたときに同級生の男の子に言われた。 『恥ずかしくないの?』 何も恥ずかしくなかった。 けれどモヤッとした違和感が胸に残った。 な

          はじめてのnote。