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【雑記集】※いたって個人の感想です。

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雑記・随筆も、書くのが楽しいですね。いや、雑記や随筆こそ、書くのが一番楽しいかもしれません。 そしてこの誰に宛てているわけでもない文章が、漂流して、まったく見知らぬ(かもしれない…
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2023年10月の記事一覧

「批判」や「指摘」を「攻撃材料」にはしないようにしたい

「批判」や「指摘」を「攻撃材料」にはしないようにしたい

「批判」「指摘」は大事なものなのに、 中にはそれをどぎつい味付けや口調にして、「攻撃」に使う人も多くて、 その印象からか、逆に多くの人が「批判」「指摘」を、妙に遠ざけて遠慮しあってしまう気がする。

最低限の思いやりとか個々人への尊重とかを失わない「批判」「指摘」は、そんなに難しいものだろうか? (と、これは完全に自問自答を含んでいる。)

もっと、明るくカラッと、スカッと、あっけらかんと、 皆が

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自分のために「自分のペース」はあるのだから

自分のために「自分のペース」はあるのだから

急がば回れ、っていうか、 自分が自由に使っていい時間については、 なーんも急ぐことねーわ。
そんなの、 時間得したとしても、 なんかを損してる気もするし。
――てなことが過る。(笑)

自分は自分、こんなもんなのだ。
知識容量もこれ以上多くなりそうにないし、頭の回転速度もこれ以上は速くならなさそうだし、だからもう、 むしろ「脳をフル活用するために、」いろいろ「落ち着いて」いこう。

自分のペース

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だって人生の9割は「どうでもいいこと」で出来ている

だって人生の9割は「どうでもいいこと」で出来ている

最近、 素敵なことは、「大切なこと」より、「どうでもいいこと」のほうにあるように感じられて仕方ない。(笑)

「人と時間の目を盗んで、お茶してばかりの人生」然り。

「ヒト気のない場所へ、ヒト気のない場所へと動いていく、自分の習性」然り。(人の気配ましてや人混みなんてとても嫌いな私です。笑)

「私も飽くることなく無心にシャボン玉追いかけて遊びたい。」
なんて、幼い子らの姿を、秋の公園のベンチから

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死ぬまでに理解(わか)りたいことだらけでこの世は出来ている(笑)

死ぬまでに理解(わか)りたいことだらけでこの世は出来ている(笑)

「他人が不幸になったからといって、自分がその分、幸福になるわけではない。」
というその事を、 人間が実感として本当の意味で理解できるようになるまでにかかる時間は、 およそ「それぞれの人の一生分」だそうです。
(――はい、テキトーな※個人の感想です。笑)

死ぬまでには解りたい事だらけで、きっとこの世は出来ている。

でも、 死ぬまでにも解らない事だらけ、 きっとそっちの数のほうが、圧倒的に多いの

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私は「底なし沼」(笑)

私は「底なし沼」(笑)

前回の記事の続きとして。

まずは同様にこの言葉から始めてみたいと思う。

――それはさておき。
(そりゃあ、「それはさておき」だよ。やはりね。笑)

そう、「本当の自分なんて、ここにいなけりゃどこにもいない」というのは、紛れもない事実である。

しかし、「本当の自分」を、自分自身が100%知り尽くすなんて、そんなことできるのだろうか?という疑問もまた、私の中にはあったりもするわけなのである。

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「本当の自分」はたぶんどこにもいない

「本当の自分」はたぶんどこにもいない

「本当の自分」なんて、ここにいなけりゃどこにもいないわ! ……っていうね。

――それはさておき。(笑)

「本当の自分」を探すとなると、ついつい自分の内側内側へと探りを入れるイメージになりがちだが。
でも、どちらかと言うと、内側から一回外へ出てしまって、自分の事を俯瞰で見る、ごくごく客観視する、みたいなそういう事のほうが「自分探し」になるんじゃないか、って最近思う。

「完全に外側からの視点」

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現世の「物見遊山」だと思って

現世の「物見遊山」だと思って

世の中は刻々と変化し続けているのに、自分の「先入観」「偏見」は、その変化の速さには追いつけず、いつまでもそこに残ってしまいがちで、邪魔になる。
――折角この世に生まれてきて、つぶさにリアルタイムに感じ取れたはずの数々の事を、それらのせいでみすみす逃して生きていくのは、もったいない気もする。

ついつい気づかぬうちに色眼鏡をかけて自分も物事を見てしまいがちになるが。
「そのまま」を見る様に日ごろから

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「損」してもいいから「無駄」にはしない

「損」してもいいから「無駄」にはしない

善人であろう、やさしさを持とう、 正直に生きよう、 ……と、したばっかりに、 損したり、傷ついたりする事もあったりする。

が、 それらは、 「無駄に」損したり傷ついたりする事とは違う。

つまり、少なくともそれらは 「無駄」ではない、と、私は思うのだ。

「損」は、別にしてもかまわないので。

いろんな事を 「無駄」にだけは、したくないものだ。

――時間もエネルギーも、私の持ち分は、あきらかに

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「ツイている」も「ツイてない」も実はない

「ツイている」も「ツイてない」も実はない

そりゃあ、 うまくいった事を中心に思い出せば、ついていた人生になるし、 ならば、うまくいかなかった事を中心に振り返れば、 ついていなかった人生にもなってしまうよねー。

少なくとも、(ある程度の長さを生きた後であれば特に)「どっちか片方だけの人生」って、あんまりないんではないかな?

……などという至極当たり前の事を、 掃除しながら、 でもしみじみと考えられるのは、きっと心にまだ余裕がある証拠だ。

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その「財産」は数えられないし形もない

その「財産」は数えられないし形もない

(あくまで「ほんの一例」だが、)たとえば、大好きな歌がたくさん、 自分の中に、もう無数とも言えるほどあること。

これもまた明らかに、私の「財産」の一つだ。

そして、この「財産」は、これから先も、私の中から減ることはないだろう。

「自分をダメにしてしまうもの」には、確かに気を付けなければならないが。
「自分を絶えず支えてくれているもの」 「自分をいつも救ってくれてきたもの」についても、たまには

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勝たなければ負けないし

勝たなければ負けないし

「絶対負けたくない」とか 「必ず勝者になってやる」とか、そういうこだわりみたいなのを捨ててしまえば、 少なくとも、 負けることも敗者になることもなさそうだ。

勝ち負けって、いらないかも?
と、個人的に思った。

――負けもそうだが、 何なら勝ちだって (かわりに誰かが「負け」になったってことでしょ?)、 別に自分はそんなに気分よくない。
いい子ぶっているわけではない。
だって、誰かからそれで「妬

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「信じる」ということ

「信じる」ということ

「こちら側からお開けください」って書いてあるわけだし。

今度の卵パックこそ、 「ミシン目」の側からきれいにプリプリッと開けられるに違いない!
……っていうその期待は、裏切られるためにあるのだわ。
(ミシン目じゃない側からのほうがいつも開けやすい。)
(私が悪いのかしら?笑)

違います!
私は基本的に、人を信じようと決めているから!
だから納豆のタレの袋だって「手で切れます」 というその言葉

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「善人」でなくて別にいいと思った

「善人」でなくて別にいいと思った

「悪い人」って、「誰にとっても悪い人」では必ずしもなく、 「局地的に悪い人」だったりもするんですよね。(笑)(でも、どっちかっていうと、そっちのパターンのほうが多いのか?)

殺人者だけど、人柄は「善人」を絵にかいたようだった、とか。
パワハラ上司だけど、家族は大切にする人だった、とか。
そういう「一聴して至極わかりやすい例」だって、いくらでもある。
(ま、これらは「極端な例」ですけど。)
(つま

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「迷える羊」にこそ「伸びしろ」はあるのだ

「迷える羊」にこそ「伸びしろ」はあるのだ

身体はどうしてもそうはいかないんだけど。
でも、精神や心なら、その気になれば、ずっと成長過程にいられる気もするので。

そのためにも、「もう自分は間違いない、変える必要ない、絶対的に正しい」なんて疑いもしない姿勢には、ならないようにしたい。

いつでも「もっと良くできるのでは?」と探って、場合によっては、自分から自分を疑いにいったり積極的に迷いにいったりできる自分でありたい。

「自分で自分を疑っ

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