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だって人生の9割は「どうでもいいこと」で出来ている
最近、 素敵なことは、「大切なこと」より、「どうでもいいこと」のほうにあるように感じられて仕方ない。(笑)
「人と時間の目を盗んで、お茶してばかりの人生」然り。
「ヒト気のない場所へ、ヒト気のない場所へと動いていく、自分の習性」然り。(人の気配ましてや人混みなんてとても嫌いな私です。笑)
「私も飽くることなく無心にシャボン玉追いかけて遊びたい。」
なんて、幼い子らの姿を、秋の公園のベンチから遠く眺めながら、ふと思う。
――そう、あの「どうでもいい」時間は、私の中からもうとっくに、失われしまったのかもしれない。
「どうでもいいこと」の、その豊かさよ!と、つくづく思う。
「意味ある事」で埋めるのは、「時間を大切に」という観点からはすばらしい事なんだけど。
――なーんかそういうの、(久しく忘れていたけど) (本来の)自分らしくないかも?と。(笑)
「意味ない時間」のなかに、 「のどかさ」は宿る気もするし。
と、いうわけで。
今後のテーマは 「埋め尽くさない」でいこうかな、と思っている。
日々に、その時どきに、心の隙間、頭の中の余白、がんがん空けていこう!というこれは決意であり。(笑)
あとは、空気のようでありたいかなー。
言うなれば、「存在感」を更に消していきたい。(笑)
「人」対「人」って、温かく濃厚で素晴らしい、という側面はもちろんあるんだけど。
どうもそこには(それだからこそ)重たく停滞する空気も発生することにもなり得るし。
――で、また、更によくよく考えてみると。
そういうのが苦手だからこそ自分は、生物でありながら、小雨とか微風とか穏やかな光とか (生きながらも)そんな存在の仕方で棲息できたらいいのかもな?なんて思っているようなのである。
うんうん、「空気」なら、そこに満ちていても、「埋め尽くす」感じにはどうしたってならないもんね。
そういうのが、自分には合っているんじゃないかい?と、ふと思った秋の日なのでありました。