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私は「底なし沼」(笑)

前回の記事の続きとして。

まずは同様にこの言葉から始めてみたいと思う。

「本当の自分」探しなんて、 妄想の中だけでたくさんです。

2023年 トキザワコトモリ

――それはさておき。
(そりゃあ、「それはさておき」だよ。やはりね。笑)



そう、「本当の自分なんて、ここにいなけりゃどこにもいない」というのは、紛れもない事実である。

しかし、「本当の自分」を、自分自身が100%知り尽くすなんて、そんなことできるのだろうか?という疑問もまた、私の中にはあったりもするわけなのである。

まず、前提として。

これまでの人生における経験とその記憶は、いずれも、私の人格形成に、何らかの作用をしているはずである。
そう、「いずれも」――それは微量のものから、強大なものまで、その「作用」あるいは「影響」のサイズは、様々ではあるとは思うが。
小さなものから大きなものまで「すべてのもの・こと」が、何らかの影響を及ぼし得るポテンシャルを持っていると私は考える。

しかし、過ぎ去ったことのその多くを、私自身は「忘れてしまう」のである。
――いや、正確に言えば、「思い出せなくなっている」ということになるのか。

人生のすべての出来事を、頭で思い出せる状態にしておける人は、まずいない。

が、しかし、今の人格形成に、それらのすべてが作用している可能性をはらんでいるのであれば、厳密には、思い出せないだけで「すべてのことを憶えている」つまり「忘れてはいない」と考えるのが、正しいのではないだろうか。

つまりそれは、私ではなく、「今、自分の中に形成された人格」こそが、これまでの私の人生すべてを、憶えているということになるのではないだろうか。


「本当の自分」を探すだなんて、という言い方を前回私はしたし、タイトルで「本当の自分はどこにもいない」とも、私は言い切った。

が、かく言う私こそが、ついこの間までは、「本当の自分探し」大好き人間だったのだ。

しかしである。
ここまで説明したとおり、言うなれば私こそが、実は「底なしの沼」なのであった。(なんとまあ!笑)
どんなに自力で深く潜ろうとも、その「底部」に辿り着けることは、まず不可能なのではないだろうか、ともしみじみ思えてきた。
――私のこれまでの人生について、「最もよく覚えている人間」であるはずの私ですら、そうなのである。

そしてまた、私という人間は、「自分に都合の悪いことは思い出さない」機能が、十全に発達してしまっているわけだ、これが。(なんとまあっ!笑)

たとえば、(あくまで一例でしかないが)私はこれまで「人に意地悪をしたことがない」と他人様に言い切ってきたが――はたして本当にそうだろうか?
「意地悪な気持ち」や「悪意」が、本当に今まで生きていて一度もどこにも湧いたことがないと言い切れるのであれば、私は多分人間ではない。全く新しいタイプの「妖怪」かなにかだ。(笑)

そんなふうに「自分に都合が良くないこと」は、割と沼の奥深くに沈めてしまっているので、そんなんじゃ、どんな優れた潜水士にお願いしてみたところで、「本当に本当の自分」の「その全体像」なんて、いつまでたっても、辿り着けないような気がするのだ。


――と、いうように、私は「割り切った」という、つまり今回はそういう話なのである。


で。

「今の自分がどうであるか」を、「外側から見られる範囲」と限定してしまえば、やはり「そういった意味での本当の自分本体」は、やはりここにしかいなくなるわけであるから、早い話が「シンプル」である。

だから、私は、自分の外側に回ってこそ、「今現時点での自分自身を、まじまじと眺めたい」と、こう考える次第なのである。



【いつも御覧いただいている皆様へ御連絡申し上げます。】

また明日より「コトモリの頭がおかしいラジオ~2023秋~」再開いたします。
――スミマセン、あと半月くらい?秋の終わり、冬の気配が感じられる頃まで?よろしかったら、お付き合いいただけたら嬉しいです!!
ホント、すみません!
(溢れ出る狂気を止めることができません!笑)

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