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こみこみこ
2020年9月19日 17:07
緊急事態宣言が出される少し前に、大阪環状線に乗った。大阪駅から目的地の京橋へ行く間、車窓からは雑多な街や腐った青汁のような川を縫うように桜が咲き始めているのが見えた。何となくその美と汚さの混じったさまを見て、このあたりを舞台に小説を書いてみたいと思ったのが始まりだった。最初は、多くの人が大好きな不倫ものを書くつもりだった。しかし、私自身が不倫に興味がなかったので、前から書いてみたか
2020年9月18日 18:13
「私。急用が…」消え入るような声で呟くと、真美は踵を返した。「ダメですよ。逃げたら」真美が振り返った目の前に同じような背格好の女がいた。「おお、市川さん」紗雪は真美の耳元から少し顔をだして頷いた。昨夜、広季から真美が美里の実家へ現れる時間に合わせて来るよう連絡があったのだった。真美は広季と紗雪の間に挟まるような形になった。「逃げるようなマネをしたってこと丸出しやないですか」紗雪に
2020年9月16日 17:44
暦の上ではもうすぐGWであるというのに、今年はその気配すら感じられない。どこへ行っても営業が自粛されたり、短時間しか活動できなくなったりしているからだ。繁華街から人は消えたが、住宅地では増えた。企業がテレワークを推進し、子供たちは目下休校中の身である。朝早くから遅くまでエネルギーを持て余した子供たちの声を聞くと、広季は一人娘の可南を想い、涙を流していたのだった。しかし、そんな毎日も昨日で
2020年8月24日 00:46
あ、名前、きちんと言っていなかったですね。芦田美里と申します。職業は専業主婦です。夫とは今、別居しています。あのう、そうですねえ。去年の今頃ですかね。家にいると、ちょうど天気が悪くなり始めていまして。雨が降るかもしれないなって、部屋の窓ガラス越しに外を見たんです。その時に窓ガラスに映った自分の顔を見て、あれ?この人、誰なんやろうって思ったんですよね。何だかこう、私というのは、夫と
2020年9月6日 17:02
修はフロントで書類整理をしながら、紗雪を待っていた。最初に届いたメールを見た時には度肝を抜かれた。―私、芦田さんとホテルに行くから。-読むなり修の顔が真っ赤になったのは言うまでもない。嫉妬はもちろん、この間自分と関係を持ったばかりだというのに相手がほかにいるのか、しかもこのホテルへ一緒に来るのかと、紗雪の神経を疑った。―あ、今、変なこと書いたかも。誤解せんといて。これには事情があってやな
2020年9月6日 15:31
タクシーは5分もしない間にやってきた。スマホをいじっていた紗雪を先に乗せ、広季はあとに続いた。「桜ノ宮のホテルブルームまで」「はい」金髪をひっつめにした初老の女性運転手は、紗雪の注文に甲高い声で答えた。少し無邪気で幼女のような明るい声だった。車は静かに動き出した。「お客さん、ちょっと寒いかもしれませんけど、コロナ対策でちょっと窓開けさしてもらってますんで」広季は車内の窓を一つ一つ見
2020年8月30日 15:48
広季は公園でブランコを漕いでいた。マスクをした親子づれがジャングルジムや滑り台で遊んでいる。ひとりブランコを漕ぐ広季の姿を時折見ては目をそらしていた。「たぶん、お前、変質者やと思われてるで」隣のブランコに腰掛けたスリムが冷やかした。「どう思われたってええわ」「さて、うまくやってくれたでしょうかねえ、おばさん探偵は」「さあ。でも、頼れる人がほかにおらんしなあ」「秘書の福井さんは」「
2020年8月24日 16:54
紗雪はおもむろにマスクを下げ、意を決して紫色の飲み物を口に入れた。甘くてやたら舌や歯にまとわりついた。紗雪の推理が確かならば、この飲み物は、かき氷のブルーハワイといちごのシロップを掛け合わせたものではないだろうか。コップを盆に戻すと、マスクの位置を上げた。これをどうしてお茶と思えるのだろう。教祖がお茶だといえば、それはお茶だということなのだろうか。お茶への疑問はまだあったが、紗雪はひと
2020年8月22日 22:15
ドアの隙間から顔を出した美里は、ビアホールで見かけた時より、しぼんで見えた。「こんにちは」紗雪は無表情を意識してあいさつした。とはいえ、顔のほとんどが眼鏡とマスクで覆われているのだが。「こんにちは。あの。明日じゃなかったでしたっけ?」肩にかかった髪を整えながら、美里は訊いた。「お友達が日にちを間違えたみたいですね」「あ、そうなんですか。ちょっと友達に連絡して来てもらいます」「私がも
2020年8月21日 23:43
可南の誘導により、紗雪は美里の実家へと向かった。広季は公園で待機している。いきなり会ったばかりの子どもとふたりきりになって不安だったが、可南が明るい子だったので紗雪はほっとしていた。「探偵さんは、友達おる?」「あー、いるっちゃあいるけど、最近会ってないなあ」「じゃあ、彼氏は?」「うーん」修とよりを戻したわけではなかったので、紗雪は考え込んでしまった。「おるんや!」可南は黒目を輝か
2020年6月13日 01:32
紗雪はとりあえず、広季への説明を先にすることにした。「奥さん、エレベーター乗っていきましたよ」「さっきの男と?」「も、もちろん」広季の呆けた顔を見て、思わず紗雪はどもってしまった。両手で顔を覆い、広季は大きなため息をついた。よほどショックなのだろう。「帰ります」肩を落としたまま、広季はホテルの出入り口へとトボトボと歩いていった。外側にすり減った靴のかかとが哀愁を誘う。広季がホテル
2020年6月5日 00:59
「緊急事態宣言って出るんですかね」紗雪はビアホールのバルコニー席でスマホに目を落としたまま、広季に訊いた。「さあ、出るんじゃないですかね」周りを見渡しつつ広季は答えた。19時。桜が舞い散るバルコニーに、客は二組しかいなかった。店内の客は隅の席に男女が二人だけだった。「お母さん、お元気でしたか」広季が訊くと、紗雪は首を傾げて不機嫌そうに眉をひそめた。「ばい菌扱いして会ってくれませんでした
2020年4月8日 13:38
ありふれた春の午後だった。少し冷たい風に桜の枝が揺れていた。芦田広季は、定食屋から出てくるなり花びら交じりの風を浴びた。大阪・桜ノ宮。川沿いの桜並木へと吸い込まれるように歩いていく。川から立ちのぼる生臭い匂いを阻止するために息を止めた。腐った青汁のような色をしたこの川を可憐な桜が包み込むように咲いている。広季は人目も気にせずジャンプして桜の枝に触れてみた。着地するなりベルトの上の贅肉
2020年4月16日 20:17
施設を出て歩き出した時だった。紗雪の背後から足音が迫ってきた。「市川さん」事務担当の岸という若い女だった。つけまつげを瞬かせながら紗雪のもとにやってくる。「あの、すみません」「はい」息を上げている岸に対し、紗雪は表情一つ変えずに答えた。「今月からお支払いの方が滞っているんですが」「え」施設のローンは父親の通帳から引き落とされていた。「そうなんですか」「はい。できるだけ早めにお振